ワンセグ録画、第3話を撮っていなかったので
リバタリアンについての議論がわからない!
ううう。
サンデル先生の講義についていくには、
予習しておく必要があるなって感じ。
(自分に政治哲学のバックボーンがないので)
今は第4、5話くらいまで見たかな。
でも、
1回聞いただけで理解するのが難しいです。
多分、第6回目だと思いますが、
カントについてなども、
彼の主張を理解して自分に落とし込むのに、
一度だけだとちょっと無理。
そもそも、
カントについても何も知らない状態だし…
おはずかしながら。
でも、
この「倫理とは、モラルとは何か」
について考えるって、非常に重要だと思う。
だって、自分がどういうスタンスで
生きて生活しているのか、っていう骨格ですもんね。
そもそも、日常生活だと
専門に勉強しているか仕事にでもしていない限り、
そこまで深く突っ込んで
自分の保持している倫理観について
深く考察するなんてこと、
めったにないわけですから。
と は 言っても
アルケミストを志している人、
あるいはライトワーカーなら、
そういうこむつかしー事を、
何かしら毎日あれこれ考えていると思いますが。
でも、私の場合それがいつも
概念的というか、
ぼんやりとでしかなくて、
きっちりアウトラインをクリアにするなんていうことがない。
だから、いざという時に言語化できないわけだけれども。
それってつまり、自分の意見や意図を
しっかりまとめられていない、
という事なんだよなと、
サンデル先生の講義を聞いていて思った。
一つの事例が出された時、
自分だったらどう思うか、
何が正しくて、何が間違っていると思うのか。
どうしてそれを正しいと思うのか、
間違っていると思うのか、
きちんと説明できない時点で
「ああ、自分って普段何も考えないで生活してるんだな」
って反省しますよ。これは。
西欧はYes,Noをはっきり言って、
日本人はいつもグレー。
とかよく聞きますが、
サンデル教授の講義を見ていると、
「自分がどう思うか」
意見をしっかり持っていなければ、
そもそもYesとかNoとか言えないわけで。
Yesなのか、Noなのか。
それとも、
他に自分としてはっきり「こうだ」と言える何かがあるのか。
グレーにしか答えられないとしたら、
そうする理由が明確にあっての事なのか、
ただ単に自分が何を考えているのかも
分かっていないでそうなのかでは、
まるで違いますよね。
数ある答えのなかから、
自分だけの意見を導き出す。
これもある種、訓練かも。
私はかなり優柔不断な傾向があるけれども、
これは今まで自分が何かに対して
結論を出したり、
選択したり、
自分の意見としてアウトプットすることに対しての
ある種の怖れがあったからかもしれない、と
感じました。
何かを選び取るって、
とても難しいし、エネルギーのいること。
でも、それが
「自分が何者なのか」を示す方法なんだよね。
白でも、黒でもいい。
けれど、
じゃあ、自分は白がいいのか、黒がいいと思うのか。
それともグレーがいいと思うのか。
絵を描く時と似ているかもしれない。
アニメ作品でもなんでもそうだけれど、
「ここは、この色でなければならない」
っていう選択は絶対に下さなくては仕上がらないわけで。
白がいいかなぁ?
黒かなぁ?
グレーは、白に近いグレー?
黒により近いグレー?
どれもいいから、選べない、なんていうわけにはいかない。
それでは、世界は定まらず成り立たない。
あいまいなまま。
プロは、万物の中から、必要なものを正確に選び出す。
ここに、この形。この色。
そして、「今、ここ」の瞬間に、あるべき形で描き出す。
選択することは自分自身で責任を引き受けることでもある。
選ばずにいてあいまいに誤魔化しているのは、
一見楽なようにも見えるし、
責任を負わなくてもいいように見える。
けれど、それは結局
自分自身で選択することを手放しているのではないか。
選ぶことを避けることで、
白にも、黒にも、グレーにも、
いい顔をしているように考えていた。
でも、そうじゃない。
どれも選べないのは、
どれからも選ばれない。
一つの道を選択することは勇気がいる。
他の可能性を諦め、手放さなければならないから。
けれど、
数多ある中から選びだせるからこそ、
選択が自分自身を形作り、
輪郭をはっきりさせることになる。
「これが、私です」
って言えるようになる。
選ぶのを怖れてきたけれど、
一つ一つの事象について、
私ならどうしたいか。
何を選ぶのか。
自分の意見をはっきり持つこと。
アイデンティティを確立させること・・・・・・・
ちょっと訓練していってみようかな。
リバタリアンについての議論がわからない!
