私たちひとりひとりが、誰かに頼ることなく自ら真理を得ることができるとしたら?
博士は、キネシオロジーを使って数々の臨床テストを行い、
人類史上初めてとなる、真偽を識別し検証可能にしたツール、「意識のスケール」によって、
知性が心の線形的な合理性と霊的真理の非線形的現実の間を橋渡しできるような枠組みを作った。
三部作の最終巻である本書は、
研究と体験によって明らかにされた人間の意識の進化の描写を完結させたもの。
人間が到達しうる究極のレベルとされる1000の至高体験まで含んでいる。
本書の真実レベルは999.8と測定されている。
◎ 〔付録B 意識のスケール〕参照
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解脱 700~1000 言語を絶した
↑
平和 600 至福
↑
喜び 540 静謐
↑
愛 500 崇敬
↑
合理性 400 理解
↑
受容 350 赦し
↑
意欲 310 楽観的
↑
中立 250 信頼
↑
★勇気 200 肯定
↓
プライド 175 軽蔑
↓
怒り 150 憎しみ
↓
欲望 125 渇望
↓
怖れ 100 不安
↓
悲嘆 75 後悔
↓
無気力 50 失意
↓
罪悪感 30 咎める
↓
恥 20 屈辱
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著者は覚醒している著名な精神科医であり、
霊的に高度に進化した意識の状態を実現する科学的な著作とその講義で広く知られている。
生命と存在の基底である内なる「神性」としての人間の経験を
意識の進化という観点からとらえ直し、
心と霊の両方への理解による統合をライフワークにしている。
(以下本文より抜粋)
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◎〔プロローグ〕より引用
200以上に測定されるものはすべて「真理」であり、
200以下のものは「虚偽」であることもわかっています。
それは、200以上のものは建設的で統合的で、生命を援助するものであるのに対し、
200以下はネガティブで、人類にとっても有害であることを示しています。
したがって、200が真偽を分ける臨界点であり、
そのことがおそらくすべての発見の中でいちばん重大なものであると言えるでしょう。
***
キネシオロジーの反応は、それを使用する人々が」200以上に測定され、
質問も統合的で200以上に測定される場合のみ有効で信頼できるということです。
***
このツールには備え付けの安全装置があることが明らかになったのです。
つまり審査員の意図は結果の信憑性に著しい影響を与え、
ツール自体、人類に恩恵を与える場合のみ使うことができるのです。
キネシオロジーテストが真偽を識別するためには、次のような条件があります。
1・パートナーがともに(単独で行う場合は質問者が)200以上に測定されること。
2・質問者の意図や動機が統合的で、200以上に測定されること。
3・質問は宣言型(肯定文)のステートメントで述べること。
4・測定者は参照のスケールを基準にすること***
5・正確な反応は、口に出さなくても、心に思い描く(イメージする)だけで導き出すことができる。
したがって、反応は被験者の個人的な信条や意見に影響されない。
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◎〔第2章 霊的情報と実践〕より引用
実際、自分や他人について思考がおしゃべりすることは何ひとつ真実ではありません。
すべての声明には誤りがあり、プログラミングと立ち位置を表しています。
また、自らの価値や恩恵、有用性といったポジティブな声明もありますが、
これも等しく虚構に基づいています。
「自己」は目に見えず、判断できるようないかなる特徴も持っていません。
描写できる特性もなければ、どんな形容詞も当てはまりません。
「自己」は単に “在る” だけで、動詞も副詞も形容詞も超えています。
何かを “する” ことさえありません。
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◎〔第3章 霊的浄化〕より引用
霊的認識は自発的に起こるもので、思考のプロセスの結果として起こるものではありません。
まるでひらめきのように、気づきの中に生じるのです。
それは非線形的なプロセスで、突如、自分がただ “知っている” ことに気づくのです。
ナイーブな人は「どうして自分が知っていることがわかるのですか?」と聞きます。
経験からいえば、ただ明らかになる ------ “腑に落ちる” のです。
真理は主観性から生じ、明白で自明的です。
このような認識は、まったく関係ないことに没頭しているときによく起こります。
それは、" どこからでもないところからやってくる” 贈り物のようで、与えられるのです。
あたかも声にならない問いに対する答えのようです。
