ちょっとメモ的な感じで。
思ってること。
これ読んでくれる方がいたら、読んで何を感じたか聞いてみたい
最近また、思うことがあって、
これについてはもう随分昔から事あるごとに、疑問として出てきて自問自答したり
調べまくることなのだけれども
自分の今世での人間としての「命」はあとどれくらいあるのだろうか?
最後の晩餐は?とか、命が終わるまでにこれだけはやっておきたいことは?
死に場所は?とか
結局答えが見つからずにうやむやになってしまうのだけれど。
何故自分が生かされているのか?(まぁ死んでるようなものだとも言えるが)
地球という知的生命体のいる惑星で、多くの種族がいる中でアジア系の日本という国で
割と平和?な?場所で男性として形作られた人間として存在しているからこそ、疑問というものも出てくるし、それについて考えたりできるのだが。
仮に桜という花であったなら、多分そんな疑問さえ生まれることもなく
ただその瞬間瞬間を精一杯、人間によく見られようとか好かれようとか考えることもなく
桜一本一本の個性がと主張することもなくありのままそこに存在していて、
まぁあくまで人間視点なのだけれど。
自分が男という性別であることにどこか受け入れたくない感がある。
性転換したいとかそういうんではないんだけれど、
女という性別への憧れと恐怖もあって
男に生まれてきて良かったぁと思えるとしたら、それはどんな時なんだろうか?
自分を知るために
いろんな手法の現しを試したりしてきたけれど
自分がわからない
前世はこんなんでした。って言われるものによると
日本で平安時代はそこそこ名のある武士でしたとか
日本で戦国時代は刀鍛冶をしていたとか
スペインでダンサーをしていて異性が周りにいない時はない、名の知れた人とか
中世のヨーロッパで名家に生まれたお嬢様で、とても優雅で気品に溢れていましたが
若くして亡くなった人とか
では現代社会ではどうだろうか
祖父が亡くなった時 自分はまだ1歳だったけど、その時の感覚がまだあって
保育園にはいった頃からすでに、周りからは拒絶されまくってる感があって
ブロックと積み木で一人遊んでいる自分と滑り台の降り口に前日に降った雨が溜まった
水たまりに顔を押し付けられて水を飲まされたり蟻を口に入れられた強烈な記憶と
同じ遺伝子が入っていながらも全く別物として、親からも変な扱いをされた感覚と
小学1年生から中学3年生までの9年間の暴力と拒絶と孤独の様々な記憶に縛られてる感と
中学の卒業式に感じた通りの状態が社会にでて今まさにあったり
そして今、職も身近なパートナーも無く
何か別物の出来損ないとされている感が常につきまとって
ネバネバがいっぱいくっつけられて。
完全でなければならない
人を喜ばせなければならない
社会に貢献しなければならない
早くやらなければならない
ぐっちゃぐっちゃで。絡まって絡まって。
様々な人たちと繋がっていたいのに、拒絶・・・興味ももたれない
生きているようで死んでいる
男とはこうあるべき
大人とはこうあるべき
そこに、あてはまらない
そもそも、
男とか女か
大人か子供か
日本人かアメリカ人か
仏教かキリスト教か
参加者か運営者か
人か花か
区別がつけられない
厳密に、ココと、ここが、見るからに違うじゃない! と
言われてしまうことは分かるのだけれど
わからない。
箪笥があっても、引き出しが無い
拒絶から始まる会話じゃなくて、受容から生まれる会話がしたい
最近、何人か会話のできる。
そんな友人ができたけれど
物理的に距離があったり、
距離なんてこの時代、ネットとか電話とか手段はあるんだろうけど
いなくなってしまうんじゃないか。
拒絶されてしまうんじゃないかというものすごい恐怖感があって。
その繋がりは、
依存する。とかそんなんじゃなくって
1分1秒でもいいから
同じ空間にいるだけでもいいから
繋がっていたい。
会話がしたい(思いを言葉にするのが苦手だけれど)
共有したい。
唯一の表現ツールで生まれたそれを見て欲しい。
僕はココにいるよって、知って欲しい
自分がなんなのか、解りたい。
引き出しが欲しい
ただこの世界で、すこしでいいから、
自分らしく、自分の在りたいように
安らかで楽しく
ゆったりと
思ってること。
これ読んでくれる方がいたら、読んで何を感じたか聞いてみたい
最近また、思うことがあって、
これについてはもう随分昔から事あるごとに、疑問として出てきて自問自答したり
調べまくることなのだけれども
自分の今世での人間としての「命」はあとどれくらいあるのだろうか?
