(前回の関連記事は「クンダリニーと宇宙人の魂 」です。)
暗号解読
劇団 「前回の記事ではCSさんの声がひろゆきににているという話から、
世の中には宇宙人の魂を持った人間がいてアメリカの
アセッション系の人々は、
①生まれつき宇宙人の魂を持った人間→ ワンダラー
②後天的に宇宙人の魂と融合した人間→ ウォークイン
と分類している。
さらにCSさん自身は、
クンダリニー覚醒がきっかけで後天的に宇宙人の魂と融合した
ウォークインの特殊タイプ
であるという話でしたね。」
CS 「はい、そうです。」
「これは(クンダリニー覚醒とは何か?)という本質的な問いに対する
答えを含んだ話なのですが、ここでは関係ないので割愛します。」
劇団 「それもいずれ聞いてみたいで気がしますが。」
CS 「受講者にならなければ知り得ない情報を残しておく事は重要ですから。」
「それよりも、わたしがここで力点を置きたいのは、
エネルギーは人によって様々な違いがある。
という事なんです。」
劇団 「それはそうでしょうね。」
「でも、このブログ記事で同じような事を何度も書いているじゃ
ないですか。」
CS 「それがいろいろな人に話をするとみんなわかっていないんですよ。」
「例えば、このブログ記事にたびたび登場する、丹道周天をわたしに
教えてくれた気功の元師匠がいます。」
劇団 「はい。」
CS 「彼の教えていた丹道周天と、わたしが教える丹道周天は全く別物なんですよ。」
劇団 「えぇーっ!!」
「それって何でですか?」
CS 「それは元師匠とわたしのエネルギーが違うからです。」
劇団 「違うって、具体的にどういうことなんですか?」
CS 「元師匠はエネルギー的にはもともと神道系に近かったんです。」
「それも実家が神主していたとかいう特別に神道と縁が深いケース
でなくて、普通に初詣やお祭りの時に神社に行く平均的な日本人の
つながり具合です。」
「彼はよく自分の事を”下町の江戸っ子”って言っていましたが、
まさにそんな感じの波動だったんです。」
劇団 「特に問題は無かったんですね。」
CS 「はい、それが行が進むにつれて変化が起き始めたんです。」
劇団 「変化?」
CS 「丹道(背骨内部の気脈のルート)を開いた辺りから、頭頂のチャクラが
開き始めたんです。」
劇団 「頭頂って、百会ってツボですね。」
CS 「それもよく一般の気功書に書いてある、
天地のつながりをイメージすると頭が何となく
スースーするようになります。
とか、
頭のてっぺんがもぞもぞして、手のひらをかざすと
びりびりします。
これであなたの頭頂のチャクラが開いて大周天に到達しました!
なんてショボイなんちゃって大周天じゃありません。」
劇団 「ショボイなんちゃって大周天じゃありません。
ってどんな感じなんですか?」
CS 「元師匠よく(脳が揺れる)といっていました。」
(元師匠の文章からの抜粋)
そのうち温かい湯気みたいなものが背骨を上昇するのを知覚できる
ようになる。
その感覚は次第に明瞭になり、ついには熱湯が噴謄するかのごとき
感覚が生じます。
そんときゃあなた、頭ン中が松代といえば『日暮硯』恩田木工だけど、
真っ白になります。
強烈な気の上昇で脳が揺さぶられるため、こうした現象が起きるンですな。
気はたんなる想像の産物でなく、こんなふうに《物理的》に脳に影響を与える。
正に信じる者は幸いなり、アーメン!てところです。
玉枕通過のさい、気が脳へ流れ込むことで、いわゆるフラッシュ(閃光)が
目撃されます。
小周天開通者の手記をひもとくと、
(会陰、尾骨、次いで腹中がいたたまれぬほど熱くなり、ほどなく熱い
気の塊がズキズキズキズキと脈打ちながら督脈(背骨)を上昇し始めました。
通過地点の各チャクラは数倍にも膨張し、まるで電球が明滅するかのように
脈動を繰返します)
なぞとあります。
これは丹田に蓄えられた〔気〕が、会陰に潜む〔性エネルギー〕と合流し、
一目散に脳へ馳せ登るありさまなんです。
チャクラばかりじゃありません。
頭蓋骨全体が強力バイブでも当てられたみたいに、ブルブルと振動します。
この強烈なエネルギーあってこそ、脳に目覚ましい変化をもたらすことが出来る。
劇団 「確かに上記の体験に較べたら、
天地のつながりをイメージすると頭が何となく
スースーするようになります。
とか、
頭のてっぺんがもぞもぞして、手のひらをかざすと
びりびりします。
これであなたの頭頂のチャクラが開いて大周天に到達しました!