それは満足感をもたらし、心の底にあった謎を解き、精神を解放します。
また、努力もいりません。
***
過去を悔やんだり、未来に思いをめぐらしたりすることがなくなります。
そして、あらゆる現象をありのままに観察できるようになります。
こうして、編集することも、予測することもなくなることで、
“今” という幻想さえも消失します。
現実は ”常に” 継続しており、“今” も ”それから" もありません。
明け渡しとは、瞬間に抵抗することも執着することもなく、
常に神に差し出す絶え間ないプロセスです。
つまり、焦点は明け渡しのプロセスそのものに向けられるのであって、
“何を” 明け渡すのかといったコンテントにではありません。
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◎〔第14章 考察〕より引用
すべての霊的な実践法は、ナイーブな求道者が想像するより、本来ずっとパワフルなものです。
こうした実践法には敬意を持ってのぞみ、事前によく調べるべきです。
また、霊的な実践者やヒーラーと名乗る、ありとあらゆる人たちがいます。
「買い手注意(買い物をするときは用心を心がけよ)」という格言を肝に銘じて選ぶべきです。
*
忠誠や誓いを要求する団体は(なかには、誓いを破ると恐ろしい結果が待っていると言うものがあります)、
神より特別な恩恵を受けている、あるいは神秘を知っているといった、特殊性や独占性を約束します。
しかし、特別な秘密や恩恵を授与できることなど決してないことを、強く認識しておく必要があります。
わたしたちが知っておくべきことは、すでに提示されています。
神がわたしたちに隠さなければならないことはひとつもありませんし、
同じことがアバターにも言えます。
覚醒した聖者や意識の高い霊的な指導者、マスターには隠すものなどありません。
ハートの純粋さと誠実さは、秘密とは無縁です。
秘密主義は覆いであり、ツールであり、意識レベル200以下の “フォース” が利用する手口です。
真理には怖れがないので、隠すべきことは何もありません。
何らかの意図が隠されているものは、明らかに非統合的であり、
マントラやシンボルや秘儀などの内密な情報は、
率直に言えば、お金儲けか信望者に対する支配のためのものなのです。
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「自己」の存在そのものが永遠で、完璧で完全に充実しています。
必要なものなどありません。すべては、内在する本質の表現として自然に起こります。
何かを起こす “原因” となるようなものも人もありません。
***
自我はぞっとするような快楽や満足感を、
プライド、怒り、欲望、罪悪感、羞恥心といった非統合的な苦痛から得ています。
苦痛から得る密かな快楽には中毒性があります。
***
このメカニズムを停止させるには、快楽の正体をはっきりと認識し、
それを進んで神に明け渡す決心をしなければなりません。
自我は羞恥心から、その試みを顕在意識から閉め出します。
特に、“犠牲者”のゲームを暗に演じているときはそうです。
***
Q:では、密かな快楽を得ないのであれば、自我のプログラムは継続しないということですね。
A:それがまさに秘密の種明かしです。
自我は心地よい満足感という報酬を得ています。また生き残るために非常に巧妙になりました。
自我はどんなことでもしますし、自己欺瞞やカモフラージュも厭いません。
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自我は、単に人間の条件にすぎません。それはある種の構造物であり、
わたしたちがそれを “わたし“ だと定義しない限り、個人的なものではないのです。
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◎〔第15章 カルマ〕より引用
全宇宙もそこに存在するすべてもひとつのカルマを共有しているので、
「真実の十全性」とは覚醒の実現です。
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プライドと謙虚さのどちらを選ぶかは、個人のカルマに多大な影響を与えます。
キネシオロジーに問うことで、
ブッダの目的が覚醒を教えることだったということが明確になりました。
対照的にキリストは、自らが霊的な存在であることを受け入れていない、すべての救い主として現れました。
ブッダは覚醒を教え、キリストは救済を教えたのです。
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「どんなものにも ”原因” などない」という文言は、999に測定されます。
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◎〔第16章 最後の戸口〕 ←(真理度測定レベル1000)より引用
