今回は寄り道
日経新聞の7月20日朝刊に、スクープ記事として載り、大騒ぎになった、富田メモは、いまでは当の日経を含め、新聞で話題にされることもなくなった。
もし、富田メモが偽物ならば、日経新聞が潰れるほどの大問題のはずだったが、今では、
富田メモがまがい物と断じる評論家がいても、日経の責任を問う声はまったくない。
今月発売の文芸春秋9月号では、富田メモの現物、それも昭和55年から昭和63年までのすべてを読んだ、半藤一利氏と秦郁彦氏が、保阪正彦氏のインタビューに答えている。
ネットの右翼ブログ系では、富田メモは、徳川侍従長の発言であるとか、はては捏造という主張が多かったが、この記事を見る限り、富田メモは昭和天皇の「肉声」であると断定してよいだろう。
富田メモを公表したことを非難する声も強いが、秦氏は、「言い残したことを信頼できる長官に伝えておこう」という昭和天皇の強い意志を感じると言っている。
小泉首相の靖国参拝を阻止するため、あるいは分祀への流れを作るために、富田メモが公表されたという憶測も根強いが、真偽はまだ不明である。
しかし、天皇の「お言葉」が、どの陣営からも政治利用されたのも事実である。
しかしながら皮肉なことに、昭和天皇の「肉声」は、政治利用した陣営の思惑を超え、まったく違った「想い」を国民の「心」に生じさせてしまったようだ。
それは、昭和天皇自身の戦争責任問題である。
インタビュー記事を読むと、昭和天皇もそれなりの見識を持ち、A級戦犯の合祀に不快感を持っていたようだ。
しかし、たとえば東条英機は、昭和天皇の戦争責任を回避するために、全力を尽くし、自身は戦犯として処刑された。
もちろん、東条の責任は重大だろう。しかし、自分を守ってくれ、戦犯として処刑された者が合祀されていることに不快感を持ち、参拝しないのは人の道に反する。そのような意見が新聞紙上でも公然と載るようになった。
元レバノン大使の天木直人氏は、8月15日付けの日刊ゲンダイで、富田メモは戦後の日本は、天皇とマッカーサーの合作によってつくられたのではないかという昭和史のパンドラの箱を開けてしまったと述べている。
現在では、大新聞、テレビの全マスコミは、富田メモを無かったことにし、天皇の戦争責任を否定するのにやっきになっている。