恋愛とは

ある意味

錯覚であり、

誤解であり、

「理解する」ことの反対なんであるが、

 

錯覚や誤解がとんでもなく酷い方向に行き

セクハラや性暴力被害やDVが生まれている。

今までも、今以上に生まれてきたし、今も生まれている。

ルールのない錯覚は暴力を生むのだろう。

 

しかし、恋愛とは本質的に

「理解」の反対側にある。

 

恋愛と結婚も

同じベクトルの上に重ねられたり(恋愛の果てに同じ人と結婚するとかね)して

ある意味それも至極最もなのであるが、

 

「理解」という言葉からみると

結婚は「理解」というか「努力」「和解」「妥協」「諦め」といったようなものなのである・・・・と思う。

(ずっと結婚している人を見れば見るほど、そうとしか思えない・・・)

つまり「理解」において恋愛と結婚は対極である。

 

それゆえ、なのか、勾配というか、激しさというか、炎というか

そのような特性ゆえに恋愛は、たとえそれが何十年続いたにせよ「短命」なものである。

 

90年前、和辻哲郎が「情死は恬淡(てんたん)な静かなあきらめとして成立する。『あの世』があると思って死ぬのではなくて恋愛の永遠を欲する心が瞬間的な高揚(情死)に結晶する」と述べた様に。

 

恋愛が投影ーその人の内側に元々ある理想や希求を相手に映し出すーによって存在する限り、その同じ対象を投影を取り去った後も理解して、現実に向き合うことが出来なくては、同じ(恋愛した)相手と結婚することは出来ない。

 

結婚した後も、そのような投影対象は他にいくらでも出てくるのである。

結婚する、ということはそれを承知で・・・・ね。