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とある占い師のノート

恋愛、結婚、家庭、人間関係、仕事、経済、社会、健康、心理、霊性 ・・・ 日々ご相談を受けさせていただく中で考えたことを綴るノート。それと日記。

これまで、ずっと、人の想像を遥かに越えた遠い過去から、

幾多もの時空軸そのものの推移を経てきた遠い過去から、

世界はディセンション(次元降下)を繰り返して来た、とも言える。

 

それは、苦難という概念を生み、それに現実性を持たせてきた歴史でもあるが、

同時に、それを解決する、という希望を生み出してきた歴史でもある。

 

この点は、ギリシア神話のパンドラの箱の物語そのものだが―――

 

ディセンションは、

混沌へと向かう者先を歩ませることによって為された、

主による新天地開拓という見方ができる。

 

これは、世界の真実を解く鍵を含んだ概念で―――

 

しかし、それは既に臨界点に達し、

封印は解かれその歴史は終焉を迎えている。

 

ディセンションの終焉とは、即ちアセンションの始まりである。

 

 

 

神は本質的には完全だけど、

創造された時空の中では完全ではなくなる。

 

完全から不完全へと堕ちて行く中で人を生み出し、

不完全から完全へと還って行く中で人と共に進化する。

 

そういう物語が生み出される。

考えてみると、その方が楽しい。

 

これこそ神の愛だと思う。

 

 

∽∽∽∽∞∽∽∽∽

 

 

なぜ、耐え難き苦が存在するのか。

 

一般に言われるようなお茶を濁した説は厳密に批判する、

容赦なき探究も、間もなく終わるような気が、今はしている。

 

世界情勢も、水面下で大きく動いていますね。

間もなく明らかになるとは思いますが、本当は記念すべき時期です。

 

平安。

 

 

 

ただ単なる「完全性」という概念ではなく、

「不完全性」を含んだ「完全性」という概念だと、癒される。

 

前者だと、不完全な現実を見る度に、分離し、苦しむ。

後者だと、不完全な現実を見ても、“包まれている”。

 

物語の種子が時系列で現象化されると、

一時的に不完全性が現れるだけであり、

それも最終的には完全性に向かっている。

 

だから、時系列なき「今」を見れば、「そのままで完全」。

 

それで、癒される。

 

 

後々、物理学の世界でも明らかにされていくとは思うが、

パラレルワールドの移行はそう特別なことではなく、意外と日常的に起こっているらしい。

 

ただ、近年の重要な特徴として、移行の振れ幅が大きくなっているということがあるだろう。

昔は、異なる社会環境へ移行するというような、規模の大きな移行は困難だったと思うが、

近年は、それが起こりやすくなり始めているのではないだろうか。

 

どんな世界へ移行するかを選択することが重要な時期になっている。

恐怖に駆られて自分だけが生き残ろうとするサバイバルな世界なのか、

それとは異なる、もっと幸いな在り方の世界なのか。

心の在り様を選択することが重要である。

 

不幸の根本恐怖の最根本は、人間の精神が神性と分離していること以外にはない。

神性との確実な接続と通信が成り立てば、現代人の想像を越えた幸いと平安を実現できる。

 

近年の重大事は、それが集合的に成されたパラレルワールドが、

かなり近くに来ているということだろう。

 

不完全な人間の知能と、その規模が巨大化しただけのAIとが結託したところで、

根本的な方向性は変えられない。

完全性―――神性との結びだけが、真に求める世界への移行を可能にする。

 

 

 

「八重の華 (The lotus of eight petals )」

 作詞・作曲・歌:八乙女珠輝(観音)
 プログラミング・アレンジ協力:加藤雅春




○ 下記より音源を購入できます。(動画では曲は途中までです)

AMAZON MUSICITUNESレコチョクMUSIC.JP


以下、Youtube での説明より抜粋。
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 八重の華は、胎蔵界曼荼羅の八葉の蓮華のことであり、大日如来の蓮台です。この歌には、他者への慈悲心を養うことで、自らの心の影を取り除き、光そのものとなった観音の祈りが込められています。
 観音は、人生には辛いことが多いけれど、すべては八重の華(仏の蓮台)を咲かせるためにあるのだということを教えてくれます。
 この曲は、泥(欲望)の中にあっても汚れることなく、一輪の蓮華となって水面に浮ぶ白衣観音の崇高さを表現しています。
 曲中のオン(聖音)・マニ(宝珠)・パドメ(蓮華)・フン(一体である)という真言は、日本では六字大明呪と呼ばれ、観世音菩薩の真言とされています。マニ(宝珠)は男性原理をパドメ(蓮華)は女性原理を表しており、男尊と女尊の結合による空性の悟りを示しております。したがって、意味は宝珠(仏の智慧)と蓮華(仏の智慧を実践した者)は一体であるというような意味となります。
 人間関係で悩んでいる時、誰かと仲良くしたいと思っているのにうまくできない時、そんな時は悩んでいないで、この曲を何度も何度も聴いてください。そうすれば、人間関係が自然と改善されていくでしょう。


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師の著書「生命の樹の謎を解く 福音の方舟 第二巻」の2曲目のテーマソング。

やはり、普段の師の歌声と大分違いますが、それは観音菩薩が師を通して発声しているためだそうです。
発声を変えようとしてやっているのではなく、あくまでも観音菩薩に歌ってもらった結果としての発声とのこと。

私は、この辺りをマニアックに理解したい方なので、どうやっているのかを少し詳しく訊いてみましたが、
観音菩薩に完全に意識を合わせた後は、一切の意図や思考を入れてはいけないそうです。
深い三昧に入るだけの集中力と、自我を完全に滅する霊性が要求される歌唱法と言えますね。

師は、こういった離れ業を、淡々とやっていきます。
結果として生まれたものに対して、ご自分でも驚いたりはしていますが、
人によくあるような、過ぎたアピールはしない方です。

人は、自分がやったことや成し遂げた結果に愛着を持つものですが、
そうすると中庸から外れ、道を見失ったりするという話をされていましたが、
師は、それを自然体でやっているように思えます。見習いたいところです。

この動画を視聴すると、自分が浄化されるのを感じます。
ごちゃごちゃ考えているのを洗い流して、中庸な無思考状態に意識を調整してくれる感じがあります。

また、人間関係の問題を調和の方向に持っていく効果もあるとのことですね。
何事も、自分の精神的なエネルギーの状態が鏡のように映って起こるわけですから、
エネルギーの状態を調整してくれる音楽を聴くことで、状況も良い方向に向かうというのは、
道理として納得がいきます。
ただ、そんな音楽を作ることは人には無理なので、神霊の助けが必要なわけです。

後、この音楽を聴いた後は、
“ オン・マニ・パドメ・フン ”という真言(マントラ)の効果が大きく変わりました。

有名なマントラですが、イメージが大きく変わったし、効果も変わった。
これを唱えることで浄化される感覚がはっきりと感じられるようになりましたし、
精神が中庸に導かれ、思考が調整されるのも、はっきり感じられるようになりました。
このマントラ本来の力を引き出す楽曲でもあると言えますね。