愛知・中京商業(現中京大中京高)で1937年夏、翌年春に甲子園大会で優勝し、法大を経て39年にセネタース入団。1年目に33勝。翌年からも33、25、40勝と勝ち星を重ねた。42年5月には名古屋戦で延長28回(日没引き分け)を投げ抜き、その前日にも完封勝利。「鉄腕」の称号をほしいままにした。
40、41年に最優秀防御率、42年は最多勝。戦後は46年に阪急で復帰し、翌年には24勝を挙げた。42年に記録したシーズン最多完封「19」、48年のシーズン最多無四球試合「13」は現在もプロ野球記録。
打者としても優れ、46年に31試合連続安打をマーク。71年に長池徳二(阪急)に更新されるまでプロ野球記録だった。46年と49年には100安打以上を放った。
実働12年間で投手成績は237勝139敗、防御率1.96。現役引退後は阪急、毎日、近鉄でコーチなどを務め、89年に野球殿堂入りした。