本日、私は

うちの息子のスニーカー選びに付き合いました。

 

うちの子、新作好き。

なぜか高額商品をいつも選ぶ。

 

 

見るたびに嬉しくなるように

物はとにかく好きなものを選びなさいって

言っていますが

 

時々自分の幼少期がよぎる時があります。

 

 

「できるだけ安いもの」

が家庭の買い物のテーマのような時期があり

 

かなり遠慮して暮らしていたなぁ

って思い出したりしていました。

 

 

 

うちの子は

欲しいものはいつも買ってもらっているし

 

本当にやりたいことは

お金がいくらかかっても

やっていい、

って言われています。

 

 

 

私はいつも自分の意見は言うし

要望は言いますが

 

本人の意見も必ず聞きます。

 

で、最終的には息子は全て自分で

自分のことは決めてる。

 

 

正直

「お金出したりお世話するのはこっちなのにね~。

横柄だよね。」

って思って文句言う時もある。

 

「なんでもやってもらって当たり前だと思てるでしょう」

っていうと

 

「思ってる。

当たり前じゃない状況が分からないからどうしようもない。

ダメだって言われたらその時考える。」

 

と冷静に言われるので、

「そうですね。」

と言うしかなかったりして・・・。

 

 

 

そんな息子を見ていると

「この子いいなぁ」「自由だなぁ」

「愛されてるなぁ」

って自分の子なのに

思う時がある。

 

 

で、この「いいなぁ」を

自覚していない時は

 

子どもの自由さに腹を立て

 

「それくらい自分でやって!」

「なんでこうしないの?」

「そんなのありえない!」

とか思うんですよね。

 

 

だって

自分はやってもらえなかったから。

自分は許されなかったから。

自分には自由なんてなかったから。

自分は自分の子ほど愛されたと思っていないから。

 

 

そうやって

理不尽だけど

無意識に自分の子どもにも嫉妬するのが親。

 

 

で、抑えつけたとしても

大抵はその親の嫉妬を超えて

枠を超え

こどもは自由に行動しますよね。

 

 

 

 

そんな風に自分の枠を外してくれる子供たちは

 

誰よりも

 

私たちを自由にしてくれる人。

 

私たちを許してくれる存在です。

 

 

親をやっていたらみんな一度くらい

 

自分が絶対許されなかったこと

許したくないことを

 

子どもに許すことがあると思います。

 

 

そうして

 

「自分もそれやっていいんだな」

 

「昔は許されなかったけど

許しても大丈夫なんだな」

 

って

 

どこかで気づく。

 

 

 

 

私たちが

自分で許せないことは

子どもがちゃんと許してくれてる。

 

 

子どもたちが私たちに教えてくれていること

それは

 

「それでいい」

「許していい」

 

ってことです。

 

許してあげているようで

許してもらっている私たち。

 

 

そんなメッセージを私たちに残して

 

自分の好きな靴をはいて

 

自分の人生を歩いていく子供たち。

 

 

子どもがくれる愛には

やっぱり勝てないなぁ

って思います。