デビット・ボームは、1911年ペンシルバニア州で生まれ、原爆の生みの親として歴史に名前の残ったオッペンハイマーの指導の下、学位を修得し、1946年にブリンストン大学の助教授となる。
しかし、その数年後、レッド・パージの標的となり、プリンストン大学から契約更新を拒否され、どこの大学にも勤めることは出来なくなった。
アメリカを出国することとなるが、その際、パスポートの廃棄を求められ、事実上国籍を剥奪される。
ブラジル、イスラエル、イギリスと転々、その後、アメリカに帰ることを許されるが、ボームは拒否、イギリスに落ち着くことになる。