無意識というのは19世紀の精神科医、ジークムント・フロイトの発見だと言われています。
そうじゃないと言う人もいます。もっと前に提唱した人がいる。と。
まあいずれにしろ、「無意識」がここまでメジャーになったのはフロイトの功績ですから、ここではフロイトの発見とさせていただきます。
はっきり言って精神医学史上いや、人類史上においても最も重大な発見の1つでしょう。
「“無”意識が“ある”」なんて常人の発想ではありませんね。インド人が「ゼロ」を発見したみたいなものです。
人間の「意識」に「上ってくる」のは極、表層的なもの、いわゆる「氷山の一角」に過ぎない。本当の自分は無限に広がる「無意識」の中に存在する。
なんて書くと少しロマンチックですが、実際にそれで苦しんでいる人は昔から大勢いて、それに苦しむ人々をたくさん見てきた、そういう人々と真摯に向き合ってきたフロイトだからこそ、その発見に至ったのでしょう。
こういった症状は昨日今日見られるようになったものではなく、フロイトが発見したということはフロイトの時代にはもう既にあったということで、いやいやそんなものでは無論なくおそらく太古の昔から、人類がこの世に誕生してからずっと存在していたものでしょうから、それが「無意識」の為せるワザであるという、その「原因」が解っただけでも救われた人はいるでしょう。
そんな意味でも物凄い発見だと私は思います。
だから普段我々が「ムイシキ」に遣っている「ムイシキ」という言葉は本来の「無意識」とはちょっとニュアンスが違うようにも思うのですが、まあそれだけ我々の中に「ムイシキ」に「無意識」が浸透しているということも含めて、もうそれは爆裂的な発見「爆見(ばっけん)」だったのは疑う余地がありません。
ということで都民のみなさん、選挙に行きましょう。
「無意識」に刷り込んでやる。