カナリノサダメ -4ページ目

お年を召しました。

正月がすぎたと思った途端に来る、
私の誕生日。



MailやFBで沢山のお友達にお誕生日のお祝いのお言葉を、
プレゼントなども、色々といただき、
本当に感謝です。心がホカホカになりました❗️




ホールは食べきれないので、キルフェボンをいただきました。
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大殺界 天中殺 厄年  と、わかった上ではじまる年にビクビクしております。
仕事ものっけからあまり空気はよろしくないのですが…

そして、これからどんな風にいきていったらよいのか、自分がどうなりたいのか、
まさに迷走中です。



そんな中、

お坊さんのお話を聞く機会があり、蓮如上人の『白骨の章』という文章をしりました。


 それ、人間の浮生ふしょうなるすがたをつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終しちゅうじゅう、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳まんざい人身じんしんを受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫もとのしずく末の露すえのつゆよりも繁しといえり。
 されば、あしたには紅顔こうがんありて、ゆうべには白骨はっこつとなれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわちふたつの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属ろくしん・けんぞく集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生ごしょうの一大事を心にかけて、阿弥陀仏あみだぶつを深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。





簡単に言うと、結局はみんな骨になる。



というお話なのですが、
人は何かを信じなければいきていけないけれど、
信じるから裏切られた時に苦しまなければならない。

パートナー、子供、お金、健康、地位と名誉、仕事。
人によって信じるものは様々ですが、


何かに裏切られても、また違う信じるものを見つけてはそれにすがり、終末がおとずれると苦しむ。
それを繰り返してるうちに骨になっている。



ほんとそーだよなー。


子供産まないと将来寂しいよとか、いうけど、子供が面倒見てくれるかなんてわかんないし、

結婚してない女性はとくに30過ぎると、
人間失格かのような言われ方をしますが、
結婚が不幸のはじまりとなった人もいるわけですから。




ただ、何にもないより、ドラマがあるほうが、一瞬でも わー!幸せー!って思う瞬間があるほうがいいからなのかな?



あまり宗教的なことを発するとお友達がいなくなりそうなので、この辺でやめとこう。





まさに、人に期待をしすぎて腹を立てたり、特に近くにいる人ほどそれをしてしまう。だから親に反抗したり、夫婦関係や恋人関係は友達付き合いの何倍も大変なんだろうなー。




頭でわかっていてもできないのが人間ですね。




こんな話、ご年配のかたしか通じませんね。






お年を召しました。







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お誕生日に姉にリクエストして買ってもらった奇界遺産の写真集。もちろん解説もしっかりあって読み応えばつぐんです。




行きたい場所がまた増えた❗️






こういう場所におじいちゃんとおばあちゃんになっても一緒に楽しんでいけるパートナーがいたらいいなー。















爆闘中!



2014年
10月のある日、父は、これまで何十年と働いてきてはじめて、
今日は仕事を休む❗️


とズル休みをし、母を糸島へとデートに誘いました。



糸島をぐるりと回った後、
これまたはじめて、

りえぼーの職場にいってみようか 

と母に提案をしたそうです。




結局、街中の駐車場がうまく見つけられず、帰宅をしたようで私は近くに来ていたことをしったのはその一カ月もあととなるわけですが…









10月から熱が出たり出なかったり
下痢をしたりおさまったりで
病院に行くと風邪ですと言われ風邪薬をもらっていたという父。






11月に入ってもなかなか治らない熱と下痢、行きつけの病院は風邪だろうから大きな病院への紹介状は書けないと断られ、

母のお世話になっている別の病院に無理やり直談判をして検査入院をすることになりました。








お腹の中がグチャグチャに荒れていて内視鏡検査もできない、
開腹手術の為には、血小板が極端に少なく血が出たら止まらなくなるから
輸血しながらというのも難しい








入院は長引きます。












1度目のお見舞いの日、
愛煙家の父は急にタバコが吸えない環境となり、ストレスで気が狂いそうだ
と言っていました。


それ以外は大丈夫だ と、
点滴を引きずりながらも元気に歩く姿をわざと見せたりしていました。






二回目のお見舞いの時は
少しきついし、せっかくの休みに悪いからもう帰ってくださいな

と言いました。







三回目のお見舞いの時は、
何をしゃべっているのかわからなくなりました。
なんとか会話しようと、父が可愛がっている孫のチューラが、弟ができたら、名前はペコにするといっていたよ
というと、ハハハと大きな声で笑いました。









その数日後の夜、私は、眠りにつこうと布団に入った時になぜだか涙が止まらなくなり、沢山泣きました。
次の日は仕事が休みでよかった と思うくらい沢山沢山、泣きました。






それは虫の知らせ。







次の日、母から連絡があり、






今、先生に呼ばれて、お父さんあと何日かしかもたないかもって言われた






と。






すぐにかけつけて、浮腫んだ足をさすったり、話しかけたり、
それでも希望を持ちたかったから、
明るく話しかけたけど、
父は弱っている姿を見せたくなかったのか、
私とは目を合わそうとしません。





