エリザベス・テイラーの立ち位置から分かマイケルの闘いの真相の後半に進む前に、
そのことと深い関連性があるマコーレー・カルキンとの関係を検証します。

私たちが見てきた「マイケルと子ども達の関係」の驚くべき真実に迫る検証です。


「著名人達との関係は創作された台本上だけのものだったーマコーレ・カルキンの場合」  
 
 

2人の友情関係を示すツーショット写真は多数存在します。


    

              

 

 

 

 

     

しかしながら、マコーレが2001年のジャクソンズショーの際に、
この構図で席に付いていたことや、

       
 
クリス・タッカーと同様に、
シナリオが決まっていた2005年裁判に証人として出廷したことを考え合わせると....

マイケルとマコーレの仲もまた、支配者の指示であって、
純粋なものではなかった(台本だった)と考えざるを得ません。

クリス・タッカーは2005年裁判ねつ造の共犯者

まず、その点を明確にするために、2005年裁判のカルキンの証言の一部を振り返ってみます。


「2005年 マイケル・ジャクソン裁判 マコーレ・カルキンが証言台に」 
MTVニュース 2005.5.12
http://www.mtvjapan.com/news/music/11105


『(当時)24歳のマコーレー・カルキンは、
幼少期のネヴァーランドへの滞在は純真なものだったと主張し、

今回の告発を「実に馬鹿げている」とした。

中略

マコーレーいわく、マイケルに出会ったのは10歳くらいの頃で、
その後、自身と家族はネヴァーランドを複数回訪れたとのこと。

マイケルの寝室に滞在したこともあるが、検察当局が主張するような親密な関係ではなかったという。

マコーレはネヴァーランドの様々な場所で、服を着た状態で眠ったことがあと説明。

ネヴァーランド滞在中にマイケルが誰に対しても不適切な行動をしたことは見たことがないと語った。 

マコーレはまた、友人の家族とのバミューダ島への旅行(91年)の際、
マイケルが同行したことについても尋ねられた。

彼は旅行中にマイケルが自身と二人きりになろうとしたかどうかは記憶にないが、
その旅行でマイケルからロレックスの時計をもらったことは憶えていると語った。

原告(ギャビン・アルビーゾ)は以前、マイケルからワインを飲まされたことを口止めするために、
高価な時計を受け取ったと証言している。

しかしながら、原告とは違って、マコーレはこのプレゼントに特に感動しなかったといい、
「僕は富に飢えていたわけではないので、そこまで畏敬の念を起こさせるものではなかった」と述べた。 』
(抜粋 終わり)



2005年裁判ですが、まず第一に、
支配者側(キャサリンを含む)は、この裁判でマイケルを有罪にするつもりはありませんでした。

金儲けになる『マイケル・ジャクソン』の価値や影響力を台無しにまでするつもりは毛頭なかったはずですし、

メゼロウ弁護士に、
「米国最高の刑事弁護士」という見せかけの栄光(=地位、名声)を与えるつもりでいたからです。

マイケル死亡後に、栄光を与えてもらった見返りとして、
メゼロウは、ことあるごとにキャサリンを何度も繰り返し褒め称えてきました。

メゼロウは、2003年のネヴァーランド家宅捜索で16台のコンピューターが押収され、
マイケルに科せられた容疑の決定的な証拠となる児童ポルノを探す目的でその全てを解析した結果、

