更新が遅れてしまいました。すみません(・_・;

 

二回目の治療を終えて退院した翌日から、どういうわけか、

首と肩の痛みが起こり、座っているのもままならない状況に陥ってしまいました。

 

今は改善されています(^ ^)

 

現在、3回目の入院治療中です。

 

そして入院生活を送ったことがある方なら同じような経験を

しておられる方は少なくないのではないでしょうか…

 

同室に、昼夜を問わず叫んだり大声で独り言を語り続けるおばあちゃんがいて、

さらに、それに共鳴する認知症のおばあちゃんもいたりして、

不眠状態に陥り集中力を喪失していました(^_^;)

 

その後、看護師さんのご親切により、おばあちゃん達二人とも、

ナースステーション近くの部屋に移動されました。

その部屋は今、カオス状態だそうです(・・;)

 

 

そのようなわけで遅れてしまいましたが、

前回の日記の続きをお届けしたいと思います。

 

 (注:これは、エホバの証人の一人による闘病日記です。

   ですから、内容がちょっと特殊です(・_・;))

 

 

 

 

▪️悪性リンパ腫であることがほぼ間違いないと判明した後のこと

 

 

検査の結果、悪性リンパ腫にほぼ間違いないことや、治療を急ぐ必要がある

状況であることが判明しましたが、絶対無輸血医療を受け入れない方針の

日赤で治療を受けることはできません。

 

それは予測出来る事態だったので、検査の翌日に、HLC(医療機関連絡委員会)

の兄弟たちが急遽、zoomで会合を開いてくださいました。

 

必要な治療を出来るだけ早く受けられるように手配するためです。

 

会合には、HLCの兄弟2名、当人と家族、会衆の長老2名が同席しました。

 

 

 

▪️その時点でブログ管理人の頭の中にあったこと

 

その時点で、私の頭の中にあったことと言えば…。

 

前回の記事で触れましたように、絶対無輸血治療を引き受けてくださる

病院は多くはないとはいえ、

(注: ただし、輸血の必要が生じない治療の場合は問題ありません。)

 

手術の際に治療を引き受けてくださる外科医や麻酔科医も

増えつつあると認識していたため、

その会合で、HLCの兄弟たちから、治療を引き受けてくださる病院を

紹介していただけるものと思っていました。

 

そのように、甘く考えていたのです。

 

私の身近な仲間達も、骨折から癌摘出手術まで、様々な手術を

無輸血で受けることが出来ていたからです。


ところが、いざ、HLCの兄弟達からの説明を聞いてみると、

じつは、「血液内科だけは事情が異なる」…というのです。

 

      「え?」

 

 

▪️現実は思っていたほど甘くなかった

 

血液内科では輸血を前提とした治療が基本になっているため、

エホバの証人を受け入れてくださる病院が非常に少ないとのこと。

 

悪性リンパ腫の場合、血液の癌であることから手術で切除することが

できないため、抗がん剤や放射線治療などの化学療法だけになります。

 

ご存知のように、抗がん剤は有害でもあり、

正常な細胞にもダメージを与えます。

 

そのため、抗がん剤の副反応として白血球や赤血球、血小板などの

重要な血液成分の数値が極端に下がることになります。

 

数値がどれほど下がるかの程度には個人差があり、

最悪の場合には輸血をしなければならないと医師は考えることになります。

 

言い換えれば、「輸血」という最後の砦(処置方法)があるので、

医師は思い切った治療ができるのだそうです。

 

その処置が出来ないとなると、医師は思い切った治療ができなくなる

だけでなく、医師側の感覚からすると、

容易に起こり得る深刻な事態に対する備えがないことになってしまうため、

 

医師としては患者の生命を守りたいが故に、

絶対無輸血の要求には応じられない、ということになるのだそうです。

 

(え?そうなの!?と、ビックリ!)

