とんでもない強行日程はシリーズ史上初のナイターとなった。南海・スタンカ、阪神・村山実の両投手の投げ合いは、スタンカの3安打完封で南海が先勝。スタンカの出来もさることなかせら、阪神は主力選手の“優勝後のけが”が最大の敗因だった。
リーグ優勝決定の瞬間、甲子園のタイガースファン約2000人がグラウンドになだれ込んだ。選手に抱きつき、握手を求めて手を引っ張る…。外野を守っていた山内和弘、藤井栄治はベンチにすら戻れない。山内は「ファンに左腕を引っ張られて、ヒジが痛くてしょうがない」。「左ひざを捻ってしまった。腰も痛い」とは藤井。他の選手も大なり小なり、擦り傷、切り傷など被害を受けた。
3番と5番の山内、藤井は前夜の中日戦で2人合わせて、4安打4打点も、傷だらけの体でスタンカに挑み7打数0安打に終わった。
はしゃぎすぎたファンも疲れていた。30日のリーグ優勝決定の日、中日戦の観衆は3万3000人。ところが、晴れの日本シリーズ第1戦はなんと1万9904人と2万人を割った。阪神、大洋、いずれが優勝するか、最終戦まで分からず、前売りが出きなかったことも影響したが、当日売りに朝から並んだのは、わずか100人。「これじゃ、秋のオープン戦と変わらん。気合いが入らん」と阪神・吉田義男遊撃手。吉田は阪神唯一のチャンスとなった6回一死一、二塁で併殺打。2点目のきっかけとなる失策も5回に犯した。
10月1日は東海道新幹線が開通した日でもあり、東京オリンピック開幕が目前に迫っていた。開会式が始まる10月10日までに全日程を終える目的で、3月20日からスタートしたセ・リーグのペナントレース(阪神は21日に開幕戦)だが、雨にたたられ結局第7戦が行われたのが、どうしても避けたかった10日だった。
3勝3敗での最後の決戦の観衆は1万5172人。アジア初の五輪という大イベントに日本シリーズは“大敗”。おまけに甲子園でスタンカに計3試合完封されたタイガースは以後21年間、勝利の神様に見放され続けた。南海にとっても後から見れば最後の日本一となったが、国家イベントのオリンピックの前に、マスコミは結果程度を伝える寂しい扱いだった。
| 1964年10月1日 | 日本シリーズ阪神-南海1回戦 | 甲子園 | 南海1勝 |
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
| 南 海 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
| 阪 神 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 投 手 | |
| 南 海 | ○スタンカ(1勝)-野村 |
| 阪 神 | ●村山(1敗)、若生-辻佳、福塚、山本哲 |
| 本塁打 | |
| 三塁打 | |
| 二塁打 | 小池(南) |
| 南 海 8安打9三振3四死球 1盗塁1失策8残塁 | |
| 阪 神 3安打4三振1四死球 0盗塁1失策3残塁 | |
球審・筒井 試合時間2時間14分 観衆1万9904人 |
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