生きづらさの原因を究明したい一心で始めた内省は6日目です。

 

今は『ザ・メンタルモデル ワークブック』に取り組んでいます。

 

 

 

先日、ワークブックの「イケてる私・ダメな私」を行い、私の中に自己分離があることが理解できました。

 

「イケてる私・ダメな私」が存在していました。

 

イケてる私は世界で受け入れられる私であり、理想の私でしたが、それでいるのは疲れちゃうなって感じました。

 

ダメな私をただ眺めてみて、そうだな私は人間で、生命のただの一部だなと感じました。

 

 

 

 

私たちはありのままですでに受け入れられているし、自分の命に適う世界を創り出すことができる創造者として生きることができるのです。

 

—『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

 

ただの生命の一部であり、ずべては最善であるという信頼と安心感が得られるとこのような境地に達するらしいのですが。

 

私にはまだわかりません。

 

 

生命の一部であると頭では理解できるといったところでしょうか。

 

 

 

 

ここで、『自己分離』という考え方を理解しようとおもいます。

 

自己分離とは

 

 

人に受け入れられる“いい”自分

 

人に受け入れられない“ダメな”自分

 

 

人の期待に応えられる自分は愛されるし、受け入れられる

 

こういう自分はいい

 

こういう自分はだめ

 

 

このように自分の「存在」に対していい、悪いと区別する。

 

 

これを自己分離というそうです。

 

 

つまり、生命の一部としてそのままでいいではなく、存在をありのまま受け入れられない、いい、悪いと判断する自分があることを自己分離という、これであっているでしょうか。

 

 

 

では自己分離はなぜ起きるのでしょうか。

 

私たちはこの世界に生まれ落ちて、この世界で生きのびなくてはいけません。

 

そこで「自分はどうしたら受け入れられるのか」、「この世界に適合できるのか」が最大の関心ごとになります。

 

自分が世界に適合し、受け入れられるよう成長します。

 

この世界というのはこうゆうものだという前提を固定して、だからどうすべきだと考えるようになります。

 

そして世界から受け入れられる、世界に適合できる『いい自分』と『ダメな自分』ができあがります。

 

これが内的な自己の分離、「自己分離」です。

 

 

世界というのは、家庭や学校、会社、国家などでしょうか。

 

幼いころの世界は一般的には家庭環境だと思いますが、1人では生きていけませんので、「どうしたらここで生きていけるのか」は最大の関心ごとであることは納得します。

 

そして、当たり前のことです。

 

そして、どんな人間でも『自己分離』は存在することがわかります。

 

 

 

ワークブックの「イケてる私・ダメな私」を行い、私の中に自己分離があることが理解できました。

 

 

 

 

 

今日は「ダメな私」を深掘りしていくワークです。

 

 

わたしたちは「ダメな私」のままではいられないようです。

 

 

 

人間はこの「ダメな」に分類される自分に対して何らかの行動を起こします。

 

ー『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

 

ではわたしはダメな自分をどうしようとしているのでしょうか。

 

 

 

まずは「怒る、イライラする自分」をどうしているかです。

 

怒り、イライラは顔に出さないように努めます。

そして怒らない自分になれるよう努力しています。

 

怒る自分は極力顔に出さないように気をつけています。まぁ顔に出てるんですが。なので結果的に対処できてません。後でイライラした自分を責めます。どうしてイライラしちゃうんだろうって。人には期待しないでとか、課題の分離とか、本を読み、概念は理解できるんですが、結局イライラする自分は隠せなくて、後悔します。それを繰り返す負のループです。

 

 

次に「褒められている人に嫉妬して、自分がダメと言われていると解釈する自分」です。

 

嫉妬していることをひた隠しにします。

そして褒めている人の言うことに共感しているように振る舞います。

 

わたしは人が褒められていると嫉妬します。そしてわたしは褒められない人間なんだ、わたしはだめなんだ。なんでよなんでよ。わたしはだめなの?ってなります。ほんと書いてて面倒な人間だなって思います。しかし、そんなことは顔には出しません。嫉妬しますが、そうだねー〇〇さんすごいよねーって言います。心の奥底では、〇〇さん本当はこんな嫌なところがあるのにって妬んでるんです。ぐっと飲み込んで、へらへら笑ってます。

 

 

最後のだめな私は「会話が苦手な自分」です。

 

会話を避けます。

 

 

会話が苦手です。自分の言ったことが人を不快にしていないか、こう言えばよかったと反省します。人の言葉にもいちいち傷つきます。なので会話を避けます。人間関係を避けます。仕事上の会話、先生と生徒としての会話のような公的な会話はできますが、友達としての会話、同僚との雑談、そういったものはしません。その方が要らない考えが浮かばないので楽です。

 

 

 

このダメをどうしようとしていますかのを見て内省のための問いに答えてみます。

 

 

内省のための問い;どうしてそうしているのですか。それをすることで何を得られているのでしょうか。

 

 

 

それは普通の人と思われたいためにそうしているのです。

いい人と思われるためにそうしているのです。

そして無能とバレないためにそうしています。

 

 

怒る自分、イライラする自分、嫉妬する自分、これらは醜いものだと感じています。人間として劣っている感情というのでしょうか。そうゆうものを感じます。だから怒り、嫉妬なんて醜い感情は隠します。

 

