2018.05,24

5時に帰るつもりだったのに、帰るの遅くなっちゃったアセアセ

ビーツが安く手に入るんで、1個買ってあって、

ロシアンスープ(もとい、ウクライナスープ)トマトの冷製スープのボルシチを

作ろうかと思ってたのに、分包機をいじってたらもう7時過ぎびっくり

ひえー!パブロ、ごめんなさ-い!アセアセ

(言わんでもいいこと言っちゃった冷や汗

パブロはボルシチトマトの冷製スープだーい好きなんです冷や汗

さあて、今日のお題三毛猫、今、嫁姑ブログ読ませて頂いてます。

わたしにとっても他人ごとではなく感じられるんで。

以前にもお話ししたかな。わたしの母は旧豪農の育ちで、

厳しく躾けられたそうです。

母のお爺さんは村に道を作った人、

父親(わたしの祖父)は志願で海軍に入り、

当時皇太子だった昭和天皇の護衛でイギリス行きが決まった時、

金杯銀杯を近所に配ってお祝いしたそうですニコニコ

そんなお家だから、しきたりなんか厳しかったらしいドクロ

当時はどこの家でも長男が大切にされたんですよねー。

それは、長男には一族を看る責任があったプンプングー

そして女性は夫に従いつつ子供を育て、

平和な家庭を築く責任があった。

姑は舅の下、長男については父親の下ではあっても

やがて母親の先頭を行って親を養う、

長男の嫁は長男の下でうまくいくと考えられてたんです。

今の皆さんは「変ーなの?」ですよねウインク

でも、昭和一桁生まれの育った環境って、それ当たり前だったんですよえー

それで平和な家庭作れれば、それはそれでいいでしょう口笛

とっころがですね、必ずしもそうとは限らんかったんですねドクロ

長男だってそんな責任重すぎるし、

得てして大切に育てる=長男を甘やかすになって、

長男は両親と同じ考えになるか、親を反面教師として育つかで、

長男が同じ考えだと、お嫁さんはもーう大変アセアセ

その家のしきたりに合わなければ子連れで

追い出されることもあった時代、舅さんには権限振るわれ、

姑さんとは生活習慣でぶつかって

嫌味言われ、夫は親の味方えー

それに、自分からは離婚できないんですよ。

実家には長男の嫁さんと子供がいて戻る部屋ないし、

出戻りと世間からは呼ばれて、

実の両親も世間に肩身の狭い思いするから。

子供がいなけりゃあ完全にアウェイですアセアセ

当時のお嫁さん、泣きたいときは便所(あえて便所です)トイレにこもって

泣いたそうですタラーこれじゃあ心がひん曲がりそうタラー

そんなお嫁さん、長ーい苦労に心のシワが増えて

やっとその家で自分に合った生活のしかた身に付けた時、

今度は時代感覚の違う若い女性が息子の嫁として家庭に入ってくるんです。

男女平等、子供も平等の時代になったけど、感覚だけは

今もあの時代の感覚を持ってる家庭が見受けられますねニコニコ

ご長男が愛ハートと寛容と力あるご家庭なら

ご立派なご家庭と思いますが、苦労している方々には

エールを送りたいなブーグリーンハーツ

母の父親は優しくて、晩年は「仏の平治」と呼ばれたそうですおねがい

わたしが両親を嬉しく思うことは、

決して実の娘と嫁を差別しなかったことです。

上矢印ウチの病院の礼拝室のお花赤薔薇職員が活けてます。

以前お花の先生が来て教えてくださってて、

その頃から生け花やる職員続いてるんですラブグリーンハーツ

後ろにあるのはピアノオルガン

この一帯が祭壇で、患者さんのご遺体は

一旦ここに安置されます。いつも明るいお部屋ですニコニコ

 

上矢印砂利の隙間から頑張って咲いてた花菜の花