2019.03.27
今日はいきなりですが、Kさんのことです。
仕事終わってメール見たら、
教会からKさんが召された連絡が入ってました
Kさんはわたしが教会に通い始めた頃、
最初に知り合ったひとりです。
カルトから抜けただけで世間の感覚がまだ戻ってなくて、
世間の娯楽を断っていたので
人気タレントの名前さえ思い出せない、
花を愛でることさえ世俗的と感じてた頃から、
いろんな悩みTELを聴いて共感してくれ、
励ましてくれました
今の職場は当時喧嘩が耐えず、
そのとばっちりは病院薬剤師新米のわたしにかかって、
まだ分包機の動かし方に慣れてないわたしが
ひとりの薬剤師に習ったやり方でオタオタやってると
いつの間にか手元見て睨まれて、
「そんなやり方じゃあダメでしょ」
入院患者さんが毎日飲む定期の薬を作るのに、
薬のピッキングの前に薬袋を40人分
立て続けにダダダーッと書いていたら、
他の薬剤師全員から
「あなたのやり方は非効率的だよ。」
とダメ出しされて、
いくら「この方が棚に薬取りに行ったり
戻って薬袋書いたり、
取りに行ったり戻って書いたりの時間が省けます。」と
説明しても聞いてもらえませんでした
それに、薬を取りに行かずに薬袋書くってのは、
薬の姿や大きさ、
先生の出す日数分がどれだけのボリュームになるか
わかるようにならないとできないですよ(*´・ω・`)b
赤とか、緑とか、カプセルとか大小とか書いて、
一種類につき42錠で5種類とか出すんですから。
ダダダーッと書けたのは、
それができるようになったからなんです
それが全員から全否定された
毎日涙せずに帰らない日はなかったのですが、
Kさんはそんなことも嫌な顔ひとつせずに、
1時間ものあいだ聞いて心が癒されるよう祈ってくれました
Kさんの周りの環境は大変な環境でした。
家族でもないわたしからは詳しくは言えないです。
Kさんは彼女の兄弟を何とか大変な人生から救いたくて
イロイロするうちに自分が教会に通うようになったんです
そして、彼女の人生が別の意味で変えられた。
わたしが思うに、もし、彼女がそれまでのままだったなら、
精神的に参ったか、
逆に誰をも押し退けて
我が道を行く人格になったかだと思います
それほど大変なご家庭でした。
しかし、わたしが出会ったKさんは
困難には神様に解決を求め、
すべてを感謝し、人を思いやり、
人のために労苦を惜しまない人でした
長い間床屋さんをやりながらも、
いつでも天に召されてもいいと天を楽しみにし、
そして、与えられた生涯にも感謝してました。
普通は癌と知らされたときにショックを受けるものです
わたしもウチの院長や副院長が癌治療もやっていたので、
告知のやり取りをいく例も聴いてきました。
しかし、Kさんは違ってました
最初の子宮癌のときに、
普通やるとおりの摘出手術で、
わたしはパブロとお見舞いに行きました
パブロは大病の人にどう声かけたらいいか、
緊張しまくり
けれど、Kさんの方から話してくれたんです。
手術直後の写真を見せてくれました
執刀医の先生とお姉さんと、Kさんの
3人が写った記念写真Vサイン付き。
Kさんの方から、
中国人の友人に送りたいからと頼んだそうです
先生があまりに驚いたので、
お姉さんが「おかしな妹でして」と弁明したと笑ってました
パブロ、そんなKさんの大ファンになってしまいました
以後、Kさんのお墨付きで
義理の弟になっちゃいました
ホントの弟さんとは最近初顔合わせ
Kさんはサッパリした性格なので、
わたしとパブロはKさんを「兄貴」と呼ふことに
それから15年、この間に他の癌も発病し、手術は4回。
抗がん剤だらけの15年間。
時には「あまりに苦しくて死ぬかと思って中断ちゃったよ」
なんてことも。
けど、その中断した薬に再挑戦したんですよ
怖くなかったかなあ
その間にも周りの抗がん剤治療の方や
難病の方々を励まし続け、わたしの入院にも
弱った体で来てくれました
1月ごろには
自宅療養の後に
ホスピスに入れると知って大喜び
と言ってました彼女にとって、
これからの天での永遠の生涯に比べれば、
この世界での生活は
あっという間だったのかも。
今頃は天の神様や先に召された方々と
再会してるのかなあ
目を開けなくなる最後まで、
「ホスピスの他の患者さん、かわいそう。」
と言ってました。最後まで気遣いの人でした
Kさんの歩みを見てきて
わたしは病気は決して悪いものじゃあないと
教えられた気がします。それよりも大切なこと、
病気だろうと健康だろうと、
人生をどう受け止めて生きるかが
大切と教えられました
Kさんは風景の中の花が好きで
フェイスブックに写真を載せてました
Kさん今頃
こんなところに到着してるのかなあ