入院(躁状態)エピソードを書きます!
はじめのうちは、医療保護入院で、通信制限あって、携帯使えなかったので、手書き日記のみでした。後半は、ミクシィに綴っていました。
今回は手書き日記のみを公開します!
結構やらかしましたね…。
二度と入院しないためにも、あの苦痛を振り返ることにいたします。
まず、入院して2日目…

誤字脱字が多く、後半はなんて書いてあるのか読めません…。
『朝の記憶がまたったくない。気が付いたら11時でお昼の時間だった。昼食は毎回1/2程度だが大丈夫!!
今の頭脳?茶?なり、混乱するようなことになる思。?
ホールでこの?を書いていたら落ち着いた。
もう15:00 目の前が2重に見えるきがする~
物が非常に書きづらい。
もう、食っちゃねくっちゃねしてたから少し歩かなきゃだね。』
と書いております。お昼近くに書いた日記かと思います。
入院初期の薬は、
リーマスとwpxとマグラックスとベンザリン、ベゲタミン、レンドルミンだったので、
自宅療養時よりむしろ減っていたのにもかかわらず
このような事態になったのはベゲタミンの作用ではないかと思います…。
定かではありませんが。初ベゲでしかからw
続いて、4日目の日記です。
またまたこの世のものとは思えない日記を書いています。

『朝方5時頃トイレに行きたくなり目が覚めた。
相変わらず焦点が定まっていなくて汚い字になってしまっている。
目をぱっと開けた時にびっくりした。
壁に、(くるくる)という模様がたくさん書いてあるのである。
一瞬違う世界にきてしまったかのように思ったが、これは現実。
ベゲAの幻視は朝のほうが酷いみたいだ。
一生懸命文字を書いているのに多分読めないだろうな。
後になったらわかる恐怖。』
ベゲタミンを飲んでも、中途覚醒してしまう自分が恐ろしい…。
職場の先輩から、「ベゲタミンはヤバいよ!!!ピンク色の!」
ということを以前から聞いておりました。
ピンク!?あ、ベゲタミン処方されてる、自分…とおもった。
初日からなんとなくそう感じてたけどねw
続いて5日目の日記

『看護師さんが眠れないか見回りに来た。
あたしは昨日はふて寝していたので、7時(19時)には
寝ていたので、起きていた。眠剤持ってくるって言ったのに
持ってきてくれない。ひどいな…。私、素ではねられない。
あ。45分に持ってきてくれた。ベンザリンかな。
看護師は信用問題だよね。絶対に。
忙しくても、嘘は絶対についちゃいけない。
それは毎日思う。ありがとう、男の看護師さん。』
後半、これからの看護に役立てます…。
ってか、当たり前のことだけどね。
SでもMDIでも、人間は人間だ!!!!!!!!!
当たり前のことすべし!
続いて6日目の日記(2:30)

『変な時間に起きちまった→。…ので、そく眠剤もらいに行った。
だって3時超えたらもらいに行けなくなっちゃうからね。多分。
ベンザリンどこまで効くかな。
昨日も飲んだけど、効果をあらわしていない。
…。て大変汚い字で書いている。今気がついた。
字まっすぐじゃないじゃん。しっかりしろ自分。』
頓服のホリゾン(セルシン)かリスパダールを
寝る前に飲んでから、ベゲタミンAとベンザリン10をもらって、
その後頓服のベンザリン5mgをもらいに行ってたのですが、
なんだか目がぎらぎらして眠れてませんでしたね…。
10日目の日記

『本日4度目の日記。
子どもの写真を見て大号泣している自分がいる。
先ほどホリゾンをいただいて落ち着いてはきたが、
やはり子どもに会えていない自分にものすごく腹が立っている。
自分のテンションというかステータスが落ちてきているのが
ものすごくわかる。
○○さんにも言われた。「うつ」に下がってきているのだろうか。
もう少し躁でいたい。みんなに笑顔で会いたい。
また体重が「ガク」って減ってfull抑制になって、
鼻カテになってる姿なんて子どもたちに見せたくないよ。
お願いだから私、頑張って。』
若干下がり気味ですが、おそらく「うつ」にはなっていないと
思います。激躁が軽躁になってきた感じだと思われます。
12日目の日記1回目