最後の瞬間は何の前ぶれもなくやってきますので、準備しておくに越したことはありません。
それは一見すると“霊的阿呆”に見える新参者にも、
末期の無神論者にも訪れることがあります。
また、地獄の深みにはまっている重罪人にも、
事故で崖から転げ落ちるまさにその瞬間にいる人、
もはやあきらめようとしている献身者、
あるいは数十年も不毛な霊的修行に明け暮れてきた人にも
突如訪れることがあります。
***
真理を耳にすることに、時期が早いということはありません。
確信や勇気を持たないうちに、冒険に出るべきではありません。
わたしたちは、集められる限りの力を結集しなければなりません。
臆病者は、覚醒を求めるべきではありません。
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意識の進化がどの過程にあっても、突然「戸口」が目の前に現れることがあります。
意識が大きく200を下回っているレベル
------- 絶望感や怖れ、あるいはさまざまなレベルの地獄や苦悩の領域 -------
にいる人物の前にも、突然開かれることがあるのです。
ですから、時期尚早に思われるような情報でも知っておくことが重要です。
自我にとって、その「最後の戸口」の説明は、厄介で恐怖に感じることさえあるでしょう。
けれどもそのことをよく知っておかないと、
戸口の前に突然置かれた何の準備もしていない人は、ふたつの深刻な過ちを犯してしまいます。
まず、真剣なコミットメントによって最後の戸口にたどり着いたとしても、
進んで自らの命を神に捧げられるかどうかという段階でつまづくことがあります。
この段階で引き返した場合は、きわめて深刻な罪悪感や敗北感に見舞われ、
ひどいうつ状態になることもあります。
人類の究極の試みに失敗したという思いは、壊滅的なダメージをもたらします。
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ひとつの罠、しかも著名な霊的達人でさえ足下をすくわれるような大きな罠が残ります。
それはあの “虚” に見える底なし沼との究極の対峙です。
前述の説明で、それは真実ではなく、自我が見せる幻想であることを明確にしました。
「神の十全性」に対極は存在し得ない ということを覚えておく必要があります。
無は真実でも、可能性でさえもありません。それは自我の最後の悪あがきなのです。
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否定の道のもうひとつの誤りは、
あらゆる美と完全性、喜びを手放さなければならないという教えにあります。
ここでも、それらに対する執着が障害となります。
実際にこうした要素は、神の属性なので、神の特性を否定することは、
「虚」という選択の到来を早めることになります。
「虚」は実に圧倒的なインパクトがあります。
*
しかし、この「虚」の状態を経験しているとき、
もしこの「虚」あるいは非存在が究極の真実であれば、
この無を目撃しているのはいったい誰なのか
という矛盾に瞬時に気づくはずです。
「虚」が究極のものだとすれば、
生き残ってそれが本当だったと告げることのできる存在はいないはずです。
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このように「虚」は真実ではなく幻想であるために、わたしたちは「虚」の中にとどまることはできません。
この誤りを認識した時点で、わたしたちは、これまでに経験したことは
すべて忘却の彼方にあるのだということに気づきます。
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繰り返しますが、神の「十全性」、「愛」、「全体性」に対極はありません。
あなたが完全に自らの命を明け渡し、神のために死ぬことも厭わないのでない限りは、
あなたの人生の目的は、
覚醒ではなく霊的な浄化にすべきでしょう。
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◎〔第19章 ハートの道〕より引用
ハートの道を歩む者の第一の目的は「無条件の愛」に到達することです。
直感的なひらめきと献身のエネルギーによって、立ち位置を明け渡すことが促され、
結果として神の恩寵に浴することができます。
このプロセスは簡単に聞こえますが、実際やってみた人は誰でも、
それが思っていたよりもずっと困難であることに気づきます。
献身的な人ならば、無条件の愛に到達するために努力すればするほど、
自らが目指している目的地とはまったく異なる要素を招き寄せることに驚かされます。
この現象は、「愛は憎しみを伴う」という霊的格言によく言い表されています。
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覚醒に至ったとき、世界は完全に様相を変えて目の前に現れます。
