タイトルを見ると何やら大袈裟なものに
見えるかもしれませんが
他社と関わることに対して
それなりの苦手意識を抱いているということです。
人間誰しも過去に対人関係で悩んだことはあると思います。
対人恐怖症とは
過去に自分の意見や気持ち、
言い分などを聞いてもらえず、
一方的に他者から支配をされたり、
また繰り返し身体的、精神的な
暴力を受けたりしたことがきっかけで、
他人と関わること自体に恐怖心を
抱くようになったケースがあります。
また子供の頃にやたらと怒鳴られたり、
叩かれたりすることが多かった人や、
学校や社会でいわゆる『いじめ』を
経験したことのある人で、
それらのトラウマを人生のどこかで
克服する機会を得られぬまま、
今に至る人もいます。
他にも家庭の中で安心感を得られずに
育った人や
常に気分にムラのある親の顔色を
窺いながら育った人、
親からの育児放棄による自己喪失
なども対人恐怖の症状を発生させやすいです。
また種類もあり、
特定の共通した個性を持った人種のみが
恐怖の対象
となっているケース。
例えばいつも酒に酔っては暴言を吐いて
母親や自分を殴っていた父親がきっかけで、
その後いくつになっても、
大きな声で怒鳴る人や酔っぱらった男性が怖くなるケース。
人間という存在そのものが恐怖の対象に
なっているケース。
例えば
思わぬ裏切りや集団によるイジメ
などを経験し、人間の豹変ぶりや
裏表の要素にショックを受けたりしたことが
きっかけで、
全ての人間に対して根本的な恐怖心や
不信感を抱いたケース。
私は他者からの支配と、
親の顔色を窺いながら育った
タイプです。
実はこれには大きな落とし穴があります。
少し厳しい内容になるかもしれませんが、
受け入れられない人はスルーしてください。
思い当たりがあり、 これらを克服してみたい
と、思ってらっしゃる方は続きをお読みください。
何かしらのヒントになれば幸いです。
とある本を読んでいて気がついたことです。
対人恐怖症には被害者意識が付きまとう
と、いうことです。
自分が弱者であり、
被害者であるという認識に基づいてる。
そして自分に対して極度の哀れみの念を抱いており、
他人がいかに自分に脅威を与える存在で、
自分がいかにひどい目にあってきたかと語るのです。
昔の私もそうでした。
いかに自分がひどい目にあったのか。
語ったことがあります。
当時付き合っていた彼氏が
『自分がいかにかわいそうかって言いすぎじゃないか?』
と、言われたことがあり、
それに対してひどく傷ついたと思ったことがあります。
しかしそれは本人の勝手な被害者妄想に基づいており、
相手に非があるケースは少ないそうです。
逆に被害者どころか逆に加害者であると知った時。。。
今ならわかります。
いかに自分勝手な行動をしていたのかということに。
それはどういうことかと言うと
対人恐怖症を抱える人の多くは
過去の苦しい経験の中に自分も改善すべき問題点が
あるにも関わらず、
頑なに自分を悲劇のヒロインとして成立させているのです。
自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるには
他者を加害者に仕立て上げる必要があります。
それをエンドレスで繰り返してる。。。
この時点でなぜ相手が自分に辛く当たったのか、
なぜ相手が自分に怒ったのか、
なぜ自分が嫌われたのかなどを
客観的に見ないのです。
自分はこんなに辛かったと訴えるばかりで、
相手の気持ちや、
自分がどれほど相手を不快にしたかについて
考える感性を持ち合わせていないのです。
また
『こんな態度をされた』『こんなひどい事を言われた』
と、訴えるその裏には
『もっと気を使ってくれないと、私は傷ついちゃうのよ』
『私をもっと大切にしてくれないと、こんな風に言いふらしちゃうんだから』
といった、とんでもない傲慢さと攻撃性が隠されてると知ったら。。。
どう思います?
自分を弱者の立場に置くことで、他人に気を使わせ、
同情を集め、周囲へのコントロールを繰り返してる。
自分が今までどれだけ傲慢か気がついたときには愕然としましたね。。。
あの時彼が言いたかったのはこういうことなんだなって。。。![]()
しかもほとんどの場合
本人たちにはその自覚は一切なく、
自分は哀れな被害者だと心底思い込んでいます。
そうやって自分の裏にあるしたたかで図々しいモンスターの存在に
気がついたのならば・・・
少しだけの勇気をだして
自分は被害者なのではなく、
実は加害者にも属していたのだということを
最初は受け止めるだけでよいと思います。
だって他人に向かってずっと『怖い』と連呼することは
大変失礼な行為だと思うからです。
自分が恐れていたその人が
本当に恐れに値するほど話の通じない知性に欠けた
心貧しい人間であるかを
再検討してみてほしいと思います。
私もずっと親にひどいことをされてきた。
私はなんてかわいそうな子供だったんだろうと
思い続けていたけれど、
それは違う。
焦点をあてるとこはそこではなく、
もっと広い視野で見なければ!
と、思って見直してる最中です。
だってその相手も私以上に私の問題点に気づいていて
それを何とか教えようとしてくれていたのかもしれない。
私に心を開いてるからこそ、
喜怒哀楽を隠さずに表現していたのかもしれない。
私が相手を怖がっていることに戸惑って
私にどう接していいのかわからなかったのかもしれない。
私のオドオドした態度が
かえって相手を不快にさせていたのかもしれないのだから。
または
相手は私には想像もつかないような苦しみや悲しみを抱え、
苦しんでいたのかもしれない。。。
もしも自分が思い込んでいたように
その人物が全くもって道理から外れた野蛮な人間だとしたら
逆にあなたはその人物を恐れる必要はない。
その相手はあなたより弱く幼い存在なのだから。
自分に問題があったと気づいたのなら
もう被害者の立場に逃げることを止めて
自分の課題を受け入れ、そこから学ぶ。
自分がいかに視野が狭く、物事の本質を見抜く力や
多角的に物事を捉える力が
極端に薄弱であるか。。。
自覚させられたこともいっぱいありました。
それにずっと『怖い』と言い続けていると
怖いものしかこなくなるということにも
気がつきました。
色眼鏡で見てるとそれしか見えないですからね。
私は今親に対してのその課題を乗り越えようと
あれこれ見ています。
特に母親が同じ状況。
いかに自分がかわいそうか、それによって
コントロールをしようとしてる。
そんな姿を見せられて、
これからそれをどう解決するかが鍵みたいです。
母も自分の親にはそうされてきたから
自分もそういう行動しか起こせないんだと
やっと気がついたからです。
私がしてる仕事は
そういう同じ苦しみを抱えてる人たちの
乗り越えるお手伝いをするだけなのです。
たしかに自分の醜い姿、いやな姿
誰も見たくないでしょう。
でも成長したい、もっと今の状況を変えたい!
と、思ってるのであれば
その部分に焦点を当てざるを得ません。
お互いにほんの少しの勇気をもって
見つめなおしていきませんか?
セラピストはクライアントさんに寄り添う人。
問題を解決するため自分で道を見つけなければなりませんが、
一人ではありません。
誰かきっとお手伝いをしてくれる人が出てきます。
真摯に冷静に見つめなおす勇気が出れば。。。