父も当時は珍しい世話焼きパパで、わたしたちをとっても愛してくれましたが、
少し心の気弱な父で、
母は父が辛い思いで帰って来たときや高血圧の体調がよくないときなど、
「今はお父ちゃんの機嫌がようねえから、近寄っちゃならん。そっとしとけ。」と
あらかじめ言ってくれたり、
あまり頻度は多くなかったけど、父の言葉がキツかったりすると、
「何もあんなこと言わんでもいいのに。さっちんは悪うねえっちゃ。」とかばってくれました。
そのおかげで、悩みやすい父でしたが、
父からは愛された記憶しかないです
母は穏やかで心が強く、感情投げつけられて叱られたことは殆どありません。
感情的に叱る親がいるっていうのは
アニメの「オバケのQ太郎」の正ちゃんのママで知ったほどです
1回だけ、感情的に叱られたのは今でも覚えてます。
それは、ハサミが面白くて、母が妹
のために買った服を切り刻んだとき。
思いっきりドッカーン
と落とされました
普段叱るときは顔をわざと鬼のような表情にするんですね。
それだけで、悪いことと解りました
その母が、言ったことを実行してくれたのが、
わたしのカルト入信事件のとき。
絶望にうちひしがれた父を引っ張ったそうです
母はキリスト教を真似たカルトと聞いて、
隣町にある教会に相談に行ったそうです。
それから、横浜の妹夫婦も動いてくれて、親戚の協力を得るために
両親揃って父の兄弟、母の兄弟に頭を下げてまわり、
救出の勉強に佐渡から東京まで毎月通ってくれたんです
老体だから飛行機でね。日本航空から
感謝に当時日本便のあった航空会社パンナムの
エプロンをもらったそうです
カルトに入ってる間に母に会ったときの
母の涙は忘れられないです。
でっかく開いた近所の木の花。
クレマチスっていうんですね。
堂々としてますね
まるで何かをかばう母親みたい。