さらば岐阜!るろうに新たな地へ | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

別れの季節ですね。

1コ前の記事もお別れの記事を書きましたが、今回もお別れの記事です。今度は私自身の。

 

岐阜を去ることになりました。

 

意味深な言い方ですが、全くもって大した理由はないです(笑) ただの転勤ですよ。

 

岐阜自体に思うところはありませんが、永遠に岐阜を出られないような気がしていました。この仕事を辞めない限り。

転勤を前提としたお仕事ではあるけれど、あまりにそっけない辞令に気が抜けてしまったのでした。

それくらい、この3年間は私にとって長く、スムーズでないものでした。

 

1年耐えれば仕事らしい仕事ができる、もう1年耐えればできるかもしれない、更にもう1年・・・・・・

岐阜にいる間はもう無理かもしれない。岐阜にいる間はもうできない。その確信を抱いた中で、加えて更にもう1年と言われたら、耐えられるだろうか・・・・・・

そのような中で転勤と言われ、終わりが遂に見えた、初任地を耐えぬいたのだと自分自身を誇った一方で、はてさて私は岐阜まで何をしに来たのだろうと、もっと地域の人と関わる業務をしたかったのに、母親のヒステリーに終始付き合わされたような職場環境だったなとか、ミスする前からいわゆる日勤教育と同じような指導法だなとか、常に身内との戦いだったように思います。心残りをいうならば、“岐阜”の人と関係を深められなかったこと、岐阜に自身の存在意義を見出せなかったことですね。

あと、怨み言になりますが、日本においては当然のことかもしれないけれども、このことを誰も責任を取ってくれないことかな。ヒステリーやこだわりに付き合っている間に、初任者だからこそできる経験をこの岐阜でできたかもしれないのに、応用できる経験を一つもできないまま次の地では全く役立たない事柄ばかりを抱えて一からまたひとりでやるのかと思うと、現場と人事は本当に情報共有をしていないのだろうなと。自分たちが私にくだした評価も忘れてしまったの?と。

それとも、環境さえ変えれば私もいっぱしに仕事をできると見込んでいるの?と。解放感が清々しい一方で疑心暗鬼にもなってゆく。途中から、機能不全家族の中で成長する子どもの疑似体験をしているような心持ちでした。

 

次の職場はのびのびとできるとても良いところと聞いています。あんまり信じられてはいないけれど、そこで働く後輩の同期の書いたものを拝見するとなるほど確かにそうかもという感じがします(笑) 「綺麗事を言う人なので、あまりにのたまうようであれば締め上げてください」と言われましたが、言われずとも冷たい対応をしてしまいそうです(笑) 人間、結局は自分が受けたようにしか他人に接せませんが、それではまたぎすぎすした人たちを自ら呼び込むことになるので勘弁したいですね。お綺麗なままで生きるのが私の夢です(笑)

 

さて、次の場所ですが、私の岐阜ライフを狂わせた(笑)恩師がしきりと「日本海側!?石川!?富山??」という連絡をくだすって、私もこれまでの前任者が軒並み北陸・東北・北海道経験者なのでそちらに行くのかと思っておりましたが、

 

 

静 岡 県

 

 

太平洋側でした。

 

 

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信長から家康へ。戦国ラインまっしぐら。

 

微妙に東に寄ったけど、全然東海です。東海は離れると思ったんだけどなあ。

 

静岡も岐阜同様、縁もゆかりもない土地です。転勤というと結構大げさな響きがするので、尋ねられて「静岡・・・」と答えると「近っ!」と逆に驚かれます(笑)

東海は私を離さなかったのだ・・・

 

 

と、いうわけで、来月から静岡県民になります!なんだかんだあるだろうけど次こそは地域の人と仲良くしたいな!静岡県の皆さん!僕と握手!