うつ病で休職している職場の同僚が海外旅行に行っていると知ったらあなたはどう思うだろうか。しかも、あなたがその人の分まで仕事を背負っていたとしたら?
私ならどうがんばってみても、心中穏やかではいられない気がする。「本人にしかわからないつらさがあるんだろう」と、その人についてあれこれ言うことは控えても、複雑な感情が湧き起こるのを止められないだろう。
本書は、そんな“時と場合によって”うつを訴える人が昨今急増していることに着目した本だ。この手の、従来のうつ病とは症状を異にする新型のうつ病をテーマとした本は、『擬態うつ病
』(林公一著、宝島新書)、『気まぐれ「うつ」病
』(貝谷久宣著、ちくま新書)など、現役の精神科医による著作がこれまでにもいくつか出版されている。
この本の著者・香山氏も、昨年『仕事中だけ《うつ病》になる人たち
』(講談社)という類書を著している。同書が働き盛りの30代に「新しいタイプのうつ病」が増えていることを指摘し、その原因を「この世代特有の甘えと自己愛の強さ」であると世代論で片付けていたのに対し、本書では自ら「うつ」を語る人が急増する状況や背景、原因を幅広く社会全体の問題として捉えて論じている。
自分が「うつ」じゃないなんて……ショック!
著者がうつ病を取り巻く状況の変化に気づいたのは、診察に訪れた人がうつ病と診断されずにガッカリする場面が増えてきたことだった。
〈つい十年ほど前までは「うつ病だと思います」と伝えると、それだけで「私はもうおしまい、ってことなんですか?」と末期がんの告知を受けたかのようにショックを受ける人も少なくなかった〉
ところが最近では、〈「うつ病ではありません」と言われてショックを受ける人さえいる〉。人々の受け止め方が180度転換したというのである。
「うつ」を訴える人が増えた背景には、言うまでもなく「心の病」が世間一般に広く認知されたことが影響している。テレビや活字メディアでもたびたび特集され、自らの闘病経験を告白する著名人も増えた。なかでも著者は、謹慎騒動のすえ精神科医の判断を仰いだ朝青龍や、ストレスによる体調悪化を訴え辞任に至った安部晋三前首相のケースに注目し、なんでも「心の問題」で語ろうとする風潮に疑問を投げかける。
著者に言わせればこの二例は、本人が起こしたことの結果として、ストレス症状や体調の悪化が現われただけであり、「心の問題」がもとで不都合なことが起こったわけではない。なのに、病名がまるで印籠のように言い訳として通用してしまう。〈いま、うつ病は自分の置かれた不本意な状況や調子の悪さを自分で納得し、まわりに理解してもらうための“最適なひとこと”になりつつある〉というのだ。
さらには、特に不本意な状況でなくても「うつ病」を自称したがる人がいると著者は指摘する。こうした人々の心理に、著者は自己承認欲求を見い出している。「私はうつ病」と言うことによって、「ただの人」から、まわりから注目される「個性的な私」へと変貌できるからだ。
だが、「うつ病」をアイデンティティにしたがる人々は、決して自ら意識してうつ病を語っているわけではないと繰り返し著者は強調する。あくまで無意識下でそうした欲求が働いているところが、「私はうつ」と言いたがる人たちのやっかいなところなのだ。
では、そもそもこれまで「うつ病」と呼ばれてきたものは、どんな病気なのだろうか。
世界中で使われているアメリカ精神医学会の診断基準「DSM-4」(米国精神医学会の診断マニュアル「DSM」の第4版。1980年に発表された第3版から世界的に普及)によると、
〈「気分が落ち込み」「なんにも喜びを感じられなくなり」「夜も眠れず」「食事もとれず」「仕事への気力も失せた」という状態に二週間以上さらされていれば、それは立派な「うつ病」と診断される〉
という。つまり、〈エネルギー水準が客観的かつ慢性的にかなりの程度低下している〉のが特徴である。しかも本来うつ病になる人というのは、まじめで几帳面、努力家、責任感が強いといった傾向があり、「仕事もできず申し訳ない」と自分を責めるタイプが多いとされている。
