最近やたらポジティブな思考でいこう!!みたいなノリが
多いような気がします.
ポジティブも必要ですが…
ネガティブなものは受け入れてから行動してるのか?と言えば、
ほとんどの人が自分の中の闇を見てないふりをしてたり
することが多いような気がします.
スピリチュアルな世界でもやたら光ばかりの焦点を当て、
闇は排除みたいなことも多いようですが…
本当にそうなのかな?
ものすごく気になりました.
そしてポジティブだけなものを推奨する
その状況にも納得がいかなかったのです。
だって、光と闇は表裏一体です。
光があるからこそ闇が出来る。
闇があるからこそ光がますます輝くから。
太陽の光を浴びれば後ろに影が出来る.
絵を描いてる方などはよくご存知だと思いますが、
例えば彫刻の像の顔をデッサンする際、光を当てる方向によって
その彫刻の像の顔の表情がが違って見えたりするそうです.
じゃあ彫刻全体に光を当てて影が出来ないようにしたら…
よくわからなくなるそうです。
このようにあまり偏ると歪みが生じるのではないのでしょうか?
闇を知ることを避けて、光ばかり向かおうとすると
そこにあるのは分離、否定、囚われ、偏り…
常に自分は常識に基づいた正しい判断を
下してるのだという思い込み…
時々周りに愛や光に心ときめかせてる
あまり現実的でない人に出会うことがあります.
それを見せられるたびに、自分の振り返ることにしています。
自分はまたちゃんとグラウディングして、しっかり見極めてるかどうか…
美しいものは善だとは限らないんですよね…
その奥にあるのは本当に自分にとって正しいことなのか…
しっかり見極めなければならないと思います.
なので、私は鵜呑みにはせず、
まず疑ってかかる癖があります.
なぜならどんな良いお話でも情報でも
まずはそれらを十分検討し、十分に噛み砕き、
その時点で本当に自分に必要で
相応しいと思われるものだけ吸収し、
逆に自分の中であいまいな情報に関しては
納得のいくまで掘り下げる.
たとえ時間がかかっても、回り道になっても.
愛しなさいと言いながら他の人と向き合うことを避け、
受け入れなさいと言いながらネガティブを排除し、
許しなさいと言いながら自分にありのままを許さず…
感情の抑圧を重ねたらどうなるか…
精神的にも心理学的にもあまり良い状態ではないでしょうね…
自分自身の分離した意識に気づかずに居続けるということは、
人類全体の集合意識を分離させ、進化を妨げることに
繋がるということになるそうです。
私たちの意識は、集合意識の領域では完全に一体である.
これはスピリチュアルの言葉では
『ワンネス』ということなのかな?
だとしたら、一人の意識の在り方が、
全体に大きな影響を及ぼすんじゃないのかな?
陰陽の法則で言えば
誰かがポジティブな意識ばかりに偏るということは
逆にネガティブな意識ばかりに偏るものが存在するということ。
もしもあなたがポジティブな思考や感情だけを独占したとすると、
地球の裏側の見ず知らずの誰かか、もしくは周りの誰か知人、家族が
あなたの放棄したネガティブを一挙に引き受けることになるのらしい。
こんな内容を知った私は
個々の意識の持ち方、
自分自身の内面のバランスの取り方というものを
すごく考えさせられる…
どちらかというと私はネガティブなものばかりに焦点が合い易い.
なので、世間一般によく言われるポジティブシンキングが
なかなか受け入れられなかったのです。
まずは自分が無理という限界を勝手に作ってたせいもありますが…
でもやっぱりバランスは大事で、光ばかり追うと
成長したと思えるエゴも発生し易くなる…
となると、やっぱりどこかに罠があるんじゃないかと思います.
安易にスピリチュアルと言いたくない自分もいますしね…
だって特別なことではないのです。
日常生活においてのバランスの問題だと思うのです.
悪いことを人のせいばかりにしてないで、
なぜそうなったのか、見極める覚悟をする人たちが
増えてくれたら…
偏らないのかな?
どうなんでしょう…
私にもまだわかりません…
でもそろそろ臭い物に蓋をするのを止めた方がいいのでしょうね。
だって他者を騙せても、自分自身は騙せません.
いつかは表に噴出してしまうのだから。
だったらその問題がまだ小さいうちに見極めることから始めませんか?
