当時の征韓論には様々の考えがあったようだが、西郷隆盛の唱える征韓論が朝鮮に対し武力行使を主張

する論であったかどうかは、今となってはよく分からないようだ。

私が、4巻まで読んで一番関心を持ったのは、明治初期においてのこの国の成り立ちであり、東アジアに

おいて日本がどのような位置を占めていたのかである。

もちろん司馬史観を鵜呑みにするのではなく、読者はそこから自分なりに考える必要はあるのだろう。
 
 司馬遼太郎によれば幕末に掲げられた尊王攘夷というスローガンの趣旨は

「国家を在来の二元構造から一元的組織につくり変えて、外国の侵略を防ぎうる国防国家をつくりたい」

というほどの意味で、後年のような天皇絶対制をつくろうという幕末の志士はいなかったようだ。

尊王家の吉田松陰でさえ「幕府が堂々としていれば、あくまでもこれを押し立てて外夷のあなどり

を防ぐ」という構想であった。

大村益次郎の理想も尊王よりもむしろ国民国家の成立にあったという。
 
 
 遅かれ早かれアメリカはアジアから軍事力を引き揚げると予想され、日本が中国に吸収され溶けて

無くなってしまうことが危惧されている。

ハンチントンやシュペングラーらの大多数の歴史家は、日本文明と中華文明は別個のものと

考えているようだ。

しかし、「日本を中華文明に組み入れることができない動かし難い芯とは、神社と一体になった皇室」

なのだろうか。

 もう一つ、疑問を感じる主張は「最近の日本のデフレ現象は、ユニクロに代表されるような廉価で良質

な中国製品や、日本の技術により中国で作られたわれわれの嗜好に合う廉価な野菜が入ることによって、

相互依存関係が強まり中華文化圏に再併合される大きな流れのひとつ」といった論である。