曖昧 | 大塚ひであつのブログ

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そうなんですねえ。今日は阪神淡路大震災のあった日でした。

あれから19年かあ。

ウィキペディアによれば午前5時46分52秒に発生ということですから、東京にいた私は起きていたのかなあ。あの揺れで起きたのかなあ。

って東京は揺れたのだっけなあ。もうはっきりと憶えていない。恐いですね。

ただ、京都に友人がいて、すぐメールをしたのは憶えています。

ってこれもウソ。ケータイなんか当時持っていないもん。

記憶というのはホント、良いように書き換えられるなあ。自分でも知らぬ間に。

朝、通常通り目覚めて、テレビを点けて、あの光景を目にしたと思います。

ビルが崩壊し煙を上げている映像。高架が足元から折れて高速道路が倒れている映像。

それで京都の友達に、電話をした。これは間違いない。よね?

すぐ繋がったか?しばらくは回線が混乱していて繋がらなかったか?

それも憶えていない。だけど、いずれにしろ繋がって、「こっちは大丈夫。ありがとう」って“向こう”が言ったのは憶えている。はっきり。

もウソ。残念ながら。その時その親友はまだ東京にいたはず。

電話はした。ただその内容が多少違っていて「京都のご家族は大丈夫?」と訊いたのかもしれない。そして、「ありがとう。大丈夫」という返事だったのかもしれない。

あの年は、その後3月に地下鉄サリン事件もあって、なんか幕開けが不穏、を通り越して不吉ぐらいのところまで行っていた気がする。

それも後に造った「予感」かなあ。

その後、神戸にも大阪にも京都にも行った。

そこには街並みがあった。風情があった。

私が都合のいい記憶を捏造している間に、そこに住む人々は弔い、片付け、生活をし、食べ物を食べ、建物を建て、商いを商った。

その景色がそれを証明していた。

私の曖昧な記憶。人々の確かな生活。