25年前の今日、11月9日はベルリンの壁が崩壊した日。
そして5年前の今日、11月9日は私の娘が誕生した日。
25年前のあのニュースを見ながら、その20年後にこの日が一年の中で最も大切な日になるなんて思いもしなかった。
事あるごとにカメラを、ビデオを撮って、もちろん誕生日の今日なんかでもカメラを構えて、ビデオを回して5才の娘の「今」を記録するのだけれども、でも本当に私のこの脳に、体に、心に焼き付けておきたいのは、例えば洗面所で一緒に手を洗っている時にふと下から私を見上げるその時の顔。
とか、休日の朝、私の寝床にダイブしてくるその時の娘のフォルム。そして顔。
などの、刹那。何気ない日常の刹那。
何年後かに観返したいのは、そういうカメラやビデオでは到底収め切れない瞬間。
しかしそれは、カメラやビデオに収められないものだからこそ「収めたい」と願うのかもしれない。
結局それらの「瞬間」はこの「目」に焼き付けるしかないのだろう。
私の「目」という、頼りなくて、曖昧で、それでいて「絶対」なツールで捕らえるしかない。
今日もカメラとビデオと目に娘の姿を収めた。
その背景は、時折日の差し込む瞬間はあったが終始曇り空であった。
だが昨日までの予報では本降りだったのであるから、大した「晴れ女」だ。
あれから5年。
私の父が私の誕生日のたんびに「あれからもう○年だ」と言っていて、自分にとっては自分の「誕生日」というだけだからなんかその父の言い方がピンと来なかったのだが、今になってみるとその心境がよく分かる。
自分の年は1年毎に更新してゆくものだ。単位が「1年」である。「前の年の誕生日から今日」である。
娘のそれは違う。
なんと言えばいいか、うまく表現できないかもしれないが、単位は毎年変動する。
3才なら「3年」、5才になった時は「5年」が1単位なのだ。
スタートが「前の年の誕生日」ではなく、いつも「0」の時にある。
だから「あれから5年かあ」となるのだ。
おそらくこれは私が死ぬまでずっとそうで、やがて娘がそういう父親を鬱陶しく思う日も来るのだろう。
だがそれも仕方ないと思っている。それが正常な姿なのだという覚悟もできているつもりだ。
それなのになんだか悲しくなってきた。娘の誕生日なのに。
寝る。