というのはショボイですね。」
CS 「ただ、何度もこのブログで書いていますが、やってる本人たちが
満足してればそれでいいと思うんです。」
「それに他人のやり方にあれこれ口出すのもどうかと思いますので、
ショボイという言葉は取り消します。」
劇団 「取り消すとは?」
CS 「↓が改訂版です。」
「それもよく一般の気功書に書いてある、
天地のつながりをイメージすると頭が何となく
スースーするようになります。
とか、
頭のてっぺんがもぞもぞして、手のひらをかざすと
びりびりします。
これであなたの頭頂のチャクラが開いて大周天に到達しました!
なんてのは、
ソフトで人に優しいマイルド大周天じゃあ、あ~りませんか? 」
劇団 「ソフトで人に優しいマイルド大周天ですか!」
CS 「そう、またこの↓
じゃあ、あ~りませんか?
の部分が、実は否定も肯定もしていない疑問形になっていて、
玉虫色でいいでしょ?」
劇団 「ハイ、まさに波風立てない日本人的感性が素晴らしいと思います。」
「久々に、チャーリー浜↓を思い出しもしましたが。」
劇団 「ところで元気功の師匠の文章に書いてあった、
頭ン中が松代といえば『日暮硯』恩田木工
って何なんですか?」
CS 「わたしも最初は何のことやら訳わからなかったのですが
調べてみたところ、
『日暮硯(ひぐらしすずり)』とは、江戸時代中期・9代将軍徳川家重の時代に
藩政改革を行った恩田木工民親(おんだもくたみちか)という人の業績を
書き記した筆録なんです。」
『日暮硯』を読み解く――松代藩家老・恩田木工に学ぶ「人の動かし方」
河合敦(作家 歴史家)より抜粋。
恩田木工民親は、30代後半の若さで信州松代藩(現在の長野県長野市松代町)の
家老になったが、この時期の松代藩は、度重なる幕府からの課役や水害など天災の
ために莫大な出費を強いられ土地も荒廃していた。
『日暮硯(ひぐらしすずり)』では、民を愛し誠実一筋に政治を行い、みごとに
藩財政を建直した家老・恩田木工民親の姿がよく描かれている。
木工はまず、大きな2つの決断を下した。
「ウソをつかないこと」「いったん命じたことは、決して撤回しないこと」である。
そして、この2つを貫徹するために命を捨てる覚悟を決め、改革の足手まといとなる
家族や家来を義絶しようとしたのである。
大きな仕事を成功させるためには、それくらいの決意が必要だということだろう。
改革にあたって木工は、諸役人だけでなく、領民すべてに自分の政策を事細かに
説明し、彼らの同意を取りつけている。
木工が大切にしたのは「信」であった。
自分に対する信頼がなければ、人々はついてこないと考えたのだ。
ゆえに異例ながら、こうした措置をとり、同時に自分は粗食に甘んじ、その身を
強く律したのだった。
こうしてはじまった松代藩の宝暦改革であったが、他藩のそれとは大いに様相が異なった。
ふつう改革といえば、徹底的な倹約を領内に命じ、農民への増税や武士への給与カットで
財政を再建するのが一般的であった。
ところが木工は、一切増税はせず、逆に農民への諸役を廃止し、
「今後は年貢の先約や上納金は求めない」と約束、
「役人に対する不満を書面にしたためて差し出せ」と申し渡したのである。
農民たちは狂喜し、瞬時に彼らをしてみずから改革に協力させる体制をつくり上げる
ことに成功したのだった。
さらに驚くべきは、不正を告発され戦々恐々としている悪徳役人たちを自分の同志と
したことだろう。
罪を許されたことに大いに感謝した彼らは、以後、木工の忠実な手足となって改革に
尽力していくことになった。
<解説>
財政再建のための藩政改革というのは、現代でいえば傾いた企業の経営再建と
同じであろう。
間違いなくその改革は、痛みを伴うものである。
また、担当者も性急に成果を挙げようと思うから、悲鳴を上げたくなるような、
急進的な施策を断行することが多い。
だから、恩田木工が家中の者たちを集めたとき、きっと人々は戦々恐々と
していたに違いない。
そんな張り詰めた空気の中で、「自分の仕事をしたら存分に余暇を楽しんでかまわない」
と述べ、さらに「そんなに性急に改革をやるつもりはない」と言ってくれたことで、
