ご無沙汰しております。
「1月(“い”ちがつ)は“往(い)”く、2月(“に”がつ)は“逃”げる、3月(“さ”んがつ)は“去”る」とよく言いますが、2026年もそのような感じで4分の1が過ぎていきましたね。
ここ最近の浮上がなかったのは、2026年3月28日の一区切りに向けて、アダルト・チャイルドワークやシャドウワーク・ジャーナルなど、書き込み式の過去清算ワークに力を入れていたからです。
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アダルト・チャイルドワークをやってみての感想記事。現在は第Ⅲ部の「新しい自分に出会う」に取り組み中でして、近々修了したところで記事にする予定です。
さて、3月ということで、「別れの季節」。
わたくしDEUKUもこのたび宮城を去ることになりました。
宮城には3年いたことになりますかね。
宮城のいろんなところを堪能できたとは正直言いがたいですが、
いわゆる「ミッドライフ・クライシス」というものを迎えて、
自分はいったい何をどうしたくて今の人生の歩み方をしているのか、
いったい何と戦って生きているのか、
自分は何を大切にして生きていきたいのか、
今後の人生でわたしが引き受けるべき役割は何なのか、
そしてその役割を果たすほどの能力がわたしにはあるのか
深く考える期間になりました。
現在は自分の中で大体の答えを出すことができ、
このまま今の仕事で頑張っていこうかなと思っています。
わたしの人生のテーマかはわかりませんが、
“心理的に安全な環境”に身を置くことは少なく、
むしろ、わたし自身がその環境を「つくる」「ととのえる」側になるのだろうなと感じるようになってきました。
それは、“職場の中で育て直された”という静岡での経験もありますし、
宮城では立場的に信頼が揺らぎやすい関係性の中で心理的な安全を提供する側として奔走してきたのもある。
また、わたし自身も今年度に入り、新人時代のトラウマ上司が異動してきて同じ職場で働くことになった当初はもう全てが否定されているような心境でしたが、この1年で徐々に慣らしていき、ようやく一対一でも余計な受け取り方をしないで落ち着いて会話ができるようになりました。
先日、評価面談がありました。
新人時代の評価は「何もできない人」だったので、恐らくそれが相当未練だったのでしょう、ずっと記憶にこびりついていたのですが、
「うまくいったり、いかなかったり、功罪いろいろあれど
挑戦したから出てきた結果だね。
結果に繋がらなくても見えてきたものがあって
収穫にはなったし学べたものも多くあったね。
その前向きな取り組みは継続しつつ、
飲まれないように
あとは自分で抱え込みすぎずやっていきましょう」
・・・・・・評価が上書きされたな、と感じたと同時に、未練も消えてゆく感覚がありました。
これで、前だけを向いて歩いていける。
一緒の空間で働く、とわかったときには死ぬほど嫌だったけど、
今このときになると、後ろを気にせず走れるようになるために
必要な工程だったのかな、と思います。
次の転勤先は宮崎県。
そちらではかつてともに岐阜の戦場で支え合った後輩が既に働いており、その点でもまた原点に還ってきたな、と感じます。
上司については、見送る側だったのが見送られる側へ、
後輩については、迎える側だったのが迎えられる側へ、
という逆転現象になりましたけどね。
あと、なんだかんだで15年ぶりの九州戻りです。
そして、次の職場からのオーダーは「風通しの悪い状態が長年続き、内部崩壊を起こしているのと、実績も全国最下位だ。新任の中間管理職をサポートしつつ、二人三脚、いや、後輩さんも入れて三人四脚で、職場の立て直しを図ってほしい」。
・・・・・・まだ底があったりするんです?
本社はどういった意図で社員の配属先を決めているんです??
わたしをそういう職場に送り込むということは、わたしにそういった側面での適性を見出していると考えてよいのかな???(爆)
入職時から仲良くしている同期も、何らかの含みが感じられる異動になるらしい。
いやまぁ、何の考えもなくくじ引きで配属が決まりましたでは困りますけど!
人生経験と職務経験がオーバーラップする部分が多くなってきましたが、「仕事=人生」になりすぎないよう、距離感は維持しながら
南国ライフ
を楽しみたいと思います。
引継ぎを受けるために宮崎へ。飛行機は、宮崎県に本社を置くソラシドエア!機体はポケモンのナッシーでした![]()
ラプラスの県からナッシーの県へ![]()
宮城はまだ雪がちらつくのに対し、宮崎は20℃超えの暖かさ。総移動距離は約1500kmです![]()
でうくでございます










