あと一月で一年、ほぼ毎日書いてきたこのブログだが、タイトルに人の名を冠したのは今回が始めてである。
「ポール・ニューマン」
今日、1月26日はアメリカの映画俳優ポール・ニューマンの89回目の誕生日。ただ、もうこの世にはいないので本人に「おめでとう」は言えない。
亡くなったのは2008年の9月26日。享年は83歳だった。
その日、アメリカのニューヨークにあるブロードウェイと言う、左右に数多くの芝居小屋が建ち並ぶ世界的にも有名な通りは、1分間、黙祷の意味を込めて全ての灯りを消した。
一俳優の死をここまで悼むというのはそうそうない。
それだけで彼がアメリカでどう思われていたか、好かれていたかというのが分かろうというものである。
私もポール・ニューマンが大好きである。
しかし日本では、死んで数十年経つ今もなお様々な雑誌などで特集記事が持たれるジェームズ・ディーンやスティーヴ・マックイーン、圧倒的カリスマ性と演技力で信仰者が後を絶たないマーロン・ブランド、あるいは未だ現役で映画を撮り続けるクリント・イーストウッドなどの同世代の俳優たちの中ではあまり取り上げられないという印象がある。
その現状を打開し、ポールの素晴らしさをこのブログから展開、拡散したところでさして喜ぶ者はいないし、長いことダラダラ書いても読んでもらえないので、本日はほんの少しだけ彼のことを紹介するに留める。
私がなぜ彼が出演している映画が好きかと言うと、何度観てもまた観たくなるからで、ではなぜまた観たくなるかと言うと、何度観てもまた彼に会いたくなるからである。
これは凄いことで、いくらいい俳優がいい演技をしていても、映画自体がよろしくなければまた観たいとはなかなか思えない。
しかし、ポールの映画はまた観たい。また会いたい。
それはとりもなおさずファンだからでしょ?ファンとはそういうものよ。そんな声が聞こえる。
まあそうなのだろうが、ちょっと違うような気もする。が、まあそうなのであろう。
ただ、「また会いたい」というのは「また観たい」というのとはやはりちょっと違って、ポールにはそう思わせる何かがあり、その人柄がスクリーンに滲み出てしまっているのかもしれないなとも思う。
それはともすれば俳優にとってはマイナスとなり得ないこともなく、だが人間がやっている以上それは避けては通れない問題であって、そうなれば最後はどうしたってその人本人が自身を磨くしかない。
単純に「いい人」になるということではなく、その人自身を「生きる」と言うのかな?その人を「全うする」と言うのか。
私はおそらくポール・ニューマンに、彼の映画にそれを観たのであって、それが私をしてまた「彼に会いたい」と思わせる大きな要因となっているのだろうと思う。
彼の笑顔はこの上なくかわいく美しく、ヒトを惹き付けて止まない魅力に溢れている。
自分に嘘を吐かず、真実生きている、全うしている人間の笑顔なのだと私は信じている。