PSJプロコース8期生の「ひろりん」です。
かわいらしいニックネームを8期のメンバーに付けていただきました。
PSJの代表、政近準子先生を知ることになったのは、3・4年前。
ある想いを胸に、当時2期の学校説明会に出かけて行きました。
私が説明会に参加したい理由を、先にメールで送信したものを読まれていた先生が、「感動したわ」と言って下さり2期の合格をいただきました。
それは意外なことでした。
私が入学することを断られるだろうと思っていたから。
でもその時は、結局PSJ2期には通えなかったのですが・・・。
私は人生の途中から徐々に身体が不自由になり歩けない足になり、車いすに乗っています。
完全に歩けなくなってから10年の間、全くと言って良いくらい外に出られない生活が続くと、感情や表情や言葉、しぐさ、立ち振る舞いまで人前では表現出来なくなってしまいます。
感情や言葉や動作を忘れた訳ではなく、その時代の空気を理解出来なくなる感じ。
とても大きな時間という壁が、自分と相手との間にあって、その壁を感じるのは自分だけ。
このまま外に出られなければ、いつか自分の存在を誰からも忘れられてしまうに違いないという恐怖。その恐怖と相対するように、人への恐怖感がありました。
その頃、インターネットを使うようになり知り合った人たちは、幸運なことに、今でも殆どが良い友人です。
自分の姿を見せずに文字を使って会話が出来るとても快適な場所でした。
でも仲良くなる程、私に実際に「会いたい」と言ってくれる人たちがいました。
何度も断ったにも関わらず、ある日、聡明な友人が、突然「数日後会いに行く」と言い出して、会話のヒントだけで家と私を探し出しました。
たった数日間で急いで通販で注文した服は私に似合わず、私を見た友人の落胆した気持ちを、
読み取ってしまいました。
読んで気付いたかもしれませんが、その人は異性の友人。
その友人が悪い訳ではなくて、私も悪い訳ではなくて、その時思ったことは、見た目が人間関係に大きく影響していること。相手にも自分にも相応しい姿でいる事の大切さでした。
長い間、社会と離れた生活をしていた中で、外に出るための服は勿論、靴もバッグも髪型もメイク道具も揃える事が出来なかったことで、大切な人との縁さえ変わってしまいます。
その後も、家の中から外に出ることに、とても苦労しました。
家から外に出られるまでに3年、外に自由に出られるようになるまで3年、対人恐怖症を克服するまで3年…。
「私に出来たんだから、あなたにも出来るよ」なんて簡単に言えるような軽い時間ではなかったと思います。
多分、その途中で諦めなければならなかった人も大勢いると思うし、精神的な恐怖以外にも、いろんな「足枷」が、一般社会の人が想像するよりも遥かにあると思います。
せめて大変だった時、自分が外に出たいと思えた時や、少ないチャンスが自分に近づいて来た時に、「自分を素敵に見せてくれる装いを揃えてくれる人」がいてくれたら、もっと早く外に出られたかも。もっと大勢の人が外に出られるんじゃないか。きっと切望している人たちがいるんだろう、と感じています。
車いすに乗る体になったことは、悪い事 ではないと思います。
むしろ普通の人たちとは違う、面白い経験が出来ていると思います。
通えなかった2期から約4年経った昨年になって、両親がPSJに通うことと東京での生活を許してくれました。障害を持つ子供を持つ親にとっては、どれ程心配で勇気がいる決断だったか計り知れません。その心配が時には足枷になり、時には大きな愛情として感じられます。
ここで勉強出来ることが、今外に出られずにいる方の役に立てたら良いと思っています。




