研究の最終年度を待って,転職を考えていました。しかし,現職の教授のまま,転職の希望を伝えてもなかなか本気にはとってくださいません。それはそうでしょうね,現職の教授ですから。(しかし,その後の全国的な傾向として定年退職まで医学部教授を続ける人は徐々に減ってきているように思います。以前なら「退職後にはぜひうちの病院に名誉院長で来てください」というお誘いがあったお聞きますが,最近ではそのような「天下り」的な話が少なくなってきたのが原因だと思いますが・・)

 

 そこで,家族とも親とも友人とも話し合いを重ねて,思い切って,2010年正月明けには「退職届」を提出しました。ここで一般論に広げられないのは,医師という仕事は,たとえ常勤でなくても,アルバイトなどで生活費を稼ぐことは,それほどの難しくないという理由に依ります。実際,学生だった息子がいましたので,「家族に経済的には迷惑をかけないということは守る!」ことの算段がついたので,早期退職に踏み切れたのです。衝動的に退職届を提出したわけではない,ということは強調しておきます。

 

 前回,その頃は,全国を回って,グループ療法ができる医療者の養成講座を行っていた話をしましたが,その中で,最も医療者が熱かったのが沖縄だったのですが,そこをモデル地区にして,「がん患者の心のケアにも均てん化を」という私のライフワークの一部を実践しようと思うようになっていたのです。

(続く)