『昨日は、ホリゾンとベンザリンとベゲAとレンドルミンを
だき合わせで飲んだ。夜中起きてしまい、4:00くらいかと思いきや
なんと1:00だった。かなりショック。まじでショックすぎて、
声が出なかった。
だって、早すぎでないですか。こりゃまた眠剤もらわないと、
ひどい目にあうよね。よし、もらいに行こう、ベンザリン。』
中途覚醒しても、字が落ち着いてきました。w
なんだかよく眠れない日々が続いていましたね・・・
12日目の日記2回目

『今日はクソの日と名付けてやる。朝からTelで切れてリスパ飲み、
面会中は保険証を無くしただなんだでうるさくすみ、
その後主治医との面談でも勝手な爆裂トークが始まり、
結局OKになったのは、保護者との院内の買い物のみ。
バカか。死ね。消えろ。もう。死にたいから起こさないでくれ』
おぉぉ…易怒性+…。こえぇ。w
このあたり、リスパ液2ml~4ml毎日飲んでました。
切れてるよwww
今回は載せていないですが、12月19日には「怒り爆発」して、
ごみ箱をけりとばし、面会椅子をたたきつけ、壁けっております…。
12日目の日記3回目

『自分を傷つけることしか考えられなくなっちゃった。
どうしたんだろう。16Gくらいのピアスで両腕めった刺しにしたし
首絞めたりしてるし。夜のお薬飲んだら、首絞めて死のうかな。
朝起きなかったら、みんなごめんね。
生きる意味が分からなくなてきちゃったんだ・・・。また。
これはね、鬱の前兆かもしれない。
わかってる人のほうが少ないんじゃボケって言われるかもしれないけど、
私の脳ではそこまでは考えられない。楽しくもい入れない。
よくわからない人生を、真顔で生きていくのが私のスタイルだから。
さようなら。』
…人生初自傷行為炸裂。
(あ、今回の躁で、ボディピアス6つあけたけど)
入院中の主治医は、「あなたはボーダーだ!」といってたが、
看護師と外来主治医は「衝動的行為だ!」といっていた。
はて、どちらでしょうか。30か所、血だらけ…無残。
入院中の主治医に「見せないで!!!!!!」と
どなられた。別に、見せてたつもりないんだけど…。
ボーダーと双極性障害って、案外診断に困るらしいね…。
どっちでもよいです。もう自傷は二度としませんからねw
「身体抑制する」といわれたが、
ミーティングにより、されないことになった。
※12日目~25日目までは、低空飛行の1行日記が多いので、
カットですw
26日目に日記

『あーあ、やっぱし誕生日は病院で迎えることになったね。
ちょーさみしい。
携帯もOKになってないので、誰からもお祝いされず。
閉鎖の中で一人沈む自分がいるんだろーな。
周りはどんどん退院していくけど、私はまだまだだな。
今出たら、以前と変化なくなっちゃう。
だからまだ大人しく入院しています。
だって→元気すぎなんだもん!!!タスケテヨ!!
コノヤローバカヤローシネー!!とか言っても何も変わらない…。』
沈んでましたが、うつではないと思います。
今までも低空飛行と書いておりましたが、
おそらく軽躁状態であったと思います…。
激躁になると、それ以下になったときに、
鬱になったと勘違いすることが多いと思います。
本当に鬱になったときは、
耐えがたい苦痛ですからね…。
そんなんじゃなかったと思います。
鬱は9月にきましたから。。w
※27日~33日目までの日記は、1行日記が多いためカット!
※12月25日(34日目)~58日目までは、
バルネチールの副作用により、1行日記や、
不穏で廊下を相当徘徊している内容しかないためカット!
59日目の日記

