今晩は、kaiです☆


今夜はフジテレビで、
ビートたけし氏と爆笑問題、加えて三人のタレント知事が、
日本の教育についてライブで話し合うそうですね

教養番組、政策提言番組としては、
あまりにもキャスティングがオソマツと思えるのは私だけではないでしょう
私は、あくまでエンタメとしての興味で見てみようかと思います

どんな発言が出てくるかは楽しみです
特に、弁護士という肩書きもお持ちで、
教育熱心をアピールしている府知事の言動には注目してみます


さて、フジの当該番組のCMなどでネタになっている「トロッコ問題」
そもそも、「哲学」命題であるこの問題を、
「道徳教育」に持ち出す時点で畑違いなのですが、
その点を番組製作側は理解しているのでしょうか
「これは、答えの無い問題です」と紹介する点も気になります
いかにも大人の都合という感じで、
教育問題の根本のひとつはそういう大人の「曖昧さ」にあるのでは?

……さておき、問題の内容は以下です

トロッコ問題
トロッコが線路に沿って走っている最中、制御が利かなくなった。
このままでは線路の上に立っている5人がトロッコに轢き殺されてしまう。
そこでトロッコを別路線に引き込んで5人を助けたいが、
この場合別路線に立っている別の1人がトロッコに轢き殺されてしまう。
トロッコを別路線に引き込むべきであろうか?(出典:Wikipedia)

番組では、子どもがこれを聞いてきた際、
親としてどう回答するかという話だそうです
また、この問題の主人公は、
「引込線との切替ポイントに立っていて、
 本線と引込線を切り替える権限を持っている」
と明記されています


法律的に解釈するならば、
ここには「緊急避難」の法則が広義で適用されるでしょう
起こりうる事態の内、最小の損失を選択したならば、
刑法上の責任は問われません

つまり、5人の命が犠牲になるよりは、
1人の命が犠牲になる方が、損失は小さい
(人権の見地の下に、各人の命の重さは同等と前提して)

これが法律的も最も良い選択であり、
一般的にも良しとされるべきであろう選択でしょう
たとえ、「何もしなければ無関係な立場だった」としても、
積極的にこの行動を取る方が、法には適っています


しかし、哲学の観点から言うならば、
この法的合理は、ひとつの考え方に過ぎないのです
現代法律の殆どは、「功利主義」の立場から作られています
集団全体での最大利益、最小損失を目指すことが、
すなわち功利主義です
「緊急避難」の他、「正当防衛」「公共の福祉」もまた功利主義的概念と言えます

その他にも様々な考え方があることを知り備えておくことも、
社会の住民としては重要なことでしょう


また、「トロッコ問題」は、
倫理学者フィリッパ・フットが考えたと言われていますが、
同様の問題は時間・空間を超えて幾つもあり、
人間に課せられた普遍的な命題とも言えます

同様の問題の例を、以下に紹介しましょう


冷たい方程式」(トム・ゴドウィンのSF短編)
舞台は、真空の宇宙を飛ぶ小型宇宙船
致死性の伝染病が発生した惑星に居る6人のために、
特効薬を届けるのが宇宙船の使命
宇宙船は、燃料、酸素、食料などの消耗品は、
想定される乗組員の必要最小限しか積まれていなかった

宇宙船の出発後、パイロットはひとりの密航者を発見
宇宙船運行規則に従うならば、密航者は真空の船外へ放り出されるのが当然の措置
しかしその密航者は、伝染病が発生している星に居る6人の中のひとりの、
実の妹である18歳の少女だった

彼女は、密航者がされる措置を知らなかった
しかし彼女が乗せたままでは、
宇宙船が無事に惑星に到達し母星に帰還することは不可能だ
母性に引き返していては、6人が死んでしまう

さて、パイロットは、どう決断すれば良いのだろうか

(私は、この作品のパロディしか目にしたことは無いのですが、
 SF史上の最高傑作のひとつと言われているそうです)


サバイバル・ロッタリー」(功利主義哲学者ジョン・ハリスの思考実験)
ある、閉鎖されたひとつの人間社会があった
彼らの中の大部分は、何らかの内臓疾患を持ち、
それはどれも臓器移植を必要とする程の重度なものだった
臓器移植を施さなければ、大半の人が若年で死亡してしまう

臓器移植をするにも、
死体からの摘出臓器や人工臓器による移植は、
技術的などの様々な課題から不可能
唯一の可能な手段として、
生きているドナーを死なせた直後の臓器を移植する事だけが残されている

その場合、移植手術は必ず成功し、
拒絶反応等のリスクも全て排除され、
患者は必ず健康になる
一つの献体から、複数の患者が救われる可能性がある

このような状況の場合、
ドナーを決めるクジを定期的に引く事は、
倫理的に許されるだろうか

(功利主義によれば許されるが、
 功利の概念が人間個人の身体にも及ぶという点で不快感が残る
 現実において、そこまで功利が及ばない理由は、
 臓器移植の技術的問題以外には殆ど無い)


カルネアデスの舟板」(古代ギリシャ哲学者カルネアデスの説話)
紀元前2世紀のギリシアで、一隻の船が難破した
乗組員は全員海に投げ出された

おぼれかけていたひとりの男が、一片の船板に泳ぎ着いた
安心したのは束の間、そこへもうひとりの乗組員が、必死で泳いできた

もしふたりで板につかまれば、板もふたりも沈んでしまう
男は、後から泳いできた乗組員を突き飛ばし、水死させた

この男は後に救出されたが、罪に問われるべきだろうか

(日本の刑法の場合、緊急避難につき罪に問われない)


……このように、歴史的に語られている問題、
それが「トロッコ問題」なのです

私にとっての「トロッコ問題」との始めての出会いは、
藤子不二夫氏「カンビュセスの籤」を読んだ時だったのだと思います
この作品は、カニバリズムという課題ともジレンマになっていて、
非常に複雑な性質を持っている点で高次な命題と言えます

実際生活とは関係の無い、哲学・倫理学上の命題と思われがちですが、
災害医療におけるトリアージなど、
ある程度の緊急性を伴う際の決断と深く関わっている命題であると言えます
経済社会の中でも、経営判断や政治判断は人命に少なからず関わるわけですから、
この命題に対する姿勢を本来は問われるべきとも言えるでしょう


私としての答えですが、
もし子どもがこの質問をしてきた場合、
結局は三浦綾子氏の「塩狩峠」の話をするだろうと思います


kaiでした☆