相田みつをさんの書が好きで、

ふと思いついて、相田みつをMuseumに立ち寄ることがあります。

今は、ちょうど「自分の番 いのちのバトン」という企画展が開催されています。


昔(大学生のころ)、将来どんな仕事をしたいんだろう?と

まだ自分探しをしている頃に、

みつを氏の書を眺めながら、あれこれと自問自答していたり。

メッセージから勇気をもらったり、

うまくいかないなぁ・・と落ち込んでしまったときには、


「つまづいたって

いいじゃないか

にんげんだもの」


という書に励まされたりしていました。


多感な時期に影響を受けたからなのか、

私のもとに訪れるクライエントさんに対するメッセージにも、

どこか、根底のところで似ている言葉が出てきたりもしているかもしれません。


印象に残っている作品を、いくつかご紹介いたしますねラブラブ

(以下の画像は、相田みつを生誕80年 

企画展の本より引用させていただきました)


これは、昭和19年8月に書かれたもの。めずらしく、軸装です。
このころ、みつを氏は、20歳くらい。この翌年に召集されて、入隊します。
これは、習作といわれていますが、生きては帰れないかもしれない、
という思いから、残そうとしたのかもしれません。
「雲の上の天子様のために、何をもって報いようか、
鉄や意志のように硬い決意は全く衰えていない」 という意味です。
1942年に本格的に書をはじめてから3年くらいで、数々の賞を受賞したみつを氏。
将来は、約束されていたのですが、この数年後には、
書家として誰のまねでもない独自の作品を生み出そうという試みがはじまります。


これは、1960年ごろの作品。「不易(ふえき)」
不易とは「人の心や、この世に存在する一切のものが、
時代を通じて変わらないこと。時を越えた真理」

みつを氏は、字体は変わっても、
書に取り組む姿勢は変わらない、という
心意気を書に託したのかもしれません。

ところで、「」という言葉は、みつを氏は、
よく使っており、一生のテーマと考えていたようです。
「今までの自分にバッテンをつけ、
新しく生まれ変わる」という意味で
使っていたと言われています。
日々、真剣に書と向かい合っていたみつを氏ならではですね。


この言葉は、いろんなバージョンで書かれていました。
そうだなぁ・・と実感してしまう言葉です。

一生けんめいに、人生の真実を求めて、
歩んできた「相田みつを氏」
昨日は、数々の作品をみていて、
いろんなシーンが思い浮かんできました。

美術館では、ビデオも放映されておりますので、
みつを氏が、どんな気持ちで、
真っ白な紙に向かっていたのかが、伝わってくると思います黄色い花