こんにちは、kaiです☆
アメーバピグ、はじまりましたね~
なかなか面白いですね
あんまりこういうのはやった事がなかったので
アーティストであるということは、
伝えたい何かを表現するということ
伝えたい事を持っていない人間は、
ただの入れ物であり、書き手や歌い手であり、
アーティストではありません
逆に、職業アーティストではない人間でも、
伝えたい事を表現する術を持つ人間は、
根源的なアーティストであると言えます
アートという言葉の語源は、
古代のリベラルアーツにあるという話を以前にしましたが、
リベラルアーツが人間としての基本的素養であったように、
アートもまた人間の基本要素として解釈することが賢と私は考えます
今でこそ、アーティストと言えば現代的な芸術家、
ないしはポップ歌手などのメディア出演者を連想させますが、
それは一端、もしくは誤解であると断言できるでしょう
アートはサイエンス(科学)、そしてフィロソフィ(哲学)とは別の観点から、
人間の衝動や欲望、知性や感性、習性や現象に対してアプローチする手段であると理解できます
同時に、サイエンスやフィロソフィがそうであるのと同じように、
他の領域に対するメタ的視点から再分析・深分析可能な、
観念自在な人間要素であるとも理解できます
つまり、例えばサイエンスに排他されるアート、
アートに排他されるサイエンス、
サイエンスに内在するアート、
アートに内在するサイエンス、
それらの何れもが矛盾無く存在しえるでしょう
例えば、「機能美」はサイエンスに内在するアートであり、
「色彩学」はアートに内在するサイエンスでしょう
しかしながら、アートは特にサイエンスと比較した場合、
不定形かつ無基準に見えるという特徴を持っています
しかしながら、決して無秩序ではないという事は、
アートに評価基準や価値基準を仮の形でも置くことができる事実が証明しています
そもそも、始めはサイエンスもフィロソフィもアートも存在せず、
また職業も国境も支配関係も存在しなかった訳です
人間の生活は、その本能と必然的必要(生理的欲求)にのみ支配され、
また、その意志と創造性の範疇での自由を有していました
しかし、アリストテレスの分類学、
ないしはそれよりも古代から発明された支配と区別の力により、
混沌としていた事象集合には線引きがされるようになりました
例えば国境が生まれ、言語が生まれ、宗教が生まれ、
支配階級と職業が生まれ、文化伝統の流派が生まれ、
それらの地境にはそれなりの壁が設けられました
そして世代を重ねるごとに信じられてきた事は、以下の三つでした
「区分けされたそれぞれの世界は、
元々創生より別々のものだった」
「互いの壁を乗り越える、もしくは破壊することはできず、
多少の変化は認めるが、交じる事はない」
「最も大きい壁が、最も果てにきっと存在し、
その外側には何も存在しない」
しかしながら、これらの区分が人間の作り出したものに過ぎず、
上記の信念もあくまで妄想の域を出ない事は明白です
カモノハシの剥製をヨーロッパに持ち帰った探検隊は、
新種生物発見の捏造を疑われました
それは、その動物が、今までに確認されたどの分類にも属さない容貌だったからです
実際に、カモノハシなどの単孔類は、
哺乳類に分類されていながらも、爬虫類の性質を色濃く持っています
(卵生である、恒温性が弱い、毒性の物質を分泌する、など)
ダーウィニズムでは、哺乳類型爬虫類の性質を残した原始的な哺乳類の子孫と解釈されていますが、
まずは単純に、既存の分類概念が限定的過ぎた例として顕著です
アートという分野は、太古の混沌の時代を残している、
人間要素の生きた化石と言えるかもしれません
まずはアートに信頼してみるということも、
アートを「得体の知れないもの」もしくは「人知を超えているもの」
……などの誤った考えを払拭する、
よい切欠ではないでしょうか
kaiでした☆
アメーバピグ、はじまりましたね~
なかなか面白いですね
あんまりこういうのはやった事がなかったので
アーティストであるということは、
伝えたい何かを表現するということ
伝えたい事を持っていない人間は、
ただの入れ物であり、書き手や歌い手であり、
アーティストではありません
逆に、職業アーティストではない人間でも、
伝えたい事を表現する術を持つ人間は、
根源的なアーティストであると言えます
アートという言葉の語源は、
古代のリベラルアーツにあるという話を以前にしましたが、
リベラルアーツが人間としての基本的素養であったように、
アートもまた人間の基本要素として解釈することが賢と私は考えます
今でこそ、アーティストと言えば現代的な芸術家、
ないしはポップ歌手などのメディア出演者を連想させますが、
それは一端、もしくは誤解であると断言できるでしょう
アートはサイエンス(科学)、そしてフィロソフィ(哲学)とは別の観点から、
人間の衝動や欲望、知性や感性、習性や現象に対してアプローチする手段であると理解できます
同時に、サイエンスやフィロソフィがそうであるのと同じように、
他の領域に対するメタ的視点から再分析・深分析可能な、
観念自在な人間要素であるとも理解できます
つまり、例えばサイエンスに排他されるアート、
アートに排他されるサイエンス、
サイエンスに内在するアート、
アートに内在するサイエンス、
それらの何れもが矛盾無く存在しえるでしょう
例えば、「機能美」はサイエンスに内在するアートであり、
「色彩学」はアートに内在するサイエンスでしょう
しかしながら、アートは特にサイエンスと比較した場合、
不定形かつ無基準に見えるという特徴を持っています
しかしながら、決して無秩序ではないという事は、
アートに評価基準や価値基準を仮の形でも置くことができる事実が証明しています
そもそも、始めはサイエンスもフィロソフィもアートも存在せず、
また職業も国境も支配関係も存在しなかった訳です
人間の生活は、その本能と必然的必要(生理的欲求)にのみ支配され、
また、その意志と創造性の範疇での自由を有していました
しかし、アリストテレスの分類学、
ないしはそれよりも古代から発明された支配と区別の力により、
混沌としていた事象集合には線引きがされるようになりました
例えば国境が生まれ、言語が生まれ、宗教が生まれ、
支配階級と職業が生まれ、文化伝統の流派が生まれ、
それらの地境にはそれなりの壁が設けられました
そして世代を重ねるごとに信じられてきた事は、以下の三つでした
「区分けされたそれぞれの世界は、
元々創生より別々のものだった」
「互いの壁を乗り越える、もしくは破壊することはできず、
多少の変化は認めるが、交じる事はない」
「最も大きい壁が、最も果てにきっと存在し、
その外側には何も存在しない」
しかしながら、これらの区分が人間の作り出したものに過ぎず、
上記の信念もあくまで妄想の域を出ない事は明白です
カモノハシの剥製をヨーロッパに持ち帰った探検隊は、
新種生物発見の捏造を疑われました
それは、その動物が、今までに確認されたどの分類にも属さない容貌だったからです
実際に、カモノハシなどの単孔類は、
哺乳類に分類されていながらも、爬虫類の性質を色濃く持っています
(卵生である、恒温性が弱い、毒性の物質を分泌する、など)
ダーウィニズムでは、哺乳類型爬虫類の性質を残した原始的な哺乳類の子孫と解釈されていますが、
まずは単純に、既存の分類概念が限定的過ぎた例として顕著です
アートという分野は、太古の混沌の時代を残している、
人間要素の生きた化石と言えるかもしれません
まずはアートに信頼してみるということも、
アートを「得体の知れないもの」もしくは「人知を超えているもの」
……などの誤った考えを払拭する、
よい切欠ではないでしょうか
kaiでした☆