「何も発見されなかった」という重要な事実を知らなかったはずがありませんでした。

小児性愛者が児童ポルノを所有してないということはあり得ないことですから、
それは、マイケルの無実を証明する決定的な証拠となる事実でした。

しかし、無実を証明するこの余りにも決定的な証拠に注目させてしまうならば、
裁判は成り立たなくなってしまうので、

メゼロウは、「FBI文書の件は知らなかった」と主張し続けてきたのです。

何としても、あのねつ造裁判を遂行しないことには、
米国最高の刑事弁護士という栄光ある肩書を我が物にすることは不可能だったからです。

「優秀な刑事弁護士」であれば、何のために家中のコンピューターが押収されたのか、
知らないはずはありませんでした。

ですから、メゼロウも、「この世の栄光(=社会的地位、名声、報酬、賛辞)」という見返りを求めて
支配者側の台本を演じる役者に過ぎなかったのです。

そして、弁護側の証人として出廷したマコーレー・カルキンの重要な役割の一つは、陪審員に、

MJは「一般常識とはかけ離れた不安定な人物ではあるが、少なくとも性犯罪者ではない」
という印象を与えることだったと思われます。

もう一つの彼の役割は、マイケルの人格を歪め伝えることでした。

例えば、
マコーレーの証言の中の「マイケルからロレックスの時計をもらった」というのは嘘だったと思います。

マイケルが、彼の経歴からしても、
10歳のスーパースター・マコーレーにそんなものを贈りたいと思う可能性はありませんでした。

原告のG・アルビーゾが高価な時計を受け取ったと証言していたことから、
その嘘に説得力を持たせるため、台本にあるセリフを語ったものと推測出来ます。

しかし、実際には、ギャビンは事件ねつ造の共犯者でしたから、(過去記事参照)
マイケルから高価な時計など受け取っていませんでした。

にも拘わらず、マコーレ―が、ギャビンの嘘発言と調和した証言をしていたことは、
この裁判の登場人物達全員が、

一つの同じ台本の中の自分に与えられたセリフを語っていただけであったことを裏付けています。

子どもに対して、ふさわしくない高価なプレゼントを贈って、
子どもの気を惹こうとする幼稚な性向を持つ人物に見せかけるためのシナリオだったのでしょう。

マコーレーの証言は、マイケルが子どもに性的な欲望を抱く人物ではない印象を与えていますが、
同時に、高額の贈り物をして子どもに気に入られることを必要とする幼稚な人物に見せています。

したがって、
(原告のギャビン、弁護士のメゼロウ、クリス・タッカーなどが事件ねつ造の共犯者であったことからしても)

マイケルとマコーレ-の関係は、台本上だけのものだったということに疑問の余地はありません。


両者共、支配者の意向によってスターの座に就いていたのであり、
大衆に対する強い影響力を持たされていました。

支配者の意向によって、その影響力を、お互いのイメージアップのために用いることもあれば、

 

支配者の命令とあれば、「噛んだり、刺したりすることもある」、ということなのだと思います。

 


では、この2人の関係は、いったいいつから、台本上だけの関係だったのでしょうか。



「2005年裁判でわざわざ言及したバミューダ島でのバカンスも、やはり台本だった」


念のため、マコーレ・カルキンの家族との旅行、
91年のバミューダ島でのバカンスの記事を見直してみたところ、......

この時点で、2人の言動は取材のための仕事であり、

マイケルの側近や関係者や取材のリポーターも、
予め用意された台本に沿って口車を合わせていたことが読み取れます。

孤独なピーターパンと子役スターのまるで恋人同士のような友情関係を見せつけるべく、
マスコミ記者を含む関係者全員が、

用意された台本にしたがって演じていただけだったと思われるのです。

確認してみてください。


「MJ in バミューダ カルキン君との休日」 ENQUIRER誌 '91年7月9日号
http://legend-of-mwfc.la.coocan.jp/repo_bermuda91.html

 


マイケルは32歳で、マコーレーよりも20歳年上なのにも関わらず、
 「僕たち、同い年だよ!」と、マイケルはバミューダで レポーターに息を弾ませながら言った。

 「人生で最良の時だ。 この世でマコーレーが一番好きだ。 永遠の友情を誓ったんだよ!」
と、眩しいほどの笑顔で付け加えた。

このホリデイの費用は全てマイケルが負担していると、彼と親しい情報提供者が洩らした。 
このスーパースターにとって、それだけ価値のあることなのだ。

 彼は子供たちの仲間になることを切望していたのだから。

 彼の姉、ラトーヤ・ジャクソンはこう言っていた。
 「もし大人と話をしなくていいって事になれば、弟は完璧にハッピーになれると思うわ。
 彼は、気持ちの上では1人の大きな子供なの。 実在するピーターパンね!