そして、会話が苦手で会話を避けます。これは面白いことを言えない、気の利いたことが言えない、会話についていけない、そうゆう私の無能さが暴露てしまう感じがするので避けます。無能を隠すために避けるのです。

 

総じて、いい人で頭のいい人と思われたくて、感情のコントロールもできない低脳な人間と思われるのを避けているのです。

 

 

 

 

 

このようにして人は「ダメな私」に対して処理をしています。ダメを克服して、ダメを隠すことが社会的に正しいと正当化されているからです。

 

でも本当は、私たちは「ダメな自分を感じると痛い」、「ダメな私を感じると不快」だから、その痛み・不快を味わうことを避けるためにダメな私をあってはならないと拒絶し、克服したり、隠したりしているのです。

さらに本当はその痛みや不快感を避けているだけなのに、正しさや「べき論」てそれを「いいこと」にしたり、「自分がやりたいことだ」と意味付けて、その行動を正当化しています。

 

この痛み・不快を避けるための行動を「回避行動」と呼びます。

 

ー『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

 

イライラして、嫉妬している私は不快です。

 

隠したいのに隠せないことが更に不快です。

 

会話を避けることも正当化しています。

 

だって話したら相手を傷つけちゃうかもしれないし、いいのよ。話さないほうが、と理由をつけて正当化しています。

 

 

 

回避行動には、ダメな自分を努力して克服しようとする「克服型」と、不安・怖れが強くダメな自分を隠そうとして勝負を避ける「逃避型」の2パターンがあります。

 

『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

 

 

納得します。

 

今までの私は克服型だったように思います。受け入れられたくて、すごい人って思われたくて必死でした。

 

頑張んなきゃ頑張んなきゃ、頑張り続けなきゃ認められない、頑張るのが当たり前なんだって。いつだって笑顔で怒りなんて感じなくて、嫉妬もしない、そんな私でいなきゃダメなんだ。

 

でも満たされないんです。

 

むしろ状況は悪くなるんです。

 

何故なんでしょうか。

 

 

 

頑張んなきゃだめ、頑張らなきゃ認められない、褒められない、という“ない”。

この“ない”を避けるための回避行動の奥には『怖れ・不安・思い込み』があります。

 

でもどれだけやっても認められないという体験があって、さらに頑張るけど、、、

 

怖れを回避する行動は、悪い結果にならなくてよかったと言う最低限の安心しか生まれません。

 

 

 

 

 

自分に対して厳しく克服しようとすればするほど、周りの人にも同じ克服型や努力を要求し、それをしない人に対して見下したり、軽蔑したり、批判したりするので結果として周りとも分離していきます。

 

『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

 

これが、私の職場の人間関係がうまくいかない原因のひとつかもしれません。

 

怒る上司を軽蔑してました。怒るなんて人間として最低の行動だと。一回軽蔑するとわたしは態度に出しちゃうんです。軽蔑感を。

 

 

 

私は「イケてる私」を他人にも求めてる傾向もあるなと感じました。

 

私は必死で勉強したのに、この後輩は当たり前みたいに教えてもらって、、努力しなよ。

どうして、そんなに先が読めないの?ちょっと考えたらわかるでしょ?もっと先を読んでテキパキ行動してよ。

怒るのはダメなので、言わないけど、そうゆう空気ビシバシ出てたんだろうな。

 

 

この人生38年間、ダメな私を克服しようと、いい自分でいなきゃと必死で生きてきたように思います。

 

でも私は人間関係が上手くいかない、もう人間としてどうかしていると結論付けて今は逃避型に落ち着いています。

 

 

克服型が優位である場合、

 

・努力して克服しようとする

・主張する

・要求する

 

といった行動をとり、行動が目に見えるので、社会的に評価されやすいようです。

 

 

これも納得です。

 

克服型が優位だった頃は、他の同期よりも少々先に出世しました。

成果を出したいので、アイデアはどんどん上司に伝えましたし、必要な資格があれば取っていました。

 

 

 

しかし、なぜか人生がうまくいかないと痛感した私は今、逃避型で生きています。

 

 

逃避型が優位である場合、

 

・不安・恐れが強い

・言い訳する

・不快にさせたくない、なりたくないと言う理由から調和的

 

まさにこの通りです。

 

もう今は人間と最低限のコミュニケーションしか取りません。

 

逃避優位では行動がなく、社会的に評価されにくいようですが、

それに関しても納得します。

 

私は人間を避けているので、後輩指導なども積極的には行いません。

 

指導していくべき立場なのですが、怖いのです。

 

上司が私に物足りなさを感じている空気も感じています。

 

 

 

 

 

回避行動はあるところを境に、やればやるほどマシになるどころか、自分とも他者とも分離が加速し、そこから不本意な事象が現実に起きてきます。

 

『ザ・メンタルモデルワークブック』由佐美加子,  中村伸也著

 

 

私はもうこれです。

 

来るところまで来た、行くところまで行った、、、

 

 

 

 

 

今日はここまでにします。

 

ダメな私を深掘りするワークで、嫌な内容だったかもしれませんが、

 

私は私の生きづらさが明確に表現されている『ザ・メンタルモデル』がとても好きです。

 

やっていて爽快です。

 

 

人生はダメな私を何とかしようと必死に生きてきたことがよくわかります。

 

でも全然うまくいかなくて、人間関係も仕事も、

 

だから今、こうして逃げるように人生を送っているんだなと実感しました。

 

 

 

明日はどんな内省ができるでしょうか。