私に出来ることは何か。

そう問いかけると、多くの場合、返ってくる答えは驚くほど限定的だ。 「君には◯◯しか出来ない」 「むしろ、何もしない方がいい」
そんな言葉を投げかけられたこともある。
 正直、悔しかった。 それは他人からの評価の問題というより、ある日突然に、たくさんの偶然の連なりから、私の魂の奥より突き上げてきた、大事なことについての私の覚悟を試されたように感じたからだ。

確かに何もしない方が安全だ。
蓋をしろ、蓋をすれば楽に生きていける…
でも、あれだけ多くの偶然を引き寄せた私の魂が、それで納得することはないだろう。
蓋をすれば、死ぬまで燻り続ける。
その苦しみの方が、私には耐えられない。
思い込みの蓋を外せば、やれる事は限りなくある気がする。

向き合おうと思った事について、現状が変わらないのは、これまでと同じやり方では動かないというサインだろう。
たくさんの人達が関わってきた。
それぞれの魂の叫びがその瞬間瞬間に、国を越え大地の上に、海上に響き渡った。
状況が動かない。
事件の記憶が薄れていく。
それは虚無に帰すか?

私はそうは思わない。

 私は、状況を丁寧に見つめながら、物事の捉え方をニュートラルに、行動もアップデートしていく必要があると感じる。

この数年、私を取り巻く環境も、怒涛のように変化していった。
雑に扱われる事もあったけど、私はそれには「NO」を言う。

私は、私の人生の全責任を負う。
そのうえで、自分に正直に、私らしい人生を軽やかに生きていく。
 この選択も、その一部だ。 同時に、自分の人生を大切に扱っていこうと、改めて思っている。
自分の本音すら大事に出来ない人に、真の意味で他人を大事に出来るわけがないと感じる。

囚われない。 
執着しない。 
軽やかに。 
リラックスして。

そんなことを考えながら、今日はこの曲を聴いていた。

『魂のルフラン』

——本来の自分の魂に、還るために。

大韓航空機撃墜事件。
これに私なりに、向き合い続けていく。