犯行の首謀者が2002年7月21日付けのAlex Farshchian医師による手紙、

実際にはMILKさんからの手紙を愚弄することに、

 

異常に固執しているワケとは、いったい何なのでしょうか。

 

「FALL AGAIN」の歌詞の以下の部分に注目してください。

 

     ━─━─━─━─━─

We fought in a battle, nobody won
 And now we face a mountain to be overcome


僕たち一緒に戦ったよね、でも二人とも勝利していない
そして、今、僕らの目の前には 乗り越えなければならない山がある

    ━─━─━─━─━─

 

歌詞の中の「バトル」とは、特に93年事件以降の戦いを指していて

NAACPアワードのスピーチで語った言葉を思い起こさせています。

 

       

 

 

この数日前の93年12月22日、MJはネヴァーランドから無実を訴える

声明を出し、不当な捜査により全裸写真撮影を強制されたと公表しました。

 

 

会見時の彼の表情から、そうとう追い詰められていたことは明らかでした。

       

 

 

 

ところが、その2週間後の翌年1月5日、突然、

NAACPアワードにプレゼンテーターとして登場したMJ。

 

「裁判で決着をつける」と、宣戦布告のスピーチをしたのです。

 http://mjfcmoonwalk.com/93_03.html

 

 

 

 

 

 

(スピーチの締めくくりの言葉)
『私は無実と推定されるだけでなく、実際に無実です!
私は真実が私の救いになることを知っています。

他の人が周囲にいなかったときに、あなたはそこに居て私を支えてくれました。
私はそのことに感謝します。

私は私の無実を証明するためのこの戦い
( battle)において、

神への信仰によって、そして、この戦いを私一人で戦っているのではない

という私の認識によって強固にされているのです。

(抜粋 終わり)

 

 

2週間ほど前の悲惨な状態から、彼はどうして急に、

こんなにも奮い立ち、確固としていたのでしょうか。

 

裏側では、強力な敵達が和解で決着するよう彼に迫っていたはずです。

 

奮い立ったところで、彼は、自分の力でそのシナリオを変更することは

不可能だと熟知していました。

 

彼は、なぜ....、何を根拠にして、強力な敵達の意向に反抗して、

裁判で無実を証明できると確信するようになったのでしょうか。

 

 

じつは、マスコミに抗議するMILKさんによる署名運動の手紙が、

奇跡的にマイケルに届いてしまったからなのです。

 

MILKさんは、当時、東京で署名運動を開始しており、それを、

マイケルに対して好意的な米国の雑誌社「JET」に随時送り込んでいたのです。

 

その手紙の中には、裁判で有利になる情報(原告側の主張の矛盾点)も

書かれていました。

 

「JET」が、マイケルを励ますと考えて、それを彼に渡したものと推測出来ます。

 

MJが選んだスピーチの最後の言葉はこうでした。

 

私の無実を証明するための戦いにおいて、神への信仰と、この戦いを

私一人で戦っているのではないという認識によって、私は強固にされています。」

 

I have been strengthened in my fight to prove my innocence by my faith

 in God, and by my knowledge that I am not fighting this battle alone

 

MJが、スピーチの最後に語ったフレーズ、

「私一人だけで戦っているのではない」」という言葉の裏付けとなっていたのは、

 

MILKさんが、「JET」社に送り込んでいた署名活動の手紙の中の

キャッチフレーズの一節だったのです。 (「Michae! You are not alone.」)

 

 

MJは、MILKさんに対して、「受け取ったよ!」と合図しているつもりでした。

 

彼個人の力で、事件のシナリオを変更することは不可能だと

彼は重々知っていましたが、

 

MILKさんからの強力な応援メッセージが奇跡的に自分の手元に届いたことにより、

彼は、「エホバ神の後ろ盾がある」と思い込んでしまったと推測出来ます。

 

しかし、この時はまだ、邪悪な者たちを断ち滅ぼすために

エホバが行動を起こすご予定の時ではありませんでした。

 

そのため、宣戦布告のスピーチからわずか20日後の1月26日に、

「和解決着」させられる結果になりました。

 

   

 

 

彼が、自分の力で事件のシナリオを変更することは不可能だったからです。

 

にも拘らず、余りにも大胆不敵な行動を取ったことで、

結果として彼は、和解決着させられただけでなく、

 

厳しい報復攻撃を受ける羽目になってしまいました。

 

 

 

*~*~*~*≪MJが受けることになった厳しい報復攻撃≫*~*~*~*~

 

和解から約一月後の2月22日、

「ジャクソンファミリー・オナーズ(ジャクソン家の名誉)」ショーに出演。

 

表向きの”和解の理由”は、

長い裁判はやりたくない。僕は人生を先に進めたいんだ。」

ということになっていました。

 

表向きは「人生を先に進め」、活動の再開を記念して

ジャクソン一家を称える番組に出演したはずですが.......