 

後になってから調べて分かったことですが、確かに、「血液内科」は、

病院によっては「輸血科」と呼ばれているほど、

輸血することが当たり前の分野の診療科だったのです。

 

 

▪️「血液内科」は別名「輸血科」と呼ばれている

  その一例

 

東京都立大塚病  輸血科(血液内科)

 

 

 

豊島病院  輸血科

診療の内容は血液内科と同じ

 

 

 

多摩総合医療センター

「当院の輸血科(血液内科)では…、」と説明されている。

 

 

高知医療センター  血液内科・輸血科

 

 

 

 

というわけで、勝手に抱いていた甘い考えは一気に崩れ去り、

想定していなかった説明を受けて、家族や長老達が同席してたその場に、

何とも言えない緊張が走り、絶句して皆が無口になっていました。

 

(注: 誤解しないでいただきたい点として、エホバ神もエホバの証人も、

一般の方が輸血治療を受けることを問題にしていません。

どの治療を受けるかは個人的に決定することです。

輸血拒否には聖書的に重要な理由があり、正確な知識を得て

エホバの証人になった人に要求されていることだからです。)

 

 

静まり帰ったところに、HLCの兄弟が、三つの病院と医師の名前が

記されたリストを提示してくださいました。

 

かつて、JWの治療を受け入れてくださったことがある病院と

医師の名前が記されたリストでした。

 

兄弟はこう説明を加えました。

 

「しかし、過去に治療を受け入れてくださったことがあるからといって、

 今回も受け入れてくださるとは限りません。」

 

また、こうもおっしゃいました。

 

「HLCが間に入って交渉できたらいいのですが、

 もし実際にそうしようとするなら、

 断られてしまう可能性が高いと思われます。(壁が厚いという意味で。)

 

 むしろ、患者が医師と直に面談した方が可能性が出てくると考えられます。

 

 リストに挙げた三つの病院は、出来るだけ、姉妹の住まいから

 近い病院を選びました。

 もし、この三つの病院がどれも治療を受け入れなかった場合には、

 次のリストを紹介しますが、段々遠方になって行きます。」

 

 

緊迫した説明を終えてから、HLCの兄弟たちは、それ以外の情報や

注意点も丁寧に説明してくださり、

最後にエホバに熱烈な祈りを捧げ、励ましてくださいました。

 

 

▪️家族と話し合う

 

会合が終わった後、気を取り直して、家族で話し合いました。

 

娘と娘の夫、息子とその妻はJWで、「全面的にサポートする!」

と言ってくれて、以後ずっと、その言葉通りに行動してくれています。

 

中でも、私にとって最も頼もしい助け手になってくれたのは、

この時たまたま近くに住んでいた娘でした。

 

進行性の癌だと聞いて、驚いたとは言え、彼女は動揺せず、

悲観的になることもありませんでした。

 

時間を無駄にすることなく、すぐにやるべきことを整理し、組織して、

率先して取り組んでくれました。

 

 

今になって振り返ると、娘も私も、このような局面に対して、

決して無防備ではなかったと言えます。

 

何故なら、JWが提供する定期的な出版物には、ライフストーリーが

掲載されていて、迫害、戦争、政情不安、災害、失業、家族との死別、

深刻な病気などの様々な大きな試練を乗り越えてきた仲間の経験が

特集されています。

 

心を揺さぶるライフストーリーを毎号読んできたので、

自分が癌だと分かった時にも、驚きはしたものの、私と娘にとって、

「起こり得る事態が来た」という感覚がありました。

 

大きな試練に直面してきた仲間たちが、悩み苦しみながらも

山のような問題を乗り越えてきたその情報を知っていたことが、

いざ、自分に降りかかった時に、不安に押しつぶされることなく

勇気を奮い起こすための助けになっていたと思います。

 

数あるお気に入りの記事の中で、私の一押しのライフストーリーは、

ジェイソン・スチュアート兄弟の経験です。

 

 

▪️もし、自分だったらどうする?と真剣に考えておくなら

 いざという時にきっと役に立つと思います

 

スチュアート兄弟の生き方、考え方から多くのことが学べるだけでなく、

勇気が湧いてくるライフストーリーです。

 

是非、参考になさってみてください!

 

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「信仰に支えられて生きる ― 筋萎縮性側索硬化症と共に」
    ジェイソン・スチュアートの語った経験


▪️記事の冒頭より

「申し上げにくいのですが、スチュアートさん。病名は筋萎縮性側索硬化症、

 つまりALSです」。それから医師は、この病気の予後は不良だと言いました。

 まもなく動くことも話すこともできなくなり、やがて死に至るというのです。

「あとどれくらい生きられるんですか」と尋ねたところ、

「3年から5年だと思います」と言われました。わたしはまだ二十歳でした。

 その知らせは悲しいものでしたが、自分は多くの点で祝福されていると

 強く感じました。その点についてご説明したいと思います。

 

     ━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

 

 

 

スチュアート兄弟の経験を何度も読み、心打たれ、

もし、自分が同じような状況に置かれたらどうする?と考えました。

兄弟と同じ見方ができるだろうかと…。

 

そうしていたおかげで、いざ自分に試練が降りかかった時に、

無防備ではなく、対処できるように助けられたと思います。

 

 

    ━─━─━─━─━─━─━─━─━─

 

 

▪️人が、祈りたい気持ちになる時…

 

 

自分や愛する家族が死に至るかもしれない状況に直面した時、

 

(人はどうすると思われますか?)