ううう。
サンデル先生の講義についていくには、
予習しておく必要があるなって感じ。
(自分に政治哲学のバックボーンがないので)
今は第4、5話くらいまで見たかな。
でも、
1回聞いただけで理解するのが難しいです。
多分、第6回目だと思いますが、
カントについてなども、
彼の主張を理解して自分に落とし込むのに、
一度だけだとちょっと無理。
そもそも、
カントについても何も知らない状態だし…
おはずかしながら。
でも、
この「倫理とは、モラルとは何か」
について考えるって、非常に重要だと思う。
だって、自分がどういうスタンスで
生きて生活しているのか、っていう骨格ですもんね。
そもそも、日常生活だと
専門に勉強しているか仕事にでもしていない限り、
そこまで深く突っ込んで
自分の保持している倫理観について
深く考察するなんてこと、
めったにないわけですから。
と は 言っても
アルケミストを志している人、
あるいはライトワーカーなら、
そういうこむつかしー事を、
何かしら毎日あれこれ考えていると思いますが。
でも、私の場合それがいつも
概念的というか、
ぼんやりとでしかなくて、
きっちりアウトラインをクリアにするなんていうことがない。
だから、いざという時に言語化できないわけだけれども。
それってつまり、自分の意見や意図を
しっかりまとめられていない、
という事なんだよなと、
サンデル先生の講義を聞いていて思った。
一つの事例が出された時、
自分だったらどう思うか、
何が正しくて、何が間違っていると思うのか。
どうしてそれを正しいと思うのか、
間違っていると思うのか、
きちんと説明できない時点で
「ああ、自分って普段何も考えないで生活してるんだな」
って反省しますよ。これは。
西欧はYes,Noをはっきり言って、
日本人はいつもグレー。
とかよく聞きますが、
サンデル教授の講義を見ていると、
「自分がどう思うか」
意見をしっかり持っていなければ、
そもそもYesとかNoとか言えないわけで。
Yesなのか、Noなのか。
それとも、
他に自分としてはっきり「こうだ」と言える何かがあるのか。
グレーにしか答えられないとしたら、
そうする理由が明確にあっての事なのか、
ただ単に自分が何を考えているのかも
分かっていないでそうなのかでは、
まるで違いますよね。
数ある答えのなかから、
自分だけの意見を導き出す。
これもある種、訓練かも。
私はかなり優柔不断な傾向があるけれども、
これは今まで自分が何かに対して
結論を出したり、
選択したり、
自分の意見としてアウトプットすることに対しての
ある種の怖れがあったからかもしれない、と
感じました。
何かを選び取るって、
とても難しいし、エネルギーのいること。
でも、それが
「自分が何者なのか」を示す方法なんだよね。
白でも、黒でもいい。
けれど、
じゃあ、自分は白がいいのか、黒がいいと思うのか。
それともグレーがいいと思うのか。
絵を描く時と似ているかもしれない。
アニメ作品でもなんでもそうだけれど、
「ここは、この色でなければならない」
っていう選択は絶対に下さなくては仕上がらないわけで。
白がいいかなぁ?
黒かなぁ?
グレーは、白に近いグレー?
黒により近いグレー?
どれもいいから、選べない、なんていうわけにはいかない。
それでは、世界は定まらず成り立たない。
あいまいなまま。
プロは、万物の中から、必要なものを正確に選び出す。
ここに、この形。この色。
そして、「今、ここ」の瞬間に、あるべき形で描き出す。
選択することは自分自身で責任を引き受けることでもある。
選ばずにいてあいまいに誤魔化しているのは、
一見楽なようにも見えるし、
責任を負わなくてもいいように見える。
けれど、それは結局
自分自身で選択することを手放しているのではないか。
選ぶことを避けることで、
白にも、黒にも、グレーにも、
いい顔をしているように考えていた。
でも、そうじゃない。
どれも選べないのは、
どれからも選ばれない。
一つの道を選択することは勇気がいる。
他の可能性を諦め、手放さなければならないから。
けれど、
数多ある中から選びだせるからこそ、
選択が自分自身を形作り、
輪郭をはっきりさせることになる。
「これが、私です」
って言えるようになる。
選ぶのを怖れてきたけれど、
一つ一つの事象について、
私ならどうしたいか。
何を選ぶのか。
自分の意見をはっきり持つこと。
アイデンティティを確立させること・・・・・・・
ちょっと訓練していってみようかな。