1964年(昭39) 阪神“傷だらけ”リーグ優勝の翌日にもう日本シリーズ | 一期一会~感謝~

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厳しく 明るく

大洋とのし烈なデッドヒートの末、阪神がセ・リーグを制したのが9月30日。甲子園での中日とのダブルヘッダー第1試合に12-3と大勝してのことだった。その24時間後、タイガースナインは休む間もなく、同じ甲子園で南海相手に日本シリーズを戦っていた。

 とんでもない強行日程はシリーズ史上初のナイターとなった。南海・スタンカ、阪神・村山実の両投手の投げ合いは、スタンカの3安打完封で南海が先勝。スタンカの出来もさることなかせら、阪神は主力選手の“優勝後のけが”が最大の敗因だった。

 リーグ優勝決定の瞬間、甲子園のタイガースファン約2000人がグラウンドになだれ込んだ。選手に抱きつき、握手を求めて手を引っ張る…。外野を守っていた山内和弘、藤井栄治はベンチにすら戻れない。山内は「ファンに左腕を引っ張られて、ヒジが痛くてしょうがない」。「左ひざを捻ってしまった。腰も痛い」とは藤井。他の選手も大なり小なり、擦り傷、切り傷など被害を受けた。

 3番と5番の山内、藤井は前夜の中日戦で2人合わせて、4安打4打点も、傷だらけの体でスタンカに挑み7打数0安打に終わった。

 はしゃぎすぎたファンも疲れていた。30日のリーグ優勝決定の日、中日戦の観衆は3万3000人。ところが、晴れの日本シリーズ第1戦はなんと1万9904人と2万人を割った。阪神、大洋、いずれが優勝するか、最終戦まで分からず、前売りが出きなかったことも影響したが、当日売りに朝から並んだのは、わずか100人。「これじゃ、秋のオープン戦と変わらん。気合いが入らん」と阪神・吉田義男遊撃手。吉田は阪神唯一のチャンスとなった6回一死一、二塁で併殺打。2点目のきっかけとなる失策も5回に犯した。

 10月1日は東海道新幹線が開通した日でもあり、東京オリンピック開幕が目前に迫っていた。開会式が始まる10月10日までに全日程を終える目的で、3月20日からスタートしたセ・リーグのペナントレース(阪神は21日に開幕戦)だが、雨にたたられ結局第7戦が行われたのが、どうしても避けたかった10日だった。

 3勝3敗での最後の決戦の観衆は1万5172人。アジア初の五輪という大イベントに日本シリーズは“大敗”。おまけに甲子園でスタンカに計3試合完封されたタイガースは以後21年間、勝利の神様に見放され続けた。南海にとっても後から見れば最後の日本一となったが、国家イベントのオリンピックの前に、マスコミは結果程度を伝える寂しい扱いだった。
1964年10月1日 日本シリーズ阪神-南海1回戦 甲子園 南海1勝
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
南   海
阪   神
投 手
南   海 ○スタンカ(1勝)-野村
阪   神 ●村山(1敗)、若生-辻佳、福塚、山本哲
 
本塁打  
三塁打  
二塁打 小池(南)
南  海  8安打9三振3四死球 1盗塁1失策8残塁
阪  神  3安打4三振1四死球 0盗塁1失策3残塁

球審・筒井  試合時間2時間14分  観衆1万9904人



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