だが、最近では職場や学校の外では活動的だったり、まわりの迷惑を顧みない人々が増えている。そこで、「これは新しいタイプのうつ病ではないか」と言われるようになったのだ。
現在、新型のうつ病と呼ばれるものには、うつ状態と軽い躁状態を繰り返す「双極性2型障害」や軽いうつ状態が慢性的に続く「気分変調性障害」などがある。要するに、慢性的に沈んだ状態にある従来型のうつ病と比べ、気分のアップダウンが激しいというのが特徴である。
ただし、これらはパーソナリティ障害や適応障害などとの区別がつきにくく、医師によって診断が異なるケースも多い。さらに、従来型のうつ病が休養と抗うつ剤の投与によって「治る病」とされている一方、新型のうつ病は抗うつ剤を飲んでも症状が改善されるとは限らない。
そうした医療現場の混乱を踏まえたうえで、本書が大胆なのは「うつ病(従来型を指す)」と「それ以外」を区別すればいいのではないだろうかと言い切ったところだ。
「心の病気」に逃げるな
この類いの本の多くが病名探しに終始し、症状をより細かく分析しようとする傾向にあるなか、精神科医の一人である著者が、ここまでざっくりと割り切るにはかなりの勇気を必要としたに違いない。だが、そうまでして言わずにはおれなかったのには、従来型や新型のうつ病をひとまとめにして「うつ病」にしてしまうことの弊害を痛感していたからだろう。
従来型のうつ病にかかっている人にとっては、その壮絶な苦しみが他人に軽くみられてしまう危険性がある。うつ病は死にも至る病だ。それが周囲から「どうせ休む言い訳でしょ」と軽く扱われてしまっては、治療や休養の機会を逃す可能性がある。
一方、それ以外の人にとっても、悩みや迷いからくる気分の落ち込みを単なる病気の症状にすり替えてしまうことは、生きることの豊かさや味わい深さを切り捨てる行為にほかならない。
だからといって著者は、「私は〈うつ〉と言いたがる人たち」を「辛抱が足りない」「精神的に子供だ」などど、単純に本人のせいにしているわけではない。
〈「売れるものがよいもの」と考える市場原理に基づく経済のグローバリゼーション化や、「速ければ速いほどよい」とされるネット社会が生み出した社会構造的な問題なのではないか、と思うのだ。つまり、現代を生きる私たちには、なんの得にもならない悩みごとを悩んでいるヒマなどない、ということだ〉
そうした社会の風潮を十分承知したうえであえて、いやだからこそ安易に「私、うつかも」と言う前に一人ひとりが我が身を振り返ってみようよ、というのが本書に込められた大きなメッセージなのだ。
著者は、間違いなく「心の病」への偏見をなくすことに一役買った人物だ。その人物が、今度は「精神科へ足を運ぶ前にちょっと考え直してみて」と呼びかける。精神科への敷居は低くなったものの、結果として治療が必要でない人まで押しかける状況になってしまった。常に第一線で発言をしてきた有名精神科医ならではのジレンマがあらわになると同時に、病まで一つの言い訳にして「楽になりたい」と潜在的に思ってしまう現代社会のひずみを本書は浮きぼりにしている。
日経ビジネスオンラインのコラム からの引用です。
私はうつではありませんでしたが、
病気ははっきりと自覚していました。
だから病院にいきました。
あきらかに日常生活に支障が出ていたから。
でも、たまにまわりから聞きます。
『あぁ~、私最近うつっぽーい。きついもーん。』
・・・(#・∀・)ムカッ!!
軽々しく言われると、
気分が悪いです。
ただの逃げであることを、『うつ』と言う言葉で正当化すること。
ほんとうに気分が悪いです。
私はパニック障害だったので、うつとは少し違いますが、
症状としては、死んでもおかしくないことが多々ありました。
そういうことがあれば『病気』とは決め付けませんが、
本当に病気で苦しんでいる人にとって、
軽々しく病名を語られることは、
本当に気分が悪いと思います。
少なくとも、私はそうです。
病気を受け入れることと
勝手に病気だと決め付けて正当化することは、
まったくもって違います。
後者はただの逃げだと思います。
自分に立ち向かう強さを持ってほしいものです。