『今日も5:30にすっきり起きることができた。
昨日の薬剤師さんの話だと、今日からバチール(バルネチール)が
offになるとのことだったが、私は1月15日から、
もうすでにoffしてるんですよね…。(秘)
でも、精神症状は至って普通。仕事をしていた時と同じ感じです。
Dr大嫌いだったけど、2か月で躁を直してくれたので感謝する。
本当にありがとう。Dr今日外来だけど、外泊と退院の短縮
受けてくれるかな。あ、来た!!
…やっぱり短縮は無理だったわねー。残念。』
外泊中はバルネチールははずしていました。。そして、帰棟してからも、
口の中に入れて、バルネチールだけ味で選んで吐きだしてました…。
錐体外路症状がでてきて、耐えられなかったからです。
ってか、私ってなんてノンコンプライアンス…。というか、ある意味至難の業でした…。
夕食後のバルネチール200は、他3錠の中から1錠見つけ出し吐きだす。就寝前では他5種類の中から1錠見つけ出す…。宝探し状態でした。
口に薬入れて水飲むまでは、看護師が見張ってるから…
職場の先輩には、「え?バルネチール!?なんでそんな古い薬飲まされてるの???!」といわれましたw
外来主治医には、「入院での治療としては、妥当であったと思います」と言われました。
二度と飲みたくない薬の1つです・・。
63日目の日記

『やはり「うつ」は消えてない。まぁ仕方ないよね。双極性だから。
あと退院まで1週間あるから、それまでには治ってほしい。
だって、リーマス800もしっかり飲んでいるんだから。助けてほしい。
だれか、私の病気を完治させてください。
…朝ごはんまでに起きれませんでした。おとといから、喫茶店の
ケーキくらいしか食べてません。食欲なし。今日も喫茶店行こう!!
気分転換しなきゃだね。作ってくれている給食の方、
申し訳ございません。私は何も食べられません。
売店に行って野菜ジュースを買ってきた。おいしいな。』
主治医に言われた一言で、一気に鬱状態になった。
「あなた一人いたとしても、家族の負担は変わらない」
的なことを言われた。
子どもを2人のこして2カ月以上入院している私は、
ものすごく家のことを気にしていた。その時に言われた一言。
あぁ、かなりしょっくだったわぁぁぁ。。。ww
でも主治医はそれは計画だったようだ。
「I型は、半鬱で帰らないと、また刺激によって躁転する」って。
はぁ…。どうも、ありがとうございます。
ということで、2か月10日で抑鬱状態で退院させていただきました…。
こんな感じに過ごしましたw
患者の気持ちにもなれましたし、
看護師の良いところと抜けているところが見えましたし、
色々お勉強になりましたわ☆
はじめのうちは、医療保護入院で、通信制限あって、携帯使えなかったので、手書き日記のみでした。後半は、ミクシィに綴っていました。
今回は手書き日記のみを公開します!
結構やらかしましたね…。
二度と入院しないためにも、あの苦痛を振り返ることにいたします。
まず、入院して2日目…

誤字脱字が多く、後半はなんて書いてあるのか読めません…。
『朝の記憶がまたったくない。気が付いたら11時でお昼の時間だった。昼食は毎回1/2程度だが大丈夫!!
今の頭脳?茶?なり、混乱するようなことになる思。?
ホールでこの?を書いていたら落ち着いた。
もう15:00 目の前が2重に見えるきがする~
物が非常に書きづらい。
もう、食っちゃねくっちゃねしてたから少し歩かなきゃだね。』
と書いております。お昼近くに書いた日記かと思います。
入院初期の薬は、
リーマスとwpxとマグラックスとベンザリン、ベゲタミン、レンドルミンだったので、
自宅療養時よりむしろ減っていたのにもかかわらず
このような事態になったのはベゲタミンの作用ではないかと思います…。
定かではありませんが。初ベゲでしかからw
続いて、4日目の日記です。
またまたこの世のものとは思えない日記を書いています。

『朝方5時頃トイレに行きたくなり目が覚めた。
相変わらず焦点が定まっていなくて汚い字になってしまっている。
目をぱっと開けた時にびっくりした。
壁に、(くるくる)という模様がたくさん書いてあるのである。
一瞬違う世界にきてしまったかのように思ったが、これは現実。
ベゲAの幻視は朝のほうが酷いみたいだ。
一生懸命文字を書いているのに多分読めないだろうな。
後になったらわかる恐怖。』
ベゲタミンを飲んでも、中途覚醒してしまう自分が恐ろしい…。
職場の先輩から、「ベゲタミンはヤバいよ!!!ピンク色の!」
ということを以前から聞いておりました。
ピンク!?あ、ベゲタミン処方されてる、自分…とおもった。
初日からなんとなくそう感じてたけどねw
続いて5日目の日記