 

頬がこけて目がくぼんでしまうほど激ヤセしてしまったMJ。

 

   

 

93年事件の仕掛け人の一人、エリザベス・テーラーが

和解決着を祝福するためにゲスト出演。 

 

参照過去記事:

MJの長く厳しい戦いの幕開けだったジャクソンファミリー・オナーズ」

 

 

MJが、激ヤセしてしまった理由として....、裏側では、

想像も出来ない恐ろしい命令が発せられたと推測することが出来ます。

   

 

「ジャクソン家の名誉」の舞台裏で....、

リサ・マリーとの最初のツーショット写真撮影。

 

     

 

この撮影の3か月後に、強制的「結婚」というシナリオになっていたのです。

 

同じ場所で、この強制奴隷労働を科した両親と記念撮影。

 

     

 

 

MJの「完璧な作り笑顔」は、キャサリンの命令によるものでした。

 

 

94年6月。強制結婚後、最初の「外出撮影」はディズニーランドでした。

 

この時点ではまだ、

演技に対する具体的な指示は与えられていなかったと思われます。

 

 

         

 

指示が与えられていなかったので、棒立ちの演技をする両者。

 

 

 

 

変装5         

 

 

”ただの一度も言葉を交わすことも、目を合わすこともない”新婚夫婦”。

これが”この夫婦の実像”でした。

 

おそらく、個人的には、一度も言葉も交わしたことさえなかったでしょう。

 

売名のために脅迫結婚に乗るような人物と

話すことなどあるわけがありませんから.....。

 

MJは、敵達の命令に服従しなければならない立場に置かれてしまいましたが、

彼は完全に沈黙させられるままになるのではなく、

 

趣向を凝らした自らのパフォーマンスによって、

驚くべき大胆さをもって真実を語ってきたのです。

 

 

 

*~*~*~*≪真実を語るためのMJの数々の試みの一部≫*~*~*~*~*~*

 

◇95年アルバム「HISTORY」のブックレット

 

                     最後のページ

 

 

子ども達による「MJを擁護するアクション(運動)」になぞらえています。

 

真ん中の後ろ向きで寂しげな黒人の少年MJ当人で、

右側のアジア系の女の子は、おそらくMILKさんを表している。

 

後ろ向きの黒人の少年のTシャツのMJの顔のモチーフは、

リサ・マリーとの屈辱的で執拗な偽ラブラブショットを表していたと思われます。

 

「これは全部嘘だ!」というメッセージ

 


  

     

 31P「TWO BIRDS」  顔のモチーフは「WILL YOU BE THER」

    

(聖書の創世記から)

主人の妻からの執拗な性的誘惑を断固として退けた信仰の人

ヨセフになぞらえることにより、MILKさんへの忠節を訴えていたのかもしれません。

                

 リメンバータイムと、エジプトの衣装を着けたマイケルの謎        

 

 

 37P 「LITTLE SUSIE」

LAPD1

何とも言えない怖い画像です。

 

MILKさんを、殺害されたリトルスージーという名の女の子に

なぞらえているように思えます。

 

 

 

 

(Little Susieの歌詞の一部)

『でも、少女がどれほど泣き叫んだかを知ってるのは

隣に住む男性だけ


男性(=MJ)は手をのばし 少女の瞼をそっと閉じた


彼女は弱々しく横たわっている か細い肢体

いたわるようにかかえると 少女の髪には血がついていた

 

希望を失い、こんな暗い運命が待ってると知るとは
なんてむごいことなんだろう  

そして悲鳴をあげても 誰も助けてくれないなんて
 

誰も自分を気にかけてくれないと 彼女は知っていたのさ』 

         

        "   She knew no one cared... "

 

 

 

 

 

MJが死亡した翌日にリサ・マリーが発信した手記には、皮肉を込めて、

「Little Susie」の歌詞から取った「He Knew」という主題が付けられていました。

 

このことは、犯行の首謀者自ら”「Little Susie」はMILKさんを表していた

ということを裏付けた形になっていると思います。

 

MJ死亡事件前に入念に準備されていたリサ・マリーによる犯行声明

 

 

 以下は原作の画像のモチーフ

リ2

 

 

以下は、MJがアレンジしてブックレットに使用された画像

 

LAPD1

 

 

右下の床にはコイン(和解金)、両目と手首に寒々とした不思議な描写があり、

腰の位置に鋭い線が引かれています。

 

 

MJの遺体を二度ならず、三度も解剖しようとした犯行の首謀者の性向からしても、

文字通り、MILKさんを「レイプし両目をくりぬき両手首を切り落としてやる」

と脅迫された可能性がある....。 

 

 

Susieという名前は、「The fabulous baker boys」という映画から取ったもの

だと思われます。

 

The fabulous baker boysで、

ミッシェル・ファイファーが演じる新人歌手の名はスージー・ダイアモンドでした。

 

  

 

腕はいいが孤独なピアニストのジャックと、彼を啓発しようとするちょっとガラの悪い

無名の新人歌手スージーのほろ苦い大人のラブストーリー。

 

「テーブルランプ」、「深紅の衣装」、「光る玉のれん」、「安酒場」の場面、

全編でジャズピアノの演奏が流れているなどの演出が印象的な映画です。

 

 

MILKさんから92年に受け取った手紙の中で、彼の外見に触れた部分の余白に

この映画のラストシーンに流れる歌の曲名を手書きで小さくメモしてあったのを、

 

彼は見逃さなかったようなのです。

 

  

 

 

       *~*~*~*~*~*~*~*~

 

 

 

先回までの記事で考えましたが、93年事件以降、MJは脅迫され、

抵抗できない状態に置かれていたと思われます。

 

そのため、彼の名声は寄ってたかって食い物にされ続ける状態でした。

 

「FALL AGAIN」の歌詞の中で描写されていたように、

 

息をするのもやっと、心を切り刻まれて血を流し

自らの人格を破壊する演技をさせられ続けるという意味で、

 

まさに死んでいなければならない状態であったと思われます。

 

 

 

        

 

    

    

 

   

    

    

 

 

        MJテープ7

 

           変装38

 

 

        ファンパーティー MJDay

       

 

       Living with Michael Jackson

       ギャビン5 

 

 

 

.......彼の屈辱と忍耐は、限界を超えていたと思われます。

 

このような状況に至っていたことから、キャサリンと闇の支配者は、

 

マイケルのエホバへの信仰と、

MILKさんが戻ってくるという希望を捨てさせるために、

 

止めを刺すことは可能だと確信していたに違いありません。

 

ですから、彼等は、2002年7月にMILKさんがネバーランドに送った手紙が、

マイケルの手元に届くことを、

 

何としても阻止しなければならなかったことになります。

 

マイケルが、この手紙を受け取ったなら、彼がギブアップして

MILKさんを諦めるという可能性は全く無くなるはずだったからです。

 

94年のNAACPアワードの時のMJがそうだったようにです...。

 

      

 

  

 

 

2003年11月、ギャビン・アルビーゾによる性的虐待訴訟という名目で、

警察による家宅捜索が強行されました。

 

しかし、考えてもみてください。

 

この訴訟の全てが創作されたシナリオだったのですから、

家宅捜索をする必要性そのものは全くありませんでした。

 

一応、「形だけの捜索」が必要だったとしても、事実は、

 

「形だけの家宅捜索」とは思えない史上稀にみる徹底的な家宅捜索が

遂行されていたのです。

 

総勢70人以上の捜査員が、ネバランを捜索したといいます。

 

これが「形だけの捜索」などではなかったと言える更なる根拠として、

 

2004年12月3日、新たな捜査令状を取得した警察がネバーランドを

再捜査したと記録されています。

 

「最初に家宅捜索してから約1年ぶりの捜査となった。

サンタバーバラ郡保安官事務所は、本調査は

現在も続いている犯罪に対する捜査」だと発表する。」

(「MJ全記録」410P)

 

 

「現在も続いている犯罪」とは、どういう意味だったのでしょうか?

 

マイケル当人は、すでに容疑者とされている状態で、

何も怪しいことなどできない状態であったのに対して、

 

現在も続いている犯罪に対する捜査」とは、どういう意味だったのでしょう。

 

 

二度目の家宅捜索について、

ファンサイト「Moon Walker」さんの2004年下半期の記録にはこうあります。

 

 

『2004/12/3
サンタバーバラ郡保安官事務所が、午前9時からネバーランドを再捜索した。

検察側は証拠物件の提出期限を3日後に控えての駆け込み捜索という形になった。

 

マイケルの主任弁護人、トーマス・メゼロウは先月の審理で、

「マイケルの寝室から原告少年のDNAは発見されなかった」と明らかにしており、

検察側がDNAの採取を目的として新たな捜索を行ったと見る向きもある。

 

しかし明確な理由は公表されていない

 

捜査員の到着時にはマイケルも在宅中だったが、

子供たちが泣き始めたためネバーランドを離れたという。

 

急きょ駆けつけたメゼロウら弁護団の監視の下、捜索は午後5時半頃まで

続けられた。』

 

 

犯行の首謀者のお抱えのメゼロウ弁護士までもが駆り出され、

午前9時から8時間半もかけて、いったい何を探していたのでしょうか。

 

犯行の首謀者にとってのMJの犯罪とは、

児童に対する性的虐待ではありませんでした。

 

 

 

*~*~*~*~*~*~*~*~

 

2006年来日直前、マイケルは、デイリーミラー紙のインタビューに応じました。

 

この取材は、2005年裁判で無罪判決が出て以降、

マイケルにとって初めてのインタビューでした。

 

2006年来日直前、デイリーミラー紙のインタビューに応じた際の

マイケルの快活さと、何とも言えない嬉しそうな表情に注目してください。

 

*~*~*~*~*~*~*~

 

2006年5月25日 デイリーミラー紙の女性記者によるインタビュー

http://7mjj.blog.fc2.com/blog-entry-160.html 

(FOREVER MICHAELさん和訳)

 

「握手は驚くほど固く、ハグは完全に予想外だった。

 

 

   

 

ポップレジェンド・マイケル・ジャクソンが私をプライベートなオーディエンス

として応じてくれた。

 

昨日ハロッズのロンドンのオフィスで会った彼は快活なムードだった。

午後1時に彼は登場、ファンファーレはなし、ボディガードもなし、

取り巻きもなし、メイクをしているような感じもなかった。

 

 

       

 

       

 

 

これが去年の裁判無罪判決の後、初の対面インタビューだった。

私は、どうなるか分からないという感じだった。

 

しかしJackoは、彼はしばしば他人を腕の長さより遠ざけておくのを好むような

印象を与えるけれど、私に古い友人の様に挨拶した。

 

大らかに微笑みながら、彼は手を差し出し、私に腕を回し、

彼の香水の甘い香りを漂わせた。

 

昨年6月の裁判の後には体重が38キロしかないなどと言われた、

痩せやつれ、背を曲げたイメージとは、彼は完全に違って見えた。

 

この47歳のスターは、バーレーンへの自主避難からついに姿を現し、

話すのが以前にも増してハッピーだったのだ。

 

彼はリラックスしているようだった。

 

曇らされた自分のキャリアの立て直しや、

新たなネバーランドをイギリスに作る計画について話した。

 

※注記:将来の計画について、

  MJは公に真実を語るわけにはいきませんでした

 

       中略

 

彼の健康について尋ねると、彼はこう強調した。

 

「元気だよ、とてもいいよ、ありがとう、良い感じさ。」

 

新しいアルバムの制作にも取り掛かっているという。2001年以来の新作だ。

 

それから、優しく背中を叩いて、彼はさよならを言い、私たちは別れて行った。

 

中略

 

私は、Jackoの闇からの復活の最初の一歩の目撃者なのかもしれないと思った。

(終わり)

 

 

      

 

 

確かに、彼はメイクをしていない。

 

でも、サングラスの奥の瞼がちょっと腫れているようにも見える。

 

 

前の晩に、泣いてしまったのかもしれない....。

 

 

 

 

 

サングラスの奥のマイケルの目....、安堵してしているような優しい眼差しがある。

 

 

 

*~*~*~*~*~*~*~*~

 

 

キャサリンと闇の支配者が、2002年7月のアレックス・ファーシェーン 医師の

手紙に執拗にこだわるわけは、

 

MILKさんからの手紙がネバーランドに届いたのは2002年の夏でしたが、

実際に、マイケル当人がその手紙を発見し、読むことが出来たのは、

 

2006年の5月の来日直前のことだったからであると思われます。

 

その手紙がネバーランドに届いてから、4年後のことでした。

 

その間に、70人体制の家宅捜索と二度目の捜索を遂行したにも関わらず、

犯行の首謀者のネットワークは、

 

ネバランにあったはずのその手紙を発見することができなかったのです。

 

その手紙より前に、マイケルがMILKさんからの手紙を最後に受け取ったのは、

94年2月のことでしたから、

 

2006年に発見した手紙は、彼にとって、なんと12年ぶりに受け取ったものでした。

 

そして、70人以上の捜査員による捜索と二度目の捜索でも、

強力な敵達はその手紙を発見することができず、

 

マイケルの手元に行かないようにすることが出来なかったのです。

 

つづく