病院から帰るとき、父さんと離れたくないよ と、手を握りしめたその時だけ、
すごく強い眼差しでジッと見つめて
大丈夫だよ と目でうったえているようでした。




その次の日も、仕事が遅番だったので、
早く起きて電車に乗って父に会いに行きました。





もう、わけのわからない事を言っていました。


どこがどう悪いのか、わからないまま、
父の何かは、頭の中まで蝕んでいきました。




コーラを飲みたい と言ったかと思えば、
コーラを飲み過ぎて苦しい と言い出したり、


夢と現実の間をいったりきたりしているようでした。















その二日後、私以外の
家族や親戚みんなが見守る中11月25日、
父は息を引き取りました。






その日、今日が最後になるかもという先生のお話があった事を聞いていたので、
早退をさせてもらおうとしていたけれど、そんな日に限って忙しく、
なかなか他のスタッフに声をかける間もないほどで、苦しい時間をすごしました。


こんな時も笑顔で接客をしなければならないなんて。





夕方、
職場に姉から連絡があり、不法をききました。






それでも、仕事を途中で切り上げることができない忙しさで、
必死で涙をこらえながら、
笑顔で接客をし、

やっと終われたのは定時よりも1時間以上後のこと。





病院にすら、間に合わず、
葬儀所へ直接向かうことに。





父の故郷の大分へ、1人電車に乗り込み、
やっと葬儀所へついて父の遺体の前に
しゃがみこんですぐ、




棺を決めろだの、
料理をきめろだの、






それは朝方までつづき、






通夜も、葬儀も、
親戚などの対応に追われ、






気が付いた時には父は骨になっていました。





入院してから、たった20日の間に骨になってしまったのです。






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父との最後のMail。





元自衛官らしい、力強いMailですが、
この時、このMailを打つことも、ものすごく頑張って入れてくれたのだと思います。






葬儀など諸々終えて、やっと自分の家に帰ってきた日のこと、
テレビをつけるとFNS歌謡祭で、
藤井フミヤが登場しました。





おきまりのTRUE LOVEかな?





と思ったら、





チェッカーズ時代のそんな有名でもない曲、『ブルームーンストーン』を歌い始めました。







沖縄に住んでいた頃、父さんが乗っていたTOYOTAのマリノという車のCM曲。



私はこのCMが大好きで、車を買おうとしていた父にこれがいい!
といってこれに決まったのでした。





マリノに乗って毎週のように海に遊びに連れて行ってくれたことが鮮明に思い出されます。




このタイミングでこの選曲、
勝手ながら見えない力を感じずにはいられませんでした。






父さんがいつも持ち歩いていたカバンの中にはキャンディーと、姉と私の小さい頃の写真。





そういうものを見てもまだ、
いなくなった実感がないままでしたが、







父が亡くなって約一カ月後の12月31日、
姉が元気な男の子を出産しました。


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大晦日の夜。






家族の悲しみや寂しさを埋めてくれるように
新しい命が誕生しました。





私も嬉しくて、仕事を終えてすぐ病院にかけつけ、姉に言葉では言えなかったけど、
心から感謝をしました。









ただ、父が生まれ変わって出てきてくれたのかなって思うと、




もう父がいない事に現実味を感じ、
私は今ごろ寂しく、悲しい気持ちが芽生えてきたのでした。



この年になっても、理想の男性をお父さんだと言っていた私はついに最後まで
誰にも奪われることなく、父のものでした。
親戚や母からは、私がいまだに独身であることを父は心配しているよと言われたけれど、
私は他の男性と愛し合うことを父さんのまえで誓いたくなかった。


それぐらい大好きだった。







新しくはじまるこれからを大切に生きようと思います。











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父さんが描いた絵。





















































































慰安旅行キリキリシマシマ2

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この日もいい天気。



二日目は和気神社へ向かいました。





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狛犬でなく、めずらしい狛猪です。


猪突猛進、猪年のわたくしは、親近感でいっぱい!




なんと、この和気神社には白い猪の

和気ちゃんがいます。



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和気神社には日本一の絵馬もあり、
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藤の花も日本一とのこと。
シーズンの時は6000人くる


と道端で出会ったジイさんに教えてもらいました。




この日は私たち以外は和気ちゃんしかいませんでしたが。






その道端で出会ったジイさんから
日本一のお茶の木がある場所というのも教えていただいたので、行ってみることに。



広~い野原の中に
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ポツーンとお茶の木1本。
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ここも私たち以外誰もいませんでしたが、

美味しい空気を沢山吸いこんできました。





旅の締めは
黒豚ハムステーキ。

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いきあたりばったりの旅でしたが、
とっても楽しい時間を過ごせました。











がしかし、帰りの車の中で大戦争が起き、

せっかく取れた疲れとストレスを一気にしょい込み帰宅したのでした…



滝に虹がかかったのを見た時のピカピカの心はどこへ…
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紅葉もまだはじまっていない
11月初旬のことでした。