さて、「保守嫌い」の教会を論じる前に、私が洗礼を受け、日本でクリスチャンとして生きるにあたって考えたことは、「八百万の神々」の存在する日本の立ち位置も尊重したいということでした。
クリスチャンの中には、神社仏閣に足を踏み入れないという、私からすれば極端に排他的な人間になりたくなかったのです。近所の神社やお寺の祭り。生まれてからずっと身近にある存在でしたから。
しかし、排他的な側面は改善されません。
私は、転職して自民党代議士の秘書となりました。その時、牧師は「どうして自民党?」と残念がりました。
私は牧師家族が好きでした。しかし、説教の内容が体制批判が多いことに、複数の信者が教会から離れていく事実があったことを知り、その人たちの気持ちが痛いほどわかるのでした。
また、近隣の教会(単立)の牧師夫婦(病院経営も兼ねている)が、代議士(旧厚生省出身)を応援してくれることを知って激怒した教会員の女性の態度に、あっけにとられたものです。彼女の考えは、諸教会が持つイデオロギーと全く一致しているのです。
2月11日の建国記念日。日本キリスト教団の教会カレンダーには「信教の自由を守る日」と記されています。
なぜそうなのか?神話に基づく神武天皇の即位の日は認められないということだそうです。
http://uccj.org/newaccount/2943.html
古事記を改めて読んでみましたが、イザナキノミコト、イザナミノミコトの物語は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とよく似ています。古事記の数えきれない神様がいろんな国や土地を想像していくことは、とても興味深いものでした。ギリシャ・ローマ神話だって新旧約聖書だって、超自然的かつ歴史的に検証し得ないものがあるでしょうに…。日本の神話だけを尊重しない~日本人として悲しいことだと思います。
建国記念日の否定は天皇制の否定に繋がるのでしょうか?
それによって苦しんでいる信者がいることを、キリスト諸教会は考えるべきです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1481116354
イデオロギーは一つじゃない。「赦し」を唱えるのであれば、偏った声明を出してはいけないと強く思います。
(続く)