前回の記事で、snakeaugさんから、コメントを頂き、返答とするべく続きを書きました。
「音」と「意味」が関係していると言うより、黒川さんの最近の著書にある「『発音体感』が意識と所作と情景を結ぶ」という言い方が受け入れやすいかも知れないですね。
つまり「意味」の背後、あるいは根底にある「源」意味が「音韻」と関連しているという主張です。
ヒトが、なんらかのコトバを発する時の体感が、コトバの対象である「そら」や「はな」と関連していると。
現在の言語学のモデルとなっているのは、当然、英語やフランス語などのヨーロッパ言語、あるいは欧米語です。
彼らの言葉は、約9000年前にチベット高原周囲で使われていたとされるインド・ヨーロッパ祖語から派生したと言われる言語です。
当然、フランス、さらに海を渡ってイギリスに到達するまでには、様々な変遷があったと推察されます。
そういった変遷のうちに、音は、記号と化して、意味と乖離していったと考えられます。
しかし、日本語の場合は、古代日本語が生まれたとされる約5000年前から、同じ土地で、閉じられたメンバーで、代々伝えられてきたと考えられます。
もちろん、漢字の流入がありましたが、古代日本語は大和言葉として残っています。
だから、日本語は、音と意味の関連がまだ残っている言葉が多いと考えられるということですね。
続く
「音」と「意味」が関係していると言うより、黒川さんの最近の著書にある「『発音体感』が意識と所作と情景を結ぶ」という言い方が受け入れやすいかも知れないですね。
つまり「意味」の背後、あるいは根底にある「源」意味が「音韻」と関連しているという主張です。
ヒトが、なんらかのコトバを発する時の体感が、コトバの対象である「そら」や「はな」と関連していると。
現在の言語学のモデルとなっているのは、当然、英語やフランス語などのヨーロッパ言語、あるいは欧米語です。
彼らの言葉は、約9000年前にチベット高原周囲で使われていたとされるインド・ヨーロッパ祖語から派生したと言われる言語です。
当然、フランス、さらに海を渡ってイギリスに到達するまでには、様々な変遷があったと推察されます。
そういった変遷のうちに、音は、記号と化して、意味と乖離していったと考えられます。
しかし、日本語の場合は、古代日本語が生まれたとされる約5000年前から、同じ土地で、閉じられたメンバーで、代々伝えられてきたと考えられます。
もちろん、漢字の流入がありましたが、古代日本語は大和言葉として残っています。
だから、日本語は、音と意味の関連がまだ残っている言葉が多いと考えられるということですね。
続く