はじめまして。

ハンドメイド布ナプキンショップ Psyche【プシュケー】の作家さおりと申します。

Psyche【プシュケー】とは古代ギリシア語で、生きること(生命・いのち)魂や心を意味します。

布ナプキンに出会い、現代女性はココロとカラダを無視して頭でっかちに生きている人が多いのではないか?と感じ、作り始めました。

月経・性は生命を育む人間の土台、生命の源。

女性たちが本音の気持ちとカラダの不調・不快感を無視し、自らの性を忌み嫌い、女として生きることを拒絶していると、男も女も生きづらい世の中になると思います。

そんな風に感じるのはもちろん、かつての私自身(今もなのかな?苦笑)が、自分が女であることを無自覚に否定していたからです。


仕事に学校、家事・育児etc
カレとのデートに、女友達との約束、趣味、お稽古ごと、資格取得etcetc

アレもコレも!と慌ただしい日々を送る現代女性たち。

1985年の男女雇用機会均等法から、来年の2025年でちょうど40年。

男と女。何でもかんでも同じ扱いにして、「男女平等!」と声高に叫ばれる世の中になりましたが、
女性たちが出してきた現実の結果は、仕事の出世はせいぜい中間管理職どまり。
恋愛では破綻した関係ばかり繰り返し、結婚すればセックスレス仮面夫婦。子供は不登校。

もしくは独身おひとりさま。セックスレス以前に高齢処女……。

もちろん貞操観念がしっかりしているのは純粋に素晴らしいことですが、働きづめで結婚・出産適齢期を逃し、男性と深く愛し合った経験もなく、働き続ける人生が、本当に自由で幸せな人生と言えるのかは疑問です。


そんな現代女性たちのココロとカラダは健康なのか?と言うと、生理痛・PMS・不妊治療、産後クライシスに、若い女性の子宮頚がんetcetc

現代女性たちは自由にイキイキと輝いているどころか、むしろ自由という綺麗な言葉で雁字搦めになっている人が多数派だと思います。

ココロもカラダも不健康で、不健全。

そしてもちろん、そんな女性たちの状態と鏡合わせのように、男性たちも男社会の弱音ひとつすら許されないプレッシャーに生きづらさを感じ、消耗しきっている人が目立ちます。

パートナーシップも仕事も家庭も順調な男女の方が、明らかに少数派ではないでしょうか。

街を行き交う人々の表情を見ればわかる。

イキイキと輝いている男女の方が稀で、どこか虚な暗い顔をして、消耗しきっている人の方が圧倒的に多い。


いつも慌ただしく何かに追われていて、自分のココロとカラダに無頓着になっていませんか?

生理痛でシンドくても休めな〜い!

カラダの悲鳴を無視してまで、一体なにを追い求めているのか、私にはよくわかりませんが、【生理痛で辛くても休めない世の中】を作り出してきたのは、他ならぬ女性たち自身だと思います。

男なら泣き言を言うな!弱音を吐くな!といった、男性たちの生きづらさと、女性たちの生きづらさって、実は非常によく似ていると感じます。

どれほど辛くても鎮痛剤を飲んで、休まず働きづめの現代女性たちは、ひと昔前に比べ婦人病を抱える人が激増し、もはや【女の身体がボロボロなのは当たり前】状態。

そんな状態では、女性ならではの本質的な長所・良い部分が発揮される道理もありません。


布ナプキンは使い捨ての生理用品に比べると、確かに少しの手間がかかるのは事実です。

でも、その手間をかけるだけの気持ちや時間の“余裕”こそが、現代女性に最も必要なことのように感じます。

女性性

近年、よく聞く単語ですが、「生理なんて煩わしいだけ」「性は汚い。そんな話をするのは、はしたない」と、女という性を否定しながら生きているのは、自己否定・女性性の否定だと思います。

便利な使い捨てナプキンを、汚物入れにポイ。

汚物入れ。汚い物をゴミ箱に捨てる。

それを【当たり前】【フツー】【常識】と認識して、何の疑問も感じずに過ごしていて、本当に良いのでしょうか?