『看護師さんが眠れないか見回りに来た。
あたしは昨日はふて寝していたので、7時(19時)には
寝ていたので、起きていた。眠剤持ってくるって言ったのに
持ってきてくれない。ひどいな…。私、素ではねられない。
あ。45分に持ってきてくれた。ベンザリンかな。
看護師は信用問題だよね。絶対に。
忙しくても、嘘は絶対についちゃいけない。
それは毎日思う。ありがとう、男の看護師さん。』
後半、これからの看護に役立てます…。
ってか、当たり前のことだけどね。
SでもMDIでも、人間は人間だ!!!!!!!!!
当たり前のことすべし!
続いて6日目の日記(2:30)

『変な時間に起きちまった→。…ので、そく眠剤もらいに行った。
だって3時超えたらもらいに行けなくなっちゃうからね。多分。
ベンザリンどこまで効くかな。
昨日も飲んだけど、効果をあらわしていない。
…。て大変汚い字で書いている。今気がついた。
字まっすぐじゃないじゃん。しっかりしろ自分。』
頓服のホリゾン(セルシン)かリスパダールを
寝る前に飲んでから、ベゲタミンAとベンザリン10をもらって、
その後頓服のベンザリン5mgをもらいに行ってたのですが、
なんだか目がぎらぎらして眠れてませんでしたね…。
10日目の日記

『本日4度目の日記。
子どもの写真を見て大号泣している自分がいる。
先ほどホリゾンをいただいて落ち着いてはきたが、
やはり子どもに会えていない自分にものすごく腹が立っている。
自分のテンションというかステータスが落ちてきているのが
ものすごくわかる。
○○さんにも言われた。「うつ」に下がってきているのだろうか。
もう少し躁でいたい。みんなに笑顔で会いたい。
また体重が「ガク」って減ってfull抑制になって、
鼻カテになってる姿なんて子どもたちに見せたくないよ。
お願いだから私、頑張って。』
若干下がり気味ですが、おそらく「うつ」にはなっていないと
思います。激躁が軽躁になってきた感じだと思われます。
12日目の日記1回目

『昨日は、ホリゾンとベンザリンとベゲAとレンドルミンを
だき合わせで飲んだ。夜中起きてしまい、4:00くらいかと思いきや
なんと1:00だった。かなりショック。まじでショックすぎて、
声が出なかった。
だって、早すぎでないですか。こりゃまた眠剤もらわないと、
ひどい目にあうよね。よし、もらいに行こう、ベンザリン。』
中途覚醒しても、字が落ち着いてきました。w
なんだかよく眠れない日々が続いていましたね・・・
12日目の日記2回目

『今日はクソの日と名付けてやる。朝からTelで切れてリスパ飲み、
面会中は保険証を無くしただなんだでうるさくすみ、
その後主治医との面談でも勝手な爆裂トークが始まり、
結局OKになったのは、保護者との院内の買い物のみ。
バカか。死ね。消えろ。もう。死にたいから起こさないでくれ』
おぉぉ…易怒性+…。こえぇ。w
このあたり、リスパ液2ml~4ml毎日飲んでました。
切れてるよwww
今回は載せていないですが、12月19日には「怒り爆発」して、
ごみ箱をけりとばし、面会椅子をたたきつけ、壁けっております…。
12日目の日記3回目

『自分を傷つけることしか考えられなくなっちゃった。
どうしたんだろう。16Gくらいのピアスで両腕めった刺しにしたし
首絞めたりしてるし。夜のお薬飲んだら、首絞めて死のうかな。
朝起きなかったら、みんなごめんね。
生きる意味が分からなくなてきちゃったんだ・・・。また。
これはね、鬱の前兆かもしれない。
わかってる人のほうが少ないんじゃボケって言われるかもしれないけど、
私の脳ではそこまでは考えられない。楽しくもい入れない。
よくわからない人生を、真顔で生きていくのが私のスタイルだから。
さようなら。』
…人生初自傷行為炸裂。
(あ、今回の躁で、ボディピアス6つあけたけど)
入院中の主治医は、「あなたはボーダーだ!」といってたが、
看護師と外来主治医は「衝動的行為だ!」といっていた。
はて、どちらでしょうか。30か所、血だらけ…無残。
入院中の主治医に「見せないで!!!!!!」と
どなられた。別に、見せてたつもりないんだけど…。
ボーダーと双極性障害って、案外診断に困るらしいね…。
どっちでもよいです。もう自傷は二度としませんからねw
「身体抑制する」といわれたが、
ミーティングにより、されないことになった。
※12日目~25日目までは、低空飛行の1行日記が多いので、
カットですw
26日目に日記

