今日の話は

84になる義母の話です。

※同居はしていません。

 

 

ついに、、

義母のデイサービス通いが始まりましたニコニコ

義父が亡くなって6年。

 

その頃から

なんかおかしいな、っていうことが

徐々に増えてきたのですが、

さすがにもう、ちょっと、

まずいのでは?という状態になり

夫兄弟がやっと動いたような

そんなここ最近です。

 

わたしは去年秋のお彼岸に

一緒にお墓参りに行って以来、

義実家のことで夫と大喧嘩をしたため

一切関わらずを貫いてきたのですが。

 

女性じゃないとわからないような

困り事が出てきたらしく、

頭下げてきたのでした。

 

数ヶ月前から

ヘルパーさんに来てもらうようになり、

今月からデイサービスが始まり、

ちょっとずつ変化しています。

 

 

ここ最近の義母は、

いつも同じ服を着ていて

着るものに無頓着になり、

汚れていても気にしなくなり、

季節に合った格好をできなくなっていました。

 

典型的な症状ですね。

 

温度感覚もおかしくなっていて

真夏に冷房が入っていないのはもちろん、

真冬でも暖房が入っておらず。

数年前から夏冬は

夫がエアコンの設定をして

自動的に温度調整するようにしていたり。

行くたびに私が具合悪くなってましたが笑い泣き

 

 

ただ、

こちらが服を買っていくと

それを着てくれるし、

「ありがとう」とお礼も言ってくれるので

買い物に行くことがもう億劫なのかなと

そんなふうにも思うのですが。

 

老人性のうつなのか、

会うたびにいつも

「もう死にたい」

「生きていても仕方ない」

と話すばかりなので困りますあせる

 

母の手術のときも思いましたが、

気をつけないと

こっちの精神が潰れますねー

 

でも、長生きしそうです。

わたしより食べるし、

なんなら油ギットギトのステーキなんかも

食べられますからね。

食べられるってことは

生きられるってことだと思います。

幸せかどうかはおいておいて。

 

 

ただ、義母の立場になったら

きっと私も「死にたい」と、

そう思うのかなー

パートナーが亡くなり、一人になって、

子どもも近くにいない。

自分でできることが

日々段々減っていったら

そう思っても仕方ないのかもなぁ。

 

私ならまだ

歳の近い人がいる施設に入りたいと

そう思ってしまうけど、

85歳の義母が思う施設は

まるで牢屋のようで

「施設なんかに入るなら死んだほうがまし」

「人生終わったほうがましだわ」

なんて言います。

 

無知ゆえに。

そして

思い込みが激しいから

そうなるんだろうなぁ。

 

こうと決めつけて

人の話は聞かない。

というかもう

話しても覚えていられないから、

こちらもだんだん虚しさを感じてしまうのだけど。

 

 

だらだらと書いてしまいましたが、

自分の親よりも老いた姿を見て、

いつか自分もこうなるのかな、

と思わずにはいられない。

 

私は子どももいないし、

夫が亡くなったらそれこそひとり。

(わたしが先に死ぬかもしれないけど)

結局死ぬ時、人は一人なのだろうなぁ。

 

誰かに看取ってもらえたら

それはとても幸運なことなのかもしれない。

 

 

すぐに忘れてしまったとしても、

ヘルパーさんやデイサービスで関わる人たちと

ちょっとずつ関係ができていって

義母へ刺激となればいいのですが。

 

・・・

 

 

どこかで読んだんですけど、

人間は親を介護することは

DNAに組み込まれていないんだそうです。

子育てはするけれど、

介護は入ってないってことですね。

 

たしかに

人間しかそういうことはしないですもんね。

すごく冷たい言い方ですが。

 

長生きが幸せなのか

そうじゃないのか、

人生どう生きてきたかっていうのが

最後に出てくるんだろうなー

とも思います。

 

人にしてきたことは

自分に返ってくる。

これは忘れちゃいけないなと

いろんな意味で、

本当にいろんな意味で

深く突き刺さります。

 

生き方と死に方、

なんだか考えてしまいますね。