江戸時代の学者は、中国古典の素養が並々ならない水準だったとはよく言われる。

しかし、その時代は、公文書はすべて漢文だったのだから読めるのは当然ではないか。

そして勉強する対象と言えば、中国の漢文しかなかったはずだ。

仏教思想について読んでいたかどうかは、知らないが、それとても漢文に翻訳されていたのを読むしかな

かったのではないか。

 現代において、中国古典どころか、江戸時代の文書も読めないのは仕方がないと思うのだが、近代文学

も新字体に変換されていても、漱石以前は実によみにくい。