移動 | 大塚ひであつのブログ

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吾輩には4才4ヶ月の娘がいるのだが、長い距離を電車で移動するのがどうも苦手である。

特に我が家は地下鉄が最寄りとなるので、電車の窓から見える景色は「黒」一色。つまらないことこの上ない。

気持ちは分かる。吾輩も電車移動は退屈だった。

しかし、よく娘を観察してみると、ただ単純に「移動」が退屈というのではないように感じる。

いやむしろ、「移動」それ自体を「退屈」としているのは我々大人であって、だからスマホやipodで紛らわしているのだ。

娘は「移動」を楽しみたいのである。

娘と自転車で、例えば買い物などに行ったとする。吾輩は吾輩の自転車、娘は娘の自転車、2台で。

吾輩は行きは早く店に行くことしか考えていない。帰りはたくさんの荷物を抱えてこれも早く帰ることしか考えていない。

しかし娘は違う。

娘には「移動」は「イベント」なのだ。

立ち漕ぎや両手を放してみたり(※危ないので良い子はマネをしないように)、あるいは「お父ちゃんは前を走ってて。あづきがチリンチリンてするから、そしたら振り向いて『あ、どうもすいません』て言ってあづきを通してね」などとシチュエーションを設定して演出までこなす。

こっちは早く着きたいのでイライライライラ。

でもそこでハッと気づいた。

娘は実に楽しそうなのだ。「今」を楽しんでいる。

目的地に着いたら着いたでまたその時楽しめることを楽しめばいい。

でも「今」は「今」しかない。

「今」、「先」のことを考えるのはナンセンスだ。

雨の日などでも、濡れる心配しかしていない私にとって、傘は雨を避けるための道具でしかない。

だが娘には「傘」は「傘」である。そのものである。

傘を差していること、雨が降っていること。それが実に楽しそうだ。

子供がいると実に多くの発見があって、40を過ぎた今、改めて人生の意味を教えてもらっているようでなんだか得した気分。

大人が目的地を指し示してあげることは大事だが娘のそのセンスも逸して欲しくない。

夢は大いに持つべきだ。その「夢」のおかげでしんどい「今」を乗り切ることもできる。

しかし、その「今」いる場所も忘れてはならない。「今」あってこその「夢」でもある。

何事もバランスである。