大蔵館・源義賢墓所 - 埼玉県比企郡嵐山町大蔵
明けましておめでとうございます
本年もご指導、ご鞭撻ならびにご愛顧のほど
どうぞ慎んでよろしくお願い申し上げます^^
年末年始は久方ぶりにまとめて5日間ものお休みをいただき
ちょいと潜んですっかりゆったり骨休めをさして頂きました
お陰で戻した目方が二メモリばかし増しちゃいましたが(汗
そしてその骨休めへ向かう道中に一寸寄り道を
昨年10月に富士美出版より発行された
TATTOO DESIGN BOOKの第6弾
武将・英雄・豪傑編の依頼で制作した
「悪源太義平」の画で採り上げた場面の
舞台である大蔵館の跡地である大蔵館跡
義平と言えば布引滝なんですが
あえて義平初陣の大蔵合戦を描いたので
ここ大蔵の当主であった義平の叔父にあたる
帯刀先生源義賢を生首にしてしまい・・・・・・・・
(その時の記事)
お詫びとご挨拶を兼ね正月早々の墓参へ
建物などはのこっていないので
先ずは大蔵神社
とても静かな場所ですね
そしてここから車で1、2分の所に
源義賢の墓所が
義賢という名は余り知られていないかな?
ちなみに読みは「よしかた」です
大蔵合戦で義平に討たれたのが久寿2年(1155年)
享年30歳位であったと伝わります
源氏一門二十一流の内の名門
清和源氏の主流である河内源氏
源為義の次男で兄は義朝
古典軍記では「保元物語」の主人公で
馬琴の読本「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月」の
鎮西八郎為朝も異母弟になります
義賢を討った悪源太義平は
兄義朝の長男で義平の弟には
後に鎌倉幕府を開く頼朝や
幼名牛若丸でお馴染みの義経などがいます
大蔵合戦で難を逃れた義賢の子の内
次男になるのが木曾冠者義仲です
墓所の向いには義賢と義仲
そして頼朝に追われ入間の河原で討たれた
義仲の嫡男清水冠者義高の
三代を弔う碑がありました
慣れない人や歴史嫌いには
わかり難いかも知れないけど
彼ら一人一人の人生に目を向けると
とても興味深い世界が拡がりますよ
刺青|賽天 - www.psyten.com