私もまだまだ実行中です.
多いような気がします.
ポジティブも必要ですが…
ネガティブなものは受け入れてから行動してるのか?と言えば、
ほとんどの人が自分の中の闇を見てないふりをしてたり
することが多いような気がします.
スピリチュアルな世界でもやたら光ばかりの焦点を当て、
闇は排除みたいなことも多いようですが…
本当にそうなのかな?
ものすごく気になりました.
そしてポジティブだけなものを推奨する
その状況にも納得がいかなかったのです。
だって、光と闇は表裏一体です。
光があるからこそ闇が出来る。
闇があるからこそ光がますます輝くから。
太陽の光を浴びれば後ろに影が出来る.
絵を描いてる方などはよくご存知だと思いますが、
例えば彫刻の像の顔をデッサンする際、光を当てる方向によって
その彫刻の像の顔の表情がが違って見えたりするそうです.
じゃあ彫刻全体に光を当てて影が出来ないようにしたら…
よくわからなくなるそうです。
このようにあまり偏ると歪みが生じるのではないのでしょうか?
闇を知ることを避けて、光ばかり向かおうとすると
そこにあるのは分離、否定、囚われ、偏り…
常に自分は常識に基づいた正しい判断を
下してるのだという思い込み…
時々周りに愛や光に心ときめかせてる
あまり現実的でない人に出会うことがあります.
それを見せられるたびに、自分の振り返ることにしています。
自分はまたちゃんとグラウディングして、しっかり見極めてるかどうか…
美しいものは善だとは限らないんですよね…
その奥にあるのは本当に自分にとって正しいことなのか…
しっかり見極めなければならないと思います.
なので、私は鵜呑みにはせず、
まず疑ってかかる癖があります.

なぜならどんな良いお話でも情報でも
まずはそれらを十分検討し、十分に噛み砕き、
その時点で本当に自分に必要で
相応しいと思われるものだけ吸収し、
逆に自分の中であいまいな情報に関しては
納得のいくまで掘り下げる.
たとえ時間がかかっても、回り道になっても.
愛しなさいと言いながら他の人と向き合うことを避け、
受け入れなさいと言いながらネガティブを排除し、
許しなさいと言いながら自分にありのままを許さず…
感情の抑圧を重ねたらどうなるか…
精神的にも心理学的にもあまり良い状態ではないでしょうね…
自分自身の分離した意識に気づかずに居続けるということは、
人類全体の集合意識を分離させ、進化を妨げることに
繋がるということになるそうです。
私たちの意識は、集合意識の領域では完全に一体である.
これはスピリチュアルの言葉では
『ワンネス』ということなのかな?
だとしたら、一人の意識の在り方が、
全体に大きな影響を及ぼすんじゃないのかな?
陰陽の法則で言えば
誰かがポジティブな意識ばかりに偏るということは
逆にネガティブな意識ばかりに偏るものが存在するということ。
もしもあなたがポジティブな思考や感情だけを独占したとすると、
地球の裏側の見ず知らずの誰かか、もしくは周りの誰か知人、家族が
あなたの放棄したネガティブを一挙に引き受けることになるのらしい。
こんな内容を知った私は
個々の意識の持ち方、
自分自身の内面のバランスの取り方というものを
すごく考えさせられる…
どちらかというと私はネガティブなものばかりに焦点が合い易い.
なので、世間一般によく言われるポジティブシンキングが
なかなか受け入れられなかったのです。
まずは自分が無理という限界を勝手に作ってたせいもありますが…
でもやっぱりバランスは大事で、光ばかり追うと
成長したと思えるエゴも発生し易くなる…
となると、やっぱりどこかに罠があるんじゃないかと思います.
安易にスピリチュアルと言いたくない自分もいますしね…
だって特別なことではないのです。
日常生活においてのバランスの問題だと思うのです.
悪いことを人のせいばかりにしてないで、
なぜそうなったのか、見極める覚悟をする人たちが
増えてくれたら…
偏らないのかな?
どうなんでしょう…
私にもまだわかりません…

でもそろそろ臭い物に蓋をするのを止めた方がいいのでしょうね。
だって他者を騙せても、自分自身は騙せません.
いつかは表に噴出してしまうのだから。
だったらその問題がまだ小さいうちに見極めることから始めませんか?
私もまだまだ実行中です.