家臣たちはホッとため息をついたはずである。
まずは人々に安堵感を与えることで、木工は改革に対するアレルギー反応を排除し、
一致団結をはかろうとしていたのだろう。
劇団 「なるほど、恩田木工さんは人心掌握に長けたなかなかの遣り手ですね。」
「ていうか、いつのまにか本当に『池上彰のよくわかるニュース』みたいな
内容になっていますが。」
CS 「ただこれで、
頭ン中が松代といえば『日暮硯』恩田木工だけど、
という文章は、
松代→ 信州松代藩(現在の長野県長野市松代町)
『日暮硯』 恩田木工
→恩田木工さんが松代藩の財政を立て直した過程を記した
書物の名称が『日暮硯』
と解読できるわけです。」
劇団 「それでは、
頭ン中が松代(まつしろ)といえば
というのはどういう意味なんですか?」
CS 「これはおそらく、
頭ン中が松代といえば『日暮硯』恩田木工だけど、
に続く、
真っ白になります。
の「真っ白(まっしろ)」と「松代(まつしろ)」の部分で
(まっしろ)と(まつしろ)を掛け合わせたダジャレ
という意味で彼は文章を書いたのだと思います。」
劇団 「ダジャレですか・・・。」
CS 「元師匠は、普通の文章を2~3日で書き上げた後に、
1週間近く時間をかけてダジャレを付け加えていたそうです。」
「まぁ、このダジャレも↓のように頭絞って必死で考えたんでしょうね。」
2~3日で書いた最初の文 → 頭ン中が真っ白になります。
1週間かけて考えたダジャレ文 →松代といえば『日暮硯』恩田木工だけど
完成文→ そんときゃあなた、頭ン中が松代(まつしろ)といえば『日暮硯』
恩田木工だけど、真っ白(まっしろ)になります。
劇団 「うわっ、まるで古今和歌集や万葉集の解説文みたいですね!」
CS 「そうです。元師匠の文章中のダジャレを理解するには高度な
暗号解読能力が必要とされるんです。」
「まさに和製ジェイムズ・ジョイス。」
劇団 「(笑)」
CS 「元師匠は下町の江戸っ子と自称していたせいなのでしょうか、江戸時代の
逸話みたいな本がやたら好きだったんです。」
「藩政改革では恩田木工よりもメジャーな上杉鷹山の本なんかも会報誌で
紹介していました。」
劇団 「50代の管理職のサラリーマンが好きそうな本ですね。」
CS 「それが昂じて本居宣長とか平田篤胤とか、段々読む本がディープに
なって行ったんです。」
本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。
師・賀茂真淵の古道説を継承し、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。
宣長は、真淵の勧めで、当時既に解読不能に陥っていた『古事記』を研究して
解読に成功し、約35年を費やして『古事記』註釈の集大成である『古事記伝』を著した。
『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、国学の源流を形成して
ゆくこととなった。
平田 篤胤(ひらた あつたね)は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。
復古神道(古道学)の大成者。
当初は、本居宣長らの後を引き継ぐ形で、儒教・仏教と習合した神道を批判したが、
やがてその思想は宣長学派の実証主義から逸脱した神秘学的なものに変貌していった。
篤胤の学説は水戸学同様幕末の尊皇攘夷の支柱となった。
劇団 「『古事記』、『復古神道』、『尊皇攘夷』とはこれまた段々とディープな
深みに嵌まって行ったんですね。」
「で、その頃、CSさんはどうしてたんですか?」
CS 「当時はクンダリニー覚醒で宇宙人の魂と繋がってウォークインに
なっていました。」
劇団 「 『尊皇攘夷』 と『宇宙人』、これはまさに水と油ですね。」
CS 「この頃からわたしと元師匠の関係は急速に悪化していきました・・・。」
※次回の記事更新日は8月1日になります。

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