今ではそれ以上にマイケルは、子供の友人を求めている。 
だからこそ彼はマコーレーと彼の両親をバミューダ‐ フロリダ旅行に招待したのだ、と側近は言う。

飛行機の案内係のミッシェル・ワーゴナーは、
バミューダの遊園地で不思議な2人を見たと本誌に語ってくれた。

「まったく妙な取り合わせでした。 1人は目の大きなブロンドの子供。 
もう1人は彼より22歳年上のスーパースター。 
“彼らに共通することはあるのかしら?”って考えちゃいましたよ」。

「実際、マイケル・ジャクソンは成長しない子供だし、
彼はマコーレーという完全な友人を手に入れたんでしょうね。 
彼のマコーレーへの愛情は、誰の目にも明らかでした」。

本誌は、マイケル、マコーレー、彼の両親を追い、バミューダ滞在の夢の4日間を密着取材した。

2人は 1泊1,000ドルの最高級のマイケルのスイートで、何時間も山のようなオモチャとゲームで遊んだ。 
水の詰まった風船爆弾で、一般旅行者たちは爆撃された。 

暗くなってからはランボー・ゲーム。 安全なレーザー銃で攻撃されたファン達はびっくりした。 
スキューバ・ダイビングに行き、ミュージカルには2回行った。 

 マイケルと子役スターの関係は、過去の他の子供たちとの関係と同様のものである。
 しかし今回は “より熱心だ”と、情報提供者は言う

「彼はマコーレーに夢中だ。 彼はいつでもマコーレーにそばにいて欲しいんだ。
 彼らは、バミューダにいる間ずっと一緒だった。 変な具合だったよ。 
マイケルは、マコーレーが右隣に座らないと食事をしないんだ」。

中略 

マイケルは山のようなオモチャとビデオを持って来ていて、
次の日の朝、世話係がそれらをペントハウスに運んだ。

 「オモチャでエレベーターが一杯になったんです!」と、USエアーの従業員は言う。

 スーパースターとりんごのほっぺの親友は、スイートでいつまでも遊んでいた、と情報提供者は言う

「殆んどの時間、笑い合い、冗談を言い合っていましたよ。
 いつだったか誰かが、部屋のドアをノックしたんです。

 2人とも走ってカーテンの後ろに隠れ、ドアを開けると飛び出してきて水鉄砲で撃つんです。 
マコーレーの身内やマイケルのスタッフ、ホテルの重役たちがびしょ濡れになろうが、
お構いなしなんですよ」。

 「マイケルとマコーレーは、はしゃぎながら笑い転げていました。 
マコーレーが水鉄砲を誰かに命中させると、マイケルは “大当り!”って叫んでいました
」。

6月21日 金曜日、2人は風船に水を詰め、7階のバルコニーから下の通路に落とし始めた。
旅行者たちはずぶ濡れである。

「彼らは20個以上の “風船爆弾” を投げました。 ヒステリックに笑ってましたよ」。

その爆撃を見ていたミッシェル・ワーゴナーは言う。
マイケルは、 “Desert storm! Desert storm! (砂漠の嵐)” と叫び続けていました」。


※注記:おかしいと思いませんか?
1991年1月、国連の多国籍軍がイラクに侵攻した湾岸戦争は「砂漠の嵐作戦」と呼ばれてました。

「子どもっぽい遊び」にすり替えて、じつは、人の感覚を徐々に麻痺させる洗脳のエッセンスが、
二人の言動に盛り沢山に含まれていることにお気づきでしょう。
軍産複合体
である支配者の意向通りの台本になっています。

そして、『この記事の内容を裏付ける写真』が撮影され、記事に採用されています。

 


中略

その後、マイケルはマコーレーと彼の両親のためだけに、
プリンセス・ホテルでプレイベートなミュージカルを手配したと情報提供者は言う。

 「ショウの間中 マイケルはマコーレーにウィンクし続け、
 “素晴らしいよ。君といられて最高だよ!” と言い続けていました」。


 

(つづき)
6月23日 日曜日、スター達はもっと楽しもうとディズニー・ワールドへと出発した。
バミューダを離れる前に、マイケルは親友をそばに置き、
このホリデイが自分にとって どれほどの価値があったかをマコーレーに言っていたそうだ。

 「マイケルは言いました。
 “君に知ってほしいんだ。このホリデイを僕は永遠に忘れないって事を。
僕は心のビデオを持っていて、僕たちが一緒に過ごした全ての瞬間を撮ってあるんだ。
それは絶対に消えることがないんだよ!”」。


   
 
