わたしの生きづらさを解決したいと本を読んでいたら、
「ザ・メンタルモデル」に辿り着きました。
この書籍内でのメンタルモデルとは誰もが無自覚に持っている「自分は/世界はこういうものだ」という人生全般の行動の起点になっている信念・思い込みです。
この信念・思い込みがわたしの人生を自分自身で苦しくしているのであろうと言うことです。
心理学などを勉強していても、幼少期などに作られた信念・思い込みが今も作用していると書かれているのでそうゆうものかと今は思っています。
生きやすくなりたいので、『ザ・メンタルモデル ワークブック』をします。
『ザ・メンタルモデル』は読んでいて面白いですが、自分のことを考えると思考がぐるぐるし出して、考えすぎて吐き気がするので、わたしにはまだ早そうです。
ここからは本の内容がネタバレします。
「イケてる私とダメな私のワーク」を行いました。
イケてる私もダメな私もスラスラ出てきます。
特にダメな私はワークシートに書ききれないほど出てきます。
これは予想通り。
ダメな私は私を毎日落ち込ませるので、頻繁に考えています。
意外だったのは「イケてる私」です。
イケてる私は
・よく笑う
・人のいいところに気が付く
・気が利いて先回りして行動する
・テキパキしている
・綺麗好き
こんな感じです。
このイケてる私をなぜ私は「イケてる」と思ったのか。そしてその「イケてる私」は本当にそうなりたいと望んでいる自分なのか。
と言うワークブックの問いに対する私の答え。
イケてる私は「テキパキしてて、気が利いて、頭の回転がよくて仕事ができる、それでいていつも笑顔」それは私の理想の私です。
望む私ですかと聞かれると、そうでもないのです。
本音は
・いつも笑っていると頬の筋肉痛いからいや
・人のいいところに気が付くのはそれ用のセンサーを発動しなきゃいけなくて疲れるからいや
・気が利いて先回りして行動するのもそれ用のセンサーを発動しなきゃいけなくて疲れるからいや
・テキパキするのもそのモードを発動しなきゃいけないからいや
・綺麗好きはただ単に汚いのが嫌なだけで、もう最低限綺麗ならいいと実は思っている。お風呂を毎日磨くなんて出来ない
自分の本心に気がついたらもう面白くて、一人で笑ってます。
イケてるわたし、全部いや。
本当はだらっとした自分になりたいのかな。
センサーとモードを発動しない自分でいたいのかな。
こんな感じの。職場でもこんな感じのわたし。
そうしたら疲れなくていいな。
そう思う反面、
このイケてる私じゃなくなったら、私のいいところはどこにあるの?
気が利く私じゃなくなったら、私の価値って無くなる気がする・・・・
さっきまで笑っていたのに、不安に襲われています。
この答えはこの先、ワークブックを進めていくと見つけられるのでしょうか。
不安です。