最後の晩餐は?とか、命が終わるまでにこれだけはやっておきたいことは?
死に場所は?とか
結局答えが見つからずにうやむやになってしまうのだけれど。
何故自分が生かされているのか?(まぁ死んでるようなものだとも言えるが)
地球という知的生命体のいる惑星で、多くの種族がいる中でアジア系の日本という国で
割と平和?な?場所で男性として形作られた人間として存在しているからこそ、疑問というものも出てくるし、それについて考えたりできるのだが。
仮に桜という花であったなら、多分そんな疑問さえ生まれることもなく
ただその瞬間瞬間を精一杯、人間によく見られようとか好かれようとか考えることもなく
桜一本一本の個性がと主張することもなくありのままそこに存在していて、
まぁあくまで人間視点なのだけれど。
自分が男という性別であることにどこか受け入れたくない感がある。
性転換したいとかそういうんではないんだけれど、
女という性別への憧れと恐怖もあって
男に生まれてきて良かったぁと思えるとしたら、それはどんな時なんだろうか?
自分を知るために
いろんな手法の現しを試したりしてきたけれど
自分がわからない
前世はこんなんでした。って言われるものによると
日本で平安時代はそこそこ名のある武士でしたとか
日本で戦国時代は刀鍛冶をしていたとか
スペインでダンサーをしていて異性が周りにいない時はない、名の知れた人とか
中世のヨーロッパで名家に生まれたお嬢様で、とても優雅で気品に溢れていましたが
若くして亡くなった人とか
では現代社会ではどうだろうか
祖父が亡くなった時 自分はまだ1歳だったけど、その時の感覚がまだあって
保育園にはいった頃からすでに、周りからは拒絶されまくってる感があって
ブロックと積み木で一人遊んでいる自分と滑り台の降り口に前日に降った雨が溜まった
水たまりに顔を押し付けられて水を飲まされたり蟻を口に入れられた強烈な記憶と
同じ遺伝子が入っていながらも全く別物として、親からも変な扱いをされた感覚と
小学1年生から中学3年生までの9年間の暴力と拒絶と孤独の様々な記憶に縛られてる感と
中学の卒業式に感じた通りの状態が社会にでて今まさにあったり
そして今、職も身近なパートナーも無く
何か別物の出来損ないとされている感が常につきまとって
ネバネバがいっぱいくっつけられて。
完全でなければならない
人を喜ばせなければならない
社会に貢献しなければならない
早くやらなければならない
ぐっちゃぐっちゃで。絡まって絡まって。
様々な人たちと繋がっていたいのに、拒絶・・・興味ももたれない
生きているようで死んでいる
男とはこうあるべき
大人とはこうあるべき
そこに、あてはまらない
そもそも、
男とか女か
大人か子供か
日本人かアメリカ人か
仏教かキリスト教か
参加者か運営者か
人か花か
区別がつけられない
厳密に、ココと、ここが、見るからに違うじゃない! と
言われてしまうことは分かるのだけれど
わからない。
箪笥があっても、引き出しが無い
拒絶から始まる会話じゃなくて、受容から生まれる会話がしたい
最近、何人か会話のできる。
そんな友人ができたけれど
物理的に距離があったり、
距離なんてこの時代、ネットとか電話とか手段はあるんだろうけど
いなくなってしまうんじゃないか。
拒絶されてしまうんじゃないかというものすごい恐怖感があって。
その繋がりは、
依存する。とかそんなんじゃなくって
1分1秒でもいいから
同じ空間にいるだけでもいいから
繋がっていたい。
会話がしたい(思いを言葉にするのが苦手だけれど)
共有したい。
唯一の表現ツールで生まれたそれを見て欲しい。
僕はココにいるよって、知って欲しい
自分がなんなのか、解りたい。
引き出しが欲しい
ただこの世界で、すこしでいいから、
自分らしく、自分の在りたいように
安らかで楽しく
ゆったりと