10年ぶりに・・・ | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

ブラジルに行ってまいりました。ちょっ、冗談じゃないから回れ右しないで!!(爆)

 

幕末×熊本の偉人第3弾の佐幕派久兵衛も発動していないし、「創作幕末から完全に遠のいてしまったんじゃないの?」とそろそろ言われてしまいそうですが、今年はどちらかというと第4弾の小楠ちゃん寄りの関わりが多く、むしろ特定の人物・小楠チルドレンである上塚周平イヤーであるといっても過言ではありませんでした。

 

表題とこれまでちらちら仄めかしていた通り、私は10年前にブラジルへ渡り、日系ブラジル人のかたがたとお話ししたことがあります。

―――10年前はスマホは殆ど普及しておらず、滞在中はガラケーを常にOFFにしており連絡も情報の取得手段もありませんでした。おまけに、当時は精神的に世界を斜めから見るようなねじけ具合があり、写真も滅多に撮らなかったような記憶があります(カメラをやたら出していると狙われるという警告を受けたからな気もします)。帰国してから一応記録はしたためていたようですが、読み返してみると「意識の脇の脇へと追いやっておきたい」との一文があり、相当きつかった旅でもあったのだなと感じます。実際、意識の隅へ隅へと追いやっていたようで、今回もう一度同じ場所を訪れたことで思い出せたこともありました。

―――また、がむしゃらに前だけを見ていた10年前とは見えるものも感じるものも変わっていて、10年前には気づかなかった、また知らされなかった事情も汲めるようになっていました。お酒が飲める年齢になったという意味だけでなく私も大人になったのかな、と感じます。

 

今回こそは大切な思い出として扱いたいのと、日本の裏側で立派に生きている同胞たちのことを皆さんにもっと知ってもらいたいため、記事にします。   やあ兄弟!新天地で謳おう!

 

 

今回の旅の移動経路はこちら。

 

サンパウロ州の中の

 

サンパウロ - オザスコ - ボツカツ - バウル - リンス - プロミッソン

 

 

私が訪れたのは、サンパウロ市リベルダーデ(東洋人街)、リンス市(上塚第二植民地)、プロミッソン市(上塚第一植民地)です。

 

 

本記事ではリベルダーデをご紹介。

 

 

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この赤い鳥居がトレードマークの街がリベルダーデです。現在は中国系や韓国系のホテルやレストランが多く参入しており(10年前に訪れた時から既にではありますが)、“東洋人街”としての認識が高まっていますが、元々は第一次世界大戦頃、移民してきた日本人が奴隷の処刑場だったこの地に住み着いたのが始まりで、世界でも最大規模の“日本人街”であるそう。歴史的な流れとしては、ブラジルの奴隷制が廃止されたことにより日本のブラジル移民の歴史はスタートしているので、奴隷のいた跡地に日本移民の一部がそのまま住んだということになりますね。彼らが住んでいた頃はまだ奴隷墓地が生々しくあったようで、自らの置かれた状況から自身の行く末を想像させられたかもしれません。

「リベルダーデ」は日本語訳すると「自由を」という意味になります。

 

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奴隷制の名残がある通称「首吊り教会」。ポルトガルから独立する前のブラジルで、給料の賃上げとブラジル人とポルトガル人の平等を訴えた勇気ある兵士のため建てられた教会。その兵士はこの「首吊り教会」の建つ場所で絞首刑に処せられた。中には「苦悶のチャペル」と呼ばれる礼拝堂がある。

 

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リベルダーデには複数の橋が架けられており、「大阪橋」「三重橋」など日本の県名がつけられています。こちらは大阪橋。

手前にある提灯のような街灯は「スズラン灯」という名前のようです。

 

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橋から眺めた朝9時半頃のサンパウロの道路。何故道路をこのように見下ろせるかというと、サンパウロは長崎並みにアップダウンの激しい土地であり、リベルダーデは丘の上にあるから。

サンパウロは大都会だからか、かなり渋滞します!

 

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歩行者用信号機は鳥居のマークです!誰も信号守らないけどね!(爆)

 

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とにかく外壁の絵画が多いサンパウロ(違法な落書き含めて)ですが、リベルダーデではこういった日本を強調した壁画が非常に多いです。この街全体が日本を誇りにしているのが見てわかります。

現地で迎えてくれた日系ブラジル人のかたが言っていたのですが、「落書きは、乗り物に乗った暴走族が描く(走りながらは描かない・・・)」のだそうですw (たどたどしい日本語がかわいいw しかし、彼らは生まれながらにポルトガル語とのバイリンガルで、ブラジルは英語を理解できるのはほんの一握りの人間に限られるので通訳非常に助かりました。数字のone, two, threeさえ通じない状況がありました)

 

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広場とその周辺。広場は、2018年7月22日に皇族の眞子さまがブラジル移民110周年の機会に来伯したことを記念して、「リベルダーデ・日本広場」に改名されました(これまでは「リベルダーデ広場」)。

ここは毎朝6時頃にラジオ体操があっているらしく、その時間帯に行くと日系人率が急上昇らしいです(笑)

 

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お店はたくさんありますが日曜日は基本どこも休み。その代わり、日曜日は広場に屋台がずらりと並び、食べ歩きが気軽にできる「東洋市」が開かれています。ここでは今川焼や焼きそばなどの日本の軽食が堪能できるそう。

日本食のお店はたくさんありますが、中には「昔の日本人が懐かしさで作ったであろう味」「現地のブラジル人(や中国人や韓国人)が日本食ってこんなもんだろと想像して作ったであろう味」が混在しているようです(笑)

 

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ブラジル版カラオケ。日本のカラオケが20年前に輸入されて独自の進化を遂げました。さすが開放的なブラジル、大半の日本国民にとっては公開処刑なオン・ステージ設定!!(周りでリズムに乗ってる人全員知り合いじゃない!)

 

カラオケだけでなく、合気道教室に日本庭園、ニッケイ新聞(not日経。在伯する日本人および日系人のための新聞であり、日本のニュースを日本語で読める)の本社もありました。更に。

 

日本でも、地方から上京してくると大学などで都道府県人会の名を聞くのではないかと思いますが、ブラジルにも日本の都道府県人会が存在し、私が今回確認できたのは熊本・福岡・佐賀・宮崎・鹿児島・愛媛の県人会でした。中でも熊本・福岡の県人会が規模が大きく、活動が盛んとのこと。リベルダーデに根を下ろし、日本人街の基礎を築いたのは両県の出身者だったこともわかっているそうです。現地の日系ブラジル人のかたの方がよほど勉強と冷静な分析をしてらして、「熊本と福岡は明治維新の時に大した功績を残せず、新政府に嫌われるところも持っていた。だから、居心地の悪い所から新たな居場所、新天地を海外に求めたところがあるのだろう」とおっしゃっていました。

 

同じかたがおっしゃっていたことで印象に残っているのが「少なくともブラジルの日系人は日本にずっと、今も片想い。僕たちは、いつだって祖国日本のことを考えている。でもきっと、祖国はかつて自分の国にも移民政策があって国民が海を渡ったことも忘れてしまっているんじゃないかな。あの頃の日本人の子孫たちも、移民の歴史を知らないでしょう。遠いけれど、地球の反対側に親戚がいると思って、気軽にブラジルに来て欲しいと僕たちは常に思っている」という言葉。

 

 

その言葉を更に掘り下げた記事を、この後の記事で掲載するつもりでいます。