女性の身体は子供を産む気があっても、なくても、生命を授かり、産み育むための準備を日々、自然に、勝手に続けているからこそ、月経がある。

それは男性との決定的な違いであり、変更不可能なことです。

にもかかわらず、「生理なんて煩わしい。ない方がラク。女は面倒だ」みたいに思いながら、経血をちゃんと見ることもなく、ゴミ箱の汚物入れに毎月毎月、捨てていく。

でも、そんな価値観・そんな生活は、多くの現代女性たちにとって【当たり前】

もちろん、かつての私もそれを【当たり前】と認識して、当たり前のように市販の使い捨てナプキンを使い、ゴミ箱に捨てる日々を送っていた女性のひとりです。

他の選択肢を教わらず、知らなかった。

タンポンや月経カップのことは知っていても、「何かが違う……」と違和感があり、結果的に市販の使い捨てナプキンという選択肢を【選ばされていた】

「どのメーカーのどの商品にするか?」は選べても、【市販の使い捨てナプキン】というのは同じだから、どれを選んでも不満・不快感が解決されない。

これって「自らの自由意思で主体的に選んだ」とは言えないんですよね。

与えられた選択肢を【ずっと選ばされ続ける】

そして、自分がそういう状態であることに、無自覚だと思います。


でも本当は、初潮を迎えた中学生の頃から、ずっと【汚物入れ】という言葉が嫌いでした。

女子トイレに設置されている、汚物入れという名前の小さなゴミ箱を目にする度に、どこか侘しく悲しい気持ちになって、あの小さなゴミ箱が本当はずっと、嫌いでした。

初潮を迎える前までは、あの小さなゴミ箱が実は好きで、見かける度に「生理が始まって大人になったら、私もコレを使うんだな!」と、密かに憧れてワクワクしていたのですが、
実際にあの小さなゴミ箱を使うようになって以降、そんな月経・生理に対する憧れやワクワクする気持ちは消えてしまいました。


母に初潮を迎えたことを告げたとき、「お赤飯を炊いてお祝いする?」と聞かれましたが、私は「嫌だ!」と即答し、いつもと何も変わらない、いつも通りの食卓で、父や弟たちの前で「何も変わっていませんよ」と、素知らぬ顔をしていました。

女性も男性と同じ教育を受け、男性と同じように働くのは【当たり前】の時代に生まれた女の私にとって、
【生理はハンデ・邪魔・足手まとい】だと直観的に理解していたんですね。

男性たちは学校の体育のプールの授業も、お受験戦争も、仕事も、生理を理由に休んだり、生理痛で実力が発揮できないことはありません。

女性も半ば強制的に男性と同じ土俵に上がらされる現代社会においては、ハッキリ言って、生理なんて邪魔だと思います。

ない方がラクに決まってる。

でも、私は男じゃない!女だ!

よくよく思い返すと、本当は、こういったことが何よりも悲しくて、辛かったんだと思います。

でもきっと、今の世の中、私と似たような経験をしている女性も多いのではないでしょうか?

初潮を迎える前の子供・少女時代から、「生理なんて煩わしい。面倒くさい。要らない。女のカラダは不便だ」とか、そんな風に思っていましたか?

女性たちに、もっと自分が女であることを心の底から大切にして欲しい、自分のことを尊重して欲しい、否定しないで欲しい。

そして、【当たり前】に疑問を感じて欲しい。

男性たちは「女性は生理があって、大変だ」という認識はあっても、「生理なんて煩わしいだけ。なければ良いのに」と、子を授かり産み育むカラダの機能を忌み嫌い、拒絶・否定しながら生きている女性が多く存在していることは、おそらく知らないんじゃないでしょうか?

女性が変わらなければ、男性も変わらない。
多くの男性たちは何も知らず、変われない。

それは男女どちらにとっても、自由ではなく不自由で、不幸なことだと思います。

私は布ナプキンと出会い、そんな風に強く感じるようになりました。

あなたは本当に、自らの自由意思で主体的に生理用品を選べていますか?

女性たちの心とカラダ、魂と肉体に寄り添う1枚を。

ショップ名のPsyche【プシュケー】は、そんな意味・願いを込めて付けました。

改めて、どうぞよろしくお願いします。