中略

過去、マイケルには何人かの親友がいた。

小さな 『ウェブスター』 のエマニュエル・ルイス、ジョン・レノンの息子ショーン、

マイケルのペプシCMのダンサーのアルフォンゾ・リベイロ、

 『マイケル・ジャクソン・ダンス・コンテスト』優勝者のウェイド・ロブソン、

その他 何人かの子役スター達…。


側近は言う。 マイケルが子供に心惹かれるのは、彼の子供時代の環境のせいなんだと。
彼は5歳で働き始めたので、子供時代の楽しみを知らないのだ。
 
それで彼は今、それを子供たちと共にいることで取り戻そうとしている。
 ある子に、マイケルはこう言った。

「僕は、大人たちと一緒にいると まるで胃の中に氷が詰まっているような気分になるんだ。
僕には判るんだもの。彼らはみんな何かを狙っているんだ。
僕は、子供たちといる時だけ本当に幸せなんだよ」。
 
(以上、一部を除き、記事より転載させていただきました。)



1991年....、

25年前のあの頃は、私たちもまだ未熟だったため、このようなあからさまなイメージ戦略を
疑うことなく、まともに受け入れてました。

しかし、今になってみれば、当時から、マイケルの人格を幼稚に見せるという点で、
関係者全員が、用意された一つの台本に沿って発言・行動していたことがはっきりと読み取れますし、

マイケルとマコーレの人前での言動は、台本に基づいた演技であったと推測出来ます。

記事の内容を裏付けるために貼られている複数の写真ですが、

当人たちにとって、実際には休日ではなく、「仕事だった」とはいえ、
大衆に対しては、「2人がバミューダ―島で楽しく休日を過ごした」ことを証明しています。

また、リポーターによる記事の書き方からして、「密着取材をしている」のではなく、
与えられた台本に沿って記事を仕上げているに過ぎないことが読み取れます。

スター達、側近や他の関係者たち、マスコミの取材班など、関係する全ての者たちが、
一つのシナリオに沿って協働しているという背後の真相が見えてきます。



「マイケルと子ども達との関係の真相」


ですから、93年事件の時も、
マイケルと関係があったことで知られている複数の子ども達が取材を受けた時には、

「指示された通りに語っていた」と考えるのが妥当だと思います。

彼らが語ったことは、『マイケルの寝室で眠った。でも何も問題はなかった。』という同様のセリフでした。

しかし、今日考えたことからすると、マイケルと、それらの子ども達の間には純粋な友情関係はなく
支配者側から指示された通りの演技をしていただけの間柄でした。

子ども達の親は、マイケルの名声から益を得ようとしている人達です。

そのような関係の子ども達を、マイケルが、自分の寝室に入れようと思うでしょうか。



以下のような、マイケルと子ども達の友情を、大衆に対して証明する写真があることから、



本来なら、何度も言われてきたように、

ネバランのマイケルの寝室で、マイケルが子ども達と無邪気に遊んでいるところを撮影した写真も
多数存在しなければならないはずです。

一緒にゲームを楽しんでいる写真も、数多く存在するはずではないでしょうか。

ところが、そのような写真は一枚も出てきてないということは、
実際には、「そのようなことは無かった」ことを意味しています。

何故なら、子ども達との関係は、作り話だったからです。

プライベートで共に遊んだり、寝室に入れるような間柄ではありませんでした。

しかし、すでに、大衆に対しては、

『大人になれないピーターパン、子どもが傍に居ないと生きていけない孤独なスーパースター』

というプロパガンダが功を奏し、そのイメージがすっかり定着していたので、

名声や地位やギャラ(=栄光)欲しさに支配者側の思い通りに演じるタレントやリポーターなどを使うことにより、
自由自在に大衆を欺き、事件をねつ造することが出来たのだと思います。




公開することを目的として撮影されたと思われるホームムービーの有名な映像は、

 

「これがMJの実像」であり、「ネバーランドでのいつもの光景なのだ」と錯覚させる効果がありました。

 
しかし、ネバーランドは、マイケルにとって「自宅」ではなく、「撮影所」であり、
支配者やキャサリンサイドが許したゲストに、次々とサービスを振る舞うリゾート宿泊施設であり、

マイケルは無償でサービス役を務める召使いのようなものだったように思えます。


この映像を見たことにより、大衆は、
「子どもとふざけて過ごすことが、彼にとっての喜びなのだ」と信じるようになりました。

 