 

きっと、誰もが祈りたい気持ちになるのではないでしょうか。

 

もし夢なら、この悪い夢から覚めますように…

現実なら、神様、どうか助けてください…と、祈るのではないでしょうか。

 

 

こんな時…、

 

▪️どの神様に向かって、どんなふうに祈る?

 

 

ブログ管理人は、以前は、「信仰がない仏教」の典型的日本人感覚だったので、

お祭り気分の初詣や観光のお寺巡りで手を合わせて祈ることがありました。

 

一般的日本人が手を合わせて祈ることと言えば…。

 

家族が平和で健康でありますように…

受験や就職で合格しますように…

恋愛が実りますように、結婚できますように…

商売繁盛しますように…宝くじが当たりますように…

サッカーや野球の試合で、自分のチームが勝ちますように…

 

という感じではないでしょうか。

 

どの願いも、その人にとっては大切なことです。

 

大抵の人と同様に、私も、祈る時には自分の心の願い(欲求、渇望)が

叶うように祈ってきたものでした。

 

でも、「それって、何かがおかしい」と、

本当は、心の何処かで気づいていたと思います。

 

 

何故なら、受験や就職に合格しますようにと皆が祈っても、

合格しない人は必ずいるし、

恋愛が実らないとか結婚できないことはザラにあるし、

宝くじなんてまず当たらないし、商売が上手くいくとは限りません。

 

祈っていても自分や家族に災いが起きることはあるし、

試合は、双方が勝利を祈っていても、どちらかが負けます。

 

何かが間違っているって、本当は気づいていたと思います。

 

 

 

▪️祈りを聞いてくださる神様に祈る

 

もし、聖書の知識を持っていなかった以前の自分だったら、

 

「神様、どうか、リストの一件目の病院で治療を受け入れてもらえますように

助けてください。お願いします!」と祈っていたはずでした。

 

もちろん、そのような願いを持つのは人として当然のことであって

間違いではないので、神様は理解してくださいます。

 

でも、神様がどんな方で、私たちに何を求めておられるのか、

本当のことを知るようになった今の私(おそらく大抵のエホバの証人)は、

そのようには祈りません。

 

ここで、全てを説明することはできませんが、

 

その理由の一つとして、

例えば、聖書は、人間と神様の知恵や能力を比較して、

このように描写している言葉があります。

 

 

聖書のヤコブ14章14節

「皆さん(=人間)は、自分の命が明日どうなるかも知りません。

 皆さんは少しの間だけ現れて消える霧だからです。」

 

 

この言葉の通り、私たちは、自分の命が明日どうなるかも分からない存在

でしかないというのは、事実ではないでしょうか。

 

明日どころか、1時間後に交通事故や通り魔に遭遇するかもしれず、

心臓発作を起こして命を落とすかもしれません。

 

それに対して、全知全能の神様は、全てをご存知であり

掌握出来ないことは何一つありません。

 

たとえば、コロナ禍にあって、私たち人間は、

この立体迷路の中で出口を見出せずに、

同じところをさまよう迷い子のようだと思われませんか?

 

 

       

 

政治家や知識人達が色々な考え(情報)を発信しますが、

首尾良く出口に導く情報を提供できる人が一人でもいる?

 

全ての人にとって最善の方法を教えることができる人が一人でもいますか?

 

でも、天から見ておられる神様は、この立体迷路の中から、

全員を出口に導くことが出来るのではないでしょうか。

 

 

大渋滞にはまって、抜け出す術を見出せなくなることはよくあることです。

 

       

 

でも、天からご覧になっておられる神様は、

どうすればこの状況から脱出できるか、或いは、こうなる前に、

最善の方法を教えることが出来るはずだと思いませんか?

