先日は、財津理先生から、ドゥルーズの「差異と反復」の精読の講義を受けた後、近くの居酒屋で会食。
財津先生は、上機嫌で、珍しくビールを注文した。
ドイツ哲学とフランス哲学の違いなのか、中島義道先生と財津先生は、同年輩ながらお人柄がまったく違う。
財津先生は、講義の時からべらんめえ調で、酒が入ると、それにいっそう磨きがかかる。

 会食した人の中に、先月の黒川伊保子さんの講義に出席した方がおられ、彼女の講演内容を話題にした。
言語学を学んだことのある人は、皆、黒川さんが主張する、音と意味の関連については、言下に否定した。
それは、言語学の常識であり、構造主義のイロハであって、そんなことが分からないなんて、ドゥルーズのドの字も分かっていないんでは、というようなことを言われてしまった。

 黒川さんが、「私は、物理や人工知能しかやらなかったので、言語学は知らなかった」と話していたのは、謙遜というだけでなく、「私は、常識にとらわれない考えができた」という意味が裏にあったことに、やっと気付いた。