すべてはあるがままに起こっているように映ります。
個人的な “わたし" はどこにも存在しません。
世の中への関わり方は完全に修正され、そこで機能することはきわめて困難で、不可能でさえあります。
それゆえに統計調査は、世俗に戻る者がほんのわずかであることを示しているのです。
***
さらに、何事も何かの原因になることはできない という「本質」が明かされます。
「全体性」の「本質」があらわとなり、奇跡のように目撃された変容は、
いまや起こるべくして起こった当然のこととして認識されます。
存在そのものが奇跡であり、かつそれは、「顕在」の経験のうちに「非顕在」が立ち現れるという、
間断のない「創造」であることがわかります。
***
なおも意識が進化することが定めであるならば、
マインドの道を歩む者がたどるような段階を経ることになります。
ハートの道は肯定の道です。反対に、マインドの道はその厳格さゆえに、
人の目には「骨と皮になる」と形容されるような苦行に映ることもあります。
けれどもその状態が苦行に見えるのは、明かされる真理があまりにも圧倒的で、
それ以外のものがすべて無価値となるため、外的なものを求める必要性がなくなっているからです。
一般的に霊的な人生に身を投じている人は、
信心深く物静かなたたずまいをしていると世間には思われがちですが、
実際には正反対の人格を呈することもよくあります。
カルマは活性化し、気づきの中に表出してきます。
そして求道者の人生や人間関係に大きな変革をもたらします。
数年の間、内的な大変革が起こっているため、人生は波瀾万丈に見えるかもしれません。
ライフスタイルや職業、人間関係、所有物などが激変します。
地理的な所在地の変化もよく見られる現象です。
周りの友人や家族は、献身者が " 気がふれた”、“逸脱した”、“一線を超えた” などと思うでしょう。
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◎〔第21章 霊的調査〕より引用
今まではっきりしなかった事柄についてテストすることで、
決定的に重要な情報を得ることができます。たとえば、
「 Om(オーム)」というマントラは740に測定されますが、
「A - u - m(アウム)」になると65になってしまいます。
*
世界には数多くの宗教的実践方法や信条がありますが、
中には効果がないばかりか有害なものさえあり、
望んでいることとまったく逆の効果を生み出すものもあります。
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いわゆる世間でマスターや師と呼ばれている人々や、
その実践、テクニック、呼吸法、マントラに加え、その他あらゆる霊的真理とされるものや実践方法は
すべて調査し、測定してみるべきです。
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Q:あなたは 霊的な “ 応急処置 ” を教えることもあるようですが、どのような効果があるのですか?
A:混乱や動揺をなくします。やり方は以下の通りです。
1・「胸腺をとんとんたたく」。
胸腺はちょうど胸骨上部の裏側にあります。
そのあたりを握りこぶしで、
「ハッハッハッ」と言いながらリズムよく3回たたきます。
それを、一息ついてから3回繰り返してください。
また、やっている最中は微笑み、
あなたが愛する人やものを思い浮かべてください。
そのイメージは神聖な存在でもペットでもかまいません。
***
2・次に、霊的なエネルギーを
脊椎の基底部から、クラウンチャクラまで吸い上げてください。
息を吸うたびごとに、光を吸い込んでいるように思い浮かべてください。
その光が脊椎の基底部からクラウンチャクラまで運ばれていきます。
たった数回行うだけで、目覚ましい変化が生じるでしょう。
3・上記の呼吸法を行ないながら、
「Om(オーム)」を思い浮かべたり声に出したりします。
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4・あなたの愛する人を思い浮かべてください。
5・やっている最中に、あなたのハートの中にある、
神にすべてを捧げたい、明け渡したいという意欲を見つけてください。
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以上を行なうことで、瞬時かつ容易に、葛藤と苦痛の場から離れることができるでしょう。
練習の必要もありませんし、一回目から効果はてきめんです。
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(引用ここまで)
●下記は、この三部作の最初の本にあたる。
(二作目は未邦訳)
真実と虚偽を識別できるツールを明示し、
人間の心の生得の欠陥が克服可能であることを知らしめ、
世界中、そしてマザー・テレサからも賞賛された。


