かつて「不倫は文化だ」と宣った俳優がいた。
いや、確か彼は、自身の不倫疑惑を芸能リポーターに責められ、「不倫は(題材として)純文学などにも扱われ、立派に文化として成立し得る」というニュアンスのことを、ゴルフをしながら、答える必要もないのに、答えてあげたに過ぎない。
それがマスコミでは「あいつは“不倫は文化だ”と宣った」と報じられた。
そう考えると、「不倫が文化」だと思っているのは、この記事或いは見出しを書いたライターであって、もっと言えば石田純一は夏目漱石の『それから』を読んでいるが、そのライターは読んでいない。教養のない人間。ということになる。
前置きが長くなった。
さて『それから』について、である。
と言っても本日ここにアップするのは、1985年に松田優作主演で公開された映画の方で、漱石の小説に関しての感想文は、大分前にこのブログにて紹介しているので、もしよろしければそちらをお読みください。なかなか良いことを書いてある。
まあそれはそれとして、今回は映画の話。
恋愛映画ではあるが、サスペンス並みの緊迫感があった。見応えがある。
松田優作も良いが、何と言っても藤谷美和子がいい。素晴らしい。今はどこに行ってしまったのだ?
小林薫はあまり良くない。
数々の映画賞を総ナメしているようだが、キャラ立ちが露骨過ぎる。
その、自分が作り上げたキャラクターを守るのに必死で、周りの人間との関係がよく分からない。
関係を大事にすれば自ずとキャラは立つ。人間はコミュニケーションの生き物だ。
あれでは松田優作に突然、アドリブで尻を触られたって、何とも感じないだろう。
そんなコミュニケーションよりも彼にとってはキャラの方が大事だからだが、それは結果、生きている人間をきちんと描けていないということになる。
誰だって、突然尻を触られたら「ヒャッ」となる。事によると「いやん」という声が出るかもしれない。
そういった「ニュートラル」なスタンスでそこにただ居られるというのは、これはいわゆる一つの勇気だ。
理詰めだけではできない芸当である。
勿論、何も持ち合わせていないのに、その「スタンス」一つだけで臨むのは論外ではあるが。
それから、音楽も良い。
夏目漱石の『それから』を読む限りでは、この音楽のイメージはピンと来ないが、この映画にはぴったりだ。
これだから映画音楽というのは面白い。
他にも、代助の心象風景を電車に乗り合わせた人々を借りて表してみたり、遊女と寝る前に変な踊りを踊ってみたり、森田芳光監督のセンスが随所にキラリと光る佳品である。
1985年、東映映画。松田優作主演、森田芳光監督作品。