文楽 - その弐 | 刺青|賽のじ雑記

文楽 - その弐

8月20日の文楽 - その壱
予告したとおり
文楽 - その弐を
いってみたいと思います

今回は刺青と文楽について

といっても
文楽が直接に
刺青になったわけではなく
順序としては文楽を
楽しんでいた人々がいて
その物語や場面
登場人物などに
人々が何かを
感じていたわけです
(江戸時代の話ですよ)

そして同時に錦絵があり
絵画的には
その錦絵の表現をつかって
文楽と刺青のイメージを
つないでいったと考えられます

また実際に刺青を施術する
職人たちも
刺青の下絵を錦絵に求めたり
彫客や彫師が
錦絵の絵師に下絵を
依頼したりしたものです

そうして取り上げられた
題材はとても多く
現在まで親しまれているものも
少なくありません

- 時代物と世話物 ---------
当時(江戸時代)より
過去を舞台にしたものを時代物
対して当時でいう現代劇を
世話物といいます

刺青の題材としては
非現実的な脚色の
多彩な時代物が
圧倒的に多いように感じます

また当時は現代劇に対して
様々な規制が設けられ
弾圧が加えられていたことも
影響しているでしょう
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これらは文楽に
限ったわけではなく
同時代の謡曲や読本
歌舞伎や舞踊、能や狂言など
様々な方法により表現され
人気の高いものは
複数の方法で採用されました

鬼若丸鬼一法眼三略巻
1731年
文耕堂、長谷川千四の合作
(翌年歌舞伎でも上演されています)

牛若丸(源義経)や
鬼若丸(武蔵房弁慶)に
大変な人気があるのも
単なる史実の義経に対する
いわゆる判官びいき
というだけでなく
こういった娯楽作品の
影響が強いのだと思います



知盛他にもいくつかを挙げるだけでも
本朝廿四孝の八重垣姫
国性爺合戦の和藤内
義経千本桜の知盛
金幣猿島郡の瀧夜叉姫
天竺徳兵衛韓噺の天竺徳兵衛
雲龍九郎偸盗伝の雲龍九郎
児雷也豪傑譚話の児雷也
夏祭浪花鑑の団七
青砥稿花紅彩画の弁天小僧

などなど数え上げたら
きりがありません

物質至上拝金主義で
あらゆることに
損得を最優先する
現代の世の中では
ピンとこなかったりする
内容も多くあるとは思いますが

本来人間が生きていく
という本能の部分に
よりストレートに
訴える何かがあります

僕たちがいま暮らしている
現在の時代や社会などは
ごく一時的な
偶然の上にだけ
成り立っているものです

人間が生きるということ
その信念の部分には
そういった「一時的偶然」は
さして重要ではなく
本来あるべき
一個の人間が生きる
ということを理解するうえでは
様々な「一時的偶然」から
その本質を篩いだすことも
一つの方法であると思います

これら当時の
娯楽の中に隠された
人間の本能の部分にかかる
罪悪や障壁に対する
骨太の反骨心が
刺青というものを生み
育てたのだと考えています

なんだか長くなってしまい
しかも「文楽」というテーマからも
離れてきてしまいました

文章もだいぶ乱れており
このまま語りだしたら
どんどん長くなってしまいます

追々このブログで
「刺青」というものについても
語ってみたいと思います

コメント欄からの
内容の正誤に対する
ご指摘やご意見など
大歓迎です

長々とした講釈に
お付き合いいただき
ありがとうございました

季節の変わり目
体調などを崩されませんよう
お身体どうぞご自愛ください


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