中国の民主活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞授賞式に日本は回答期限の
15日を過ぎてほとんどの国が出席することを確認してようやく参加の意思を
表明した。
受賞者や親族不在の授賞式は、ナチス政権によって収監されていた平和活
動家以来75年ぶりのようだ。
先月の週刊誌で櫻井よしこ氏が、自身が編集した著「中国はなぜ『軍拡』
『膨張』『恫喝』をやめないのか」とともに劉氏の「現代中国知識人批判」
紹介していたのでどちらも読んでみた。
「中国はなぜ…」で金谷譲氏は「日中の‘理‘概念の違い」について考察
している。
金谷氏によれば中国人(漢人)の伝統的思惟は因果律の観念に乏しく、原
因と結果という思考形式があまり見られないという。
善者のやることは何をしても正しく、悪者のやることは何をしても悪くな
る。
その好例が、2005年の反日デモでしきりに唱えられた「正義は中国にあり、
中国人は正しいのだから、何をしてもいい」という「愛国無罪」であるとい
う。
尖閣諸島沖での中国漁船体当たりのビデオ映像を、海上保安官が
YOUTUBEに投稿したことを名乗り出た直後、あるコメンテーター
(名前は本当に知らない)が2005年の反日デモを引き合いに出し「あの時
中国人を『愛国無罪』と主張したことを日本人は嘲笑ったのだから、今回
も海上保安官の行動を、国を想っているからということで許してはならな
い」と主張していた。
その時、鳥越俊太郎氏が「ぼくらは国家の論理に立ってはいけない」と
近年稀にみる冴えを見せて保安官を擁護していた。
ここで私が論じたいのは、商店などを破壊し暴徒化していた反日デモの行
動を「愛国無罪」と主張する中国人と、YOUTUBEにビデオ投稿した海上
保安官の行動を支持する大多数の日本人を「心情倫理優先」だとして同列
に置けるかどうかだ。
続く