 

 

ですから、エホバの証人は、先のことが全く見えない自分(人間)の考えではなく、

全てをご存知のエホバ神からの教えや導き(情報)に信頼を置きます。

 

 

ということから、もし私が、自分の心の願いに執着して、

「最初に罹った病院で治療を受けられるようにしてください!」

と祈るとしたら、

 

どうすれば最善の結果が得られるのかを、

自分で決めてしまっていることになってしまいます。

 

神様の導きを少しも信じていないことになります。

 

「あなたの導きや考えより、とにかく私の願い通りにして!」

と要求していることになります。

 

人のこんな勝手な願いを叶えることが、神様の義務だと思いますか?

 

もし、本当の神様が居るとしたら、神様は、

こんな勝手な願いを叶えてあげることが、本当の意味でその人のためになる

なんて思うでしょうか。

 

ですから、エホバの証人は、聖書を学んで得た知識に基づいて、

最高度に信頼できる全能の神エホバの導きを全面的に求めます。

 

聖書に書かれたエホバ神の知恵と能力と物事の運び方を

全く信頼しているからです。

 

聖書のペテロ第二2章9節に、こう書かれてあります。


ですからエホバは,神への専心を示す人々を

どのように試練から救い出すかを知っています。」

 

 

エホバ神こそが、何が最善かをご存知です。

ただ、いつ、どんな方法で私たちを試練から救い出すのか、

私たちには分かりません。

 

それで、私たちは、エホバが良しとする時に、良しとする方法で

助けてくださるように祈ります。

 

そのため、私たちは、エホバの助けを待たなければなりません。

 

でも、待つ価値があることを知っています。

 

エホバこそが、最善の方法をご存知で、私たちを助けることが

お出来になる方だということを、聖書の記録が示していて、

しかも、世界中の多くの仲間達が実際に何度も経験してきたことだからです。

 

エホバ神は、全ての人の心の中の祈りを聞くことができる唯一の神であり、

心からの信頼に報いてくださる神様なのです。

 

 

 

▪️会合の後で

 

家族と話し合い、エホバに熱烈に助けを求めつつ、

翌朝までに最初に当たってみる病院を決め、朝一番に予約の電話を

入れることにしました。

 

先生と対面できるのは、(またもや、さらに)1週間後のことです。

 

腫瘍の大きさは、1ヶ月前の倍の大きさになっており、

すぐに治療を開始する必要に迫られていることは明らかなので、

正直、心は焦ります。

 

それで、無防備でいると、もし決まらなかった時に、

ガッカリしてダメージを受ることは必至なので、自分の弱さを想定して、

娘と話し合ってこう固く決意することにしました。

 

もし、病院に治療を断られるとしても、一喜一憂しない、と…。

 

もし断られたら、先生に紹介状を書いていただき、

病室から出たらすぐにリストの次の病院を予約することにしよう!と…。

 

 

無輸血医療以外の治療は受けないという決意は揺るぎないので、

エホバ神に信仰を示してその指示に進んで従っている故に、

 

エホバが良しとする時点で決めてくださることは間違いないと

確信していたからです。

 

 

面談の日、

予約時間を2時間以上もオーバーしてようやく先生と対面できました。

 

 

▪️先生との面談で…

 

すでに紹介状の内容を見ていた先生の診察を受けながら、おもむろに、

 

私:「あの〜、私、エホバの証人なんですが…」

 

先生:「知ってますよ。紹介状を見ましたから。」

 

私:「エホバの証人の治療を受け入れない方針の病院が多いのですが…」

 

先生:「私は治療を断ったりしませんよ。

皆さん(輸血を受けないJWを)怖がっちゃうんですよ。」

 

 

(思わず、今の言葉、聞いた?という感じで娘と顔を見合わせた!)

 

 

先生はそうおっしゃった上で、

輸血以外の方法の一つの例を紙に書いて説明してくださったのです。

 

 

 

私:「先生、病気の進行の程度は先生から見て、今どの程度ですか?」

 

癌の進行を表すステージの意味を説明してくださってから、

「他の細かい検査をするまでもなく、ステージは4ですよ。」と

先生から率直に告げられました。

 

そして、

「入院は、そうだな、(カレンダーを見て)〇日から入院できますか?

 期間は1ヶ月ほどの予定と見ていてください。」

 

 「はい!お願いします!」

 

 

 

▪️面談を終えて

 

 

診察を終え病室を出て待合室の椅子に腰掛けたら、ホッ!として、

肩の力がスーッと抜けて、体が一気に軽くなったような気がしました。

 

 

 

 

      「エホバ!ありがとうございます!!!」

 

 

 

    

   つづく