卑怯道 -5ページ目
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正々堂々が卑怯になるとき

正々堂々と戦うとしよう。


でも相手が、「こいつ卑怯な奴だから何かする」と思っていたとしたらどうだろうか?

こちらが正々堂々戦っていても、相手はこちらを卑怯者だと思っているので何が出るか

不安になりながら集中力を散漫にしながら戦うしかないのである。


それこそ「パーンチ」と叫びながらキックされるんじゃないかとかいう不安を

ずっと抱えながら戦うしかないのだ。

おかしいよね、俺正々堂々やってるのに。


逆に言えばそういう「卑怯である」という情報が伝わった時点でどんな戦い方をしようが

相手からしたら卑怯なのである。


倒すべき敵は誰だ?

私は物事をそんなに複雑に考えても仕方ないと思っている。


極端な話、自分を攻撃する相手が居るならまずそこから反撃すべきだと思う。

周囲の状況とかそんなものはどうでもいい。


自分を攻撃する相手を後悔させる。


そうすればそいつは攻撃しなくなる。

その数が増えれば、攻撃者が減るというわけである。


物事を大局的に見るのは大事であるが、自分にあんま関係ないところは攻撃しても

仕方ないのではないだろうか?

いじめ自殺について語る

自殺する子供が出るのは悲しいことだ。


私は卑怯者なのでいじめられても自殺する勇気すらない。

さらに死んだら(あの世があろうがなかろうが)生きてる連中が馬鹿にするだろうなぁと思うと

ものすごく腹が立ってくるタイプだった。


そこで卑怯な手を使うことにした。

授業、そんなもの知ったことか。授業中に暴れる。突然だ。

1対1でも勝てないなら武器を使う。

武器がないなら逃げる。逃げて武器を持つ。もっとも服も鉛筆もいすも机も武器になる。

ガラスはいい。散弾のように襲える。学校には金属バットが用意されているし。消火器もいい。

多数だったらガス使用も考える。ガスといっても混ぜるな危険程度。それでも十分な威力を持つ。

火もいい威力を持つ。火炎瓶も簡単に作れる凶器だ。


もっともそのほとんどを使用することなくすんだのは良かった。

核兵器と一緒で、使った時点でこっちも破滅である。(もっともここまで凶器だらけだと使われる側も破滅だが)


MAD…相互確証破壊という言葉を聴いたことがあるだろうか?

まさに狂気の選択だが、私はそれを選択するまで追い込まれていた。

もっとも相手からしたらうっとうしいだけ、ていうか迷惑なレベルに達しつつあった。

最終的に集団リンチするといううわさが出たのでこっちも重武装していったら、教師が止めに入った…私を。


「何で止めるんだよ、死ぬじゃないか」

「イヤむしろ死ねよ」

「じゃあお前が死ねよ」


こんなやりとりを聞いているうちに、集団リンチを考えていた連中も「こんなアホに人生の時間を割くのは無駄」

というように考えるようになったのだろうか、集団リンチはやめになったようだ。

だんだんといじめもなくなり、結局私だけぽつんと残った。


…それでも、生きているから勝ちだ。と私は思っていた。

おまえの負けだ。という人もいるかもしれない。

でもそのとき負けてもいいじゃないか。生きてさえいればまた勝てるかもしれないんだから。

こんな名前にしたけれど

卑怯者。


本来この言葉は人をそしる言葉である。

卑怯であることは確かにいいことではないだろう。

…立場が平等であるのなら。


だが考えてみて欲しい。

必ずしも世の中立場が平等である(機会の平等)といえるのだろうか?

平等でないと思ったこと、あなたにはないか?


もし平等でないとするならば…卑怯なのは平等でない状況を作っている側ではないか?

だとするならば、卑怯であることは悪ではない!

そんなわけで「正々堂々、卑怯だぜ」を合言葉に、このきっつい世の中をどうやれば

生き抜けるかについて考えるブログにしたいと思う。

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