『あーあ、やっぱし誕生日は病院で迎えることになったね。
ちょーさみしい。
携帯もOKになってないので、誰からもお祝いされず。
閉鎖の中で一人沈む自分がいるんだろーな。
周りはどんどん退院していくけど、私はまだまだだな。
今出たら、以前と変化なくなっちゃう。
だからまだ大人しく入院しています。
だって→元気すぎなんだもん!!!タスケテヨ!!
コノヤローバカヤローシネー!!とか言っても何も変わらない…。』
沈んでましたが、うつではないと思います。
今までも低空飛行と書いておりましたが、
おそらく軽躁状態であったと思います…。
激躁になると、それ以下になったときに、
鬱になったと勘違いすることが多いと思います。
本当に鬱になったときは、
耐えがたい苦痛ですからね…。
そんなんじゃなかったと思います。
鬱は9月にきましたから。。w
※27日~33日目までの日記は、1行日記が多いためカット!
※12月25日(34日目)~58日目までは、
バルネチールの副作用により、1行日記や、
不穏で廊下を相当徘徊している内容しかないためカット!
59日目の日記

『今日も5:30にすっきり起きることができた。
昨日の薬剤師さんの話だと、今日からバチール(バルネチール)が
offになるとのことだったが、私は1月15日から、
もうすでにoffしてるんですよね…。(秘)
でも、精神症状は至って普通。仕事をしていた時と同じ感じです。
Dr大嫌いだったけど、2か月で躁を直してくれたので感謝する。
本当にありがとう。Dr今日外来だけど、外泊と退院の短縮
受けてくれるかな。あ、来た!!
…やっぱり短縮は無理だったわねー。残念。』
外泊中はバルネチールははずしていました。。そして、帰棟してからも、
口の中に入れて、バルネチールだけ味で選んで吐きだしてました…。
錐体外路症状がでてきて、耐えられなかったからです。
ってか、私ってなんてノンコンプライアンス…。というか、ある意味至難の業でした…。
夕食後のバルネチール200は、他3錠の中から1錠見つけ出し吐きだす。就寝前では他5種類の中から1錠見つけ出す…。宝探し状態でした。
口に薬入れて水飲むまでは、看護師が見張ってるから…
職場の先輩には、「え?バルネチール!?なんでそんな古い薬飲まされてるの???!」といわれましたw
外来主治医には、「入院での治療としては、妥当であったと思います」と言われました。
二度と飲みたくない薬の1つです・・。
63日目の日記

『やはり「うつ」は消えてない。まぁ仕方ないよね。双極性だから。
あと退院まで1週間あるから、それまでには治ってほしい。
だって、リーマス800もしっかり飲んでいるんだから。助けてほしい。
だれか、私の病気を完治させてください。
…朝ごはんまでに起きれませんでした。おとといから、喫茶店の
ケーキくらいしか食べてません。食欲なし。今日も喫茶店行こう!!
気分転換しなきゃだね。作ってくれている給食の方、
申し訳ございません。私は何も食べられません。
売店に行って野菜ジュースを買ってきた。おいしいな。』
主治医に言われた一言で、一気に鬱状態になった。
「あなた一人いたとしても、家族の負担は変わらない」
的なことを言われた。
子どもを2人のこして2カ月以上入院している私は、
ものすごく家のことを気にしていた。その時に言われた一言。
あぁ、かなりしょっくだったわぁぁぁ。。。ww
でも主治医はそれは計画だったようだ。
「I型は、半鬱で帰らないと、また刺激によって躁転する」って。
はぁ…。どうも、ありがとうございます。
ということで、2か月10日で抑鬱状態で退院させていただきました…。
こんな感じに過ごしましたw
患者の気持ちにもなれましたし、
看護師の良いところと抜けているところが見えましたし、
色々お勉強になりましたわ☆