こちらは、風船爆弾好きを裏付ける映像です。

 
 


こちらは、一見、とても微笑ましい映像.....。
しかし、この部分だけを見て判断させるなら、
子ども以上に「無邪気な人だ」という印象を与えるかもしれません。

  
よく見ると、腕章がついたシャツ(強制労働用)を着てます。


マイケルが、誰も経験したことのないような過酷で厳しい人生を歩んできたにも拘らず、
最後まで、全盛期以上の潜在能力を保持し続けてきたことを考えると、


  
 


果たして「無邪気な人だった」可能性があるでしょうか。

「無邪気」とは、大人に当てはめる場合には、
信じやすい、思慮深さがない、洞察力が欠如している、騙されやすい、などの意味になります。


 
こちらは、まさに、ピーターパン!

 


この取材の時、子ども達や動物たちとのツーショットにしては似つかわしくない
濃いメイクを施していました。

マイケル自身が「自然体ではない」ことを語っていたのかもしれません。

  



2005年裁判で、マコーレ-は「ネヴァーランドの様々な場所で、服を着た状態で眠ったことがある」
と説明しました。

が、この発言は非常に不自然です。

想像力を働かせてみてください。

家族で、ネヴァーランドの邸宅内に招かれていたとします。

幾らなんでも、子どもが邸宅内の自分の部屋ではない場所で眠っていたとしたら、
しかも、それが昼寝ではないなら、

親、或は他の大人が、きちんと着替えや歯磨きをして、寝室で眠るように促すはずです。

マイケル・ジャクソンは、子どもを自由奔放にさせ、野放しにして、
良識を教えることを放棄する人物であるという印象操作をするためのシナリオだったと推測出来ます。

つまり、この人物設定は、
『ピーターパン』の原作にある傲慢でわがままなピーターパンそのものなのです。

原作のピーターパンの世界はこうでした。

『ネバーランドは、子どもたちが求められる自己の役割や責任から目をそむけ、
気まぐれな冒険の毎日を過ごすことを許してしまう空間である。』



過去記事:「マイケルはピーターパンではなかった!マイケルの闘いと聖書預言の関係」より
http://ameblo.jp/psalms83-18/entry-12075915391.html


今になって考えてみれば、

ネヴァーランド内のあちこちで、子ども達が眠っていたり、
子ども達がマイケルの寝室で遊んでいる写真は、ただの一枚も出てきたことは無かったと思います。

マコーレーは、

マイケルの寝室に滞在したこともあるとか、ネヴァーランドの様々な場所で、
服を着た状態で眠ったことがあると説明しましたが、

その説明を証明するような証拠を見せることはありませんでしたし、
警察も、それを裏付ける証拠写真をただの一枚も入手することは出来ませんでした。


マイケルは、多くの子ども達と頻繁にパジャマパーティのようなことをしていたことになっていたのですから、
楽しいパーティの思い出の写真をただの一枚も撮らなかったはずはないと思えますし、

年中、マイケルの寝室に子ども達が出入りしていたことになっていたにも関わらず、
それを証明する写真やムービーが出てこなかったのは、極めて不自然なことだったと言えます。

93年事件の時、マコーレーやウェイド・ロブソンなどの他の子役の子どもたちも、
「何度もマイケルの寝室で眠ったことがある。」と口を揃えてきました。

しかし、実際には、子役も含めて多くの役者たちが与えられた台本通りに口車を合わせていただけであり、
真相は、

マイケルの寝室に、子ども達が出入りなどしていなかった可能性が高いように思えます。



今日の検証は、マイケルが子ども好きであったことを否定するものではありません。

むしろ、言われてきたような「平衡の取れてない子ども好き。」
「子ども無しでは生きていけない不安定な人。」などではなかったことを意味しています。

マイケルが、多くの人々を魅了し続けるその理由は、
プロパガンダによって脚色された「見えるところ」によるのではなく、

むしろ、見えないところ、

悪意ある者達が執拗に、組織的に掻き消そうとしてもなお醸し出されている彼の内面、

辛抱強さや勇気や忠節さに裏打ちされた深い愛の持ち主、

彼の本当の人となりが、人々